シャムチアーイー 2020/02/23更新

第二夜 つぼみの花

「バルクー、バークリ(インド風のパン)は食べたかい?アーシュラムに行くんだろ」
 とシヴァが尋ねました。
「お母さん、早くバークリをちょうだいよ。お話が始まってしまうよ」
 バルクーはお母さんをせかしました。
「毎日、いったいどんなお話を聞きに行ってるの、こんなに急いで。何も食べずに行きなさい。でなければ帰ってから食べなさい」
 とバルクーのお母さんは言いました。

 バルクーは本当に出て行きました。彼はバークリよりもお話の方が好きでした。彼のおなかはバークリを欲しがっていましたが、彼の心はシャムのお話をもっと欲しがっていました。

 バルクーとシヴァは急いで出かけました。途中でシヴァはつまずきましたが、気にも止めませんでした。

「バンサリダリヌーばんざい、シャムスングル、ハリヌーばんざい」(クリシュナ神の讃歌)このようなアーシュラムでのバジャン(歌や音楽を伴う祈り)の響きが聞こえてきました。バルクーとシヴァが着いた時には最後の詩句が歌われていました。

「殺さず、真実を語り、盗まず、身を清らかに保ち、欲ばらず、精進しょうじんし、むさぼらず、どこででも勇敢に、あらゆる宗教的教えに忠実に、そして国のものを愛せよ。これらのことを実践せよ。つつしんで、しかも堅い決意をもって」

 シャムはお話を始めました。

 今日は花についての話をしよう。子供のころ、ぼくは花が大好きだった。花のように美しく清らかなものは、他にはないだろう。地上の花と空の星から、ぼくは限りない感動を受けた。父も花が大好きだった。神さまにおまいりをする時、父はたくさんの花を必要とした。畑にはハイビスカス、カルナ、バラ、ラーストゥラーなどの花の木が植えられていた。父はガナパティー神(注1)をとても崇拝していたので、毎日、ドゥールワという草の房を21、ガナパティー神にお供えした。父は、形の悪いものや枯れているものをお供えしたことは1度もなかった。父はドゥールワを捜しにどこまでも歩いて行った。そしてみずみずしくて、きれいで、長い房になったドゥールワを持ち帰るのが常だった。

「私たちは神さまに毎日、ドゥールワをお供えしなければならない。だからといっていいかげんなものをお供えしていいものだろうか」
 と父はいつも言っていた。

 ぼくは父から花を熱愛する心を受けついだ。そして、母からは、花への思いやりの心を学んだ。

 ぼくは花を摘むために朝早く起きるのが習慣だった。ぼくたちの村にはバクルの木がたくさんあった。バクルの花はとてもきれいで香りが良い。花の中には蜜も入っている。花は小さな真珠のようにも見えるし、小さなボタンのようにも見える。ぼくは、バクルの花をかごいっばいに集めて持ち帰った。朝、花を集めておいて、10時に午前中の授業が終わってから、その花で首飾りを作った。父はその首飾りをお寺に持って行って神さまの首にかけた。朝、バクルの真珠のような花を集め、夕方グルバークシーの花(日本のオシロイバナに似ている)を集めた。夕方、グルバークシーの花を摘むために、学校が終わるとすぐ走って家に帰った。よその家の庭に入ってグルバークシーの花を摘んだりもした。だってその家の人は、ちっとも花なんか必要としていないのだから。

 花を本当に好きな人がいるだろうか。神さまにおまいりすることを心から望んでいる人がいるだろうか。花で自分の身を飾っているだけではないだろうか。花を摘んで、きたない鼻に押しつけて匂いをかいだり、汚れた髪にさしたりするだけではないだろうか。花は神さまにお供えするためにだけ摘むべきだ。そうでなければ、木の上で咲かせてあげるべきだ。木の上に咲いたままで、花は神さまにお供えされているのだから。

 今では、ぼくは花を摘むことができない。花は神さま自身のみずみずしく、美しい写し絵だと、ぼくには思える。しかし、子供のころ、ぼくは神さまのために花を摘んでいた。グルバークシーの花をめぐって、子供たちはときどきけんかをした。

 グルバークシーの花はとても美しい。花の筒になった部分は、長く細く柔らかだ。花の根もとには、黒い小さなビーズのような玉がついている。グルバークシーの花には、黄色、つややかな赤、赤白、色の混じったものなどたくさんの種類がある。グルバークシーの黒いビーズのような玉はとてもきれいに見える。

 ぼくの母はトゥラスの木(注2)の植えてある庭に座って、この花で首飾りを作った。この首飾りは、花の筒になった部分を結び合わせて作るので、針や糸を必要としない。首飾りの作り方にもいろいろな種類があり、ねじったものや二重のものなど、女の人たちはさまざまなやり方で首飾りをこしらえる。

 その日は日曜日だった。毎日学校が終わると。子供たちはみんな花を摘みに行った。石板や学校カバンを家に置いてから、最初に駆けつけた者が、いちばん多く花を摘むことができる。しかし、日曜日にはだれが何時に行くか予想できない。その日曜日の前の日曜日、他の子供たちが花を全部摘んでしまったので、ぼくは1つも摘むことができなかった。それでこの日、「今日こそは花を全部摘むんだ」と決心した。早くに出かけて、つぼみを摘んでくるつもりだった。グルバークシーの花は4時ごろ咲き始め、夕方完全に開く。ぼくは花が咲き始める前に出かけることにした。

 外はまだ暑かったが、ぼくはかまわずに出かけた。1枚の布を持って行った。だいたい3時ごろだった。近所のドンドパント先生とゴウィンダーさんの家の裏庭のグルバークシーのつぼみを、ぼくは全部摘み取った。そして、家に帰ってお盆に水をはり、つぼみをつけておいた。

 夕方、母が言った。
「今日は花を摘みに行かないの?この前の日曜日のように遅く行くと。1つも手に入りませんよ。そしたら、また泣いてばかりいるでしょう。首飾りのためならなくてもいいのよ。でも夕方のおまいりのために、2つか3つ摘んで来てちょうだい」
「ぼく、もうとっくに摘んで来たよ。首飾りを作る?」
「それじゃ、持って来てちょうだい。トゥラスの木のそばに座っているわ。そうすれば、家の中に花の茎が散らからないから」

 ぼくはお盆を取りに行った。しかしお盆の中の花は、ちゃんと咲いてはいなかった。それを見て、ぼくはがっかりした。その花をかごに入れて、母のところへ持って行った。

「これはどうしたの?しずくがついているのね。わかったわ、つぼみを摘んで来たのね。でも花がちゃんと開かなかったんでしょう。シャム、少なくとも木の上で花がちゃんと咲くまで、あなたは待つべきだったのよ。どうして、そんなに欲ばってあわてて行かなければならなかったの」
 と母はぼくをしかった。ちょうどその時、ゴウィンダーさんやドンドパント先生の家の子供たち、バニャー、バープー、バービーがやって来た。
「おばさんとこのシャムがお花を全部摘んで持って行ったの。私たちには1つも残してくれなかったの」
 とバービーが言った。
「ねえ、シャム、いったいいつ、どろぼうのようにお花を全部取ったの?」
 とバープーが言った。
「どろぼうのようにだって?ぼくはいつも君たちのところへ花をもらいに行ってるだろ」
 とぼくは言った。
「いつもぼくたちは一緒のはずだよ」
 とバニャーが言った。
「ぼくが先週の日曜日。遅れて行った時、君たちはぼくに1つでも花を残しておいてくれたかい」
 とぼくは尋ねた。
「でも、私、かごの中からお花をあげようとしたでしょ。それなのにあなたはぷんぷん怒って行ってしまったんじゃない。“どうしてぼくを待っててくれなかったんだい。ようし、今に見てろよ”なんて言って、あなたは行ってしまったわ。あれは、今日こんな仕返しをするつもりだったからなのね」
 とバービーが言った。
 ぼくの母はこのやりとりを聞いていた。母は穏やかな声で、
「バニャー、バープー、さあここにあるお花を持って行きなさい。シャムはもう2度とこんなことはしませんよ。そうね、シャム」
 と言ってみんなに花を分け与えた。
「シャム、花を摘みにまた夕方おいでよ。根にもったりしちゃいやだよ。それとも今から来るかい。かくれんぼをしようよ。でなかったら“ラクシュミーおばさん、バターミルクをください。かめが割れたのでつぼをください”の遊びをしよう」
 とバニャーが言った。
 母が言った。
「今日はもう遅いわ。また明日、遊んでね。バニャー、バープー」
子供たちは帰って行った。ぼくの顔から血の気がなくなっていた。母が言った。

「シャム!よその家の花を無断で摘んでは駄目よ。摘んでもいいかどうか尋ねてから摘みなさい。みんなより先に着いた時には、みんなを呼ばなければいけないわ。でもいちばん悪いことは、こんなつぼみの花を摘んで来たことよ。あなたはあわてて行ったけれど、結局は何も手に入らなかった。花は木の上でちゃんと咲かせてあげなければならないのよ。摘んだつぼみをいくら長いこと水の中につけておいても、きれいには咲かないわ。

 お母さんのお乳で、赤ちゃんはぼちゃぽちゃと育つでしょ。牛のミルクではそうはいかないわ。レストランのどんな豪華な食事でも、家庭の普通の食事ほど元気は出ないものよ。木は花のお母さんです。木はつぼみに栄養を与えて、きれいに咲かせるの。木というお母さんのひざの上でだけ、つぼみはきれいに花開くのよ。花が咲いたら神さまのために摘みなさい。

 自分の家の神さまにお花が少なくてもいいのよ。バニャーの家の神さまにお花があげられたら、それもやっばり同じ神さまのためでしょ。お花がどこへ持って行かれても、神さまのためでしょ。自分の家の神さまにだけお花をみんなあげようなんて思っては駄目よ。神さまはそんなことはお嫌いです。神さまの礼拝にはみんなが参加しなければならないのよ。神さまはたった1つのお花でも喜んでくださるわ。でも、きれいに咲いたのをお供えしなさい」

 みんな!つぼみのまま摘まれた花のことで、こんなにも悲しむのは母親だからだと思うよ。母親は、自分の子供をひざの上で遊ばせる。そして温かい家庭で育てて、それから世の中に送り出す。それと同じように木も花を育てる。美しく、香り豊かにして、神さまの礼拝のために送り出せるよう準備する。

 中途半端なところで摘まれたつぼみは、きれいに咲くことができない。中途半端な仕事は、きれいに花開くこともなければ、実を結ぶこともない。世の中で中途半端なものは何もいらない。どんなことでも、きちんと最後までやりとげなければならない。時間がかかってもかまわない。いいかげんなことをするよりは、何もしない方がましだ。母はぼくに言っていた。
「シャム、つぼみの花を摘んではいけませんよ。きれいに咲くだけの時間をあげなさい。ちゃんと咲かせてあげなさい」

注1 ガナパティー神 シヴァ神とパールヴァティー女神の息子で、象の頭をもっている。学問と幸運の神とされ、ガネーシャとも呼ばれる。日本にも、仏教とともに伝わり、聖天しょうでん歓喜天かんぎてんなどと呼ばれ親しまれている。

注2 トゥラスの木 家の裏庭に植えてある小さな灌木で、女の人たちは毎夕ランプをともしてお供えをし、礼拝する。