シャムチアーイー 2020/03/29更新

第七夜 愛と知恵と力と

「ラーム、ぼくの目に光が当たらないように。そのランプを向こうにむけてくれないか」
 とシャムが言いました。
 その日。戸外は少し雨が降っていて、冷たい風も吹いていました。それで、集まって来た人々は、アーシューラムの奥の部屋に座っていました。いつもは空の下でお祈りをして、この物語風のお説教を聞くのが常なのですが。
 シャムはお話を始めました。

 ある日、ぼくたちは庭で遊んでいた。トゥラスの木の植えてある庭は、幅も奥行きもかなりあり、たいへん広かった。トゥラスの庭にはとっても高いベヘラの木があった。

 突然、何かが落ちる音が聞こえた。ぼくと弟は何の音だったのだろうと、あちこち丹念に捜し始めた。捜しているうちに、木から落ちた1羽の小さな鳥のひなが見つかった。ひなの胸はドクドクと脈打っていた。とても高いところから落ちたらしく、かわいそうな様子だった。まだ羽もちゃんとはえていないし、目も十分には開いていなかった。鍛冶屋のふいごがふくらんだり、しぼんだりして上下するように、そのひな鳥の体も脈打つたびに激しく上下していた。ほんの少し手を触れると、首全体を持ち上げて、チイチイと哀れっぽい声で鳴いた。ぼくは、このひなを家に連れて行くことにした。

 ひなを布にくるんで家の中に入った。綿を敷いて、その上にひなを置いた。幼かったぼくたちにいったい何ができただろう。子供の頭で思いつくことを何でも試し始めた。ぼくたちはそのひな鳥に穀物や水を与えた。お米の小さなかけらをくちばしに入れてやったり、小さな吸い飲みで水を1滴ずつ注いでやった。飲み込むことができるだろうかとか、ぼくたちの手当て、つまり、くちばしの中に水を入れたり、穀物の粒を入れたりしたことのために、かえってひなが死んでしまうのではないか、というような考えは、ぼくたちには浮かばなかった。

 この世界で、ただ単に愛情や、哀れみの心があっても十分とはいえない。人生を美しく満足のいくものにするには、3つの徳が必要である。まず最初に愛情、次に知恵、第三に力である。愛情、知恵、力、この3つのものを合わせもっている人は、この世界で何かを成し遂げることができる。

 愛のない知恵は無意味である。知恵のない愛も無駄である。愛と知恵の伴わない力、あるいは力の伴わない愛や知恵も無意味である。体に力があっても、人への愛情がなければ、その力は十分には発揮できないだろうし、知恵をもっていても、人に対して愛情がなければ、その知恵の恩恵を分け与えることはできないだろう。

 また、愛情があっても、知恵がなければ、その愛情もかえって害になるだろう。たとえば、母親が子供を愛していても、その子供が病気の時に正しい看病についての知恵が欠けていたら。その盲目の愛情のために、食べてはいけないものまでも与えてしまうだろう。そして、その愛情のために、かえって子供は死んでしまうかもしれない。もし、母親が愛情も知恵ももっていたとしても、彼女自身が弱くて病気だとしたら、やはり彼女の愛情や知恵の恩恵は、子供には与えられないだろう。

 愛と知恵と力、この3つのものを育てることが人生では必要である。愛情は心の成長、知恵は頭の成長、力は体の成長である。人生において、体と心と頭が3つとも発達していかなければならない。

 ぼくたちはそのひな鳥を愛していた。しかし、ぼくたちには知恵が欠けていた。そのくちばしに小麦やお米の小さなかけらをつめこんだり、絶えず水を注いだりしていた。かわいそうなひな鳥。ぼくたちの無知の愛情のために、容体はますますひどくなった。とうとうひな鳥は頭を垂れた。

「お前をかごに閉じこめたりしないよ。早く良くなって、お母さんのところへ飛んでお帰り。ぼくたちは意地悪なんかしないよ。お前のお母さんのためにも死んじゃ駄目だ。お母さんはきっと悲しげに鳴きながら、ぐるぐる空を舞っているだろう」
 ひな鳥にはぼくたちの言葉など聞こえていなかった。ぼくは母に言った。
「お母さん、このひなを見てよ、どうなっているの。ぜんぜん首を持ち上げないよ。何を食べさせたらいいの?」
 母は、そっとやさしくひな鳥を手にのせて言った。
「シャム、このひなはもう助からないわ。安らかに死なせてあげなさい。いつも、いつも、手を触れたりしてはいけないわ。とても苦しんでいるのよ。よほど高いところから落ちたのね。かわいそうに」
 こう言って、母はそのひな鳥を綿の上にもどして、家の中へ入って行った。

 ぼくたちはそのひな鳥をながめていたが、とうとうくちばしを開いたまま死んでしまった。親鳥も兄弟も、だれもそのひなのそばにいなかった。ぼくたちはとても悲しかった。ぼくたちはひなをちゃんと埋めてあげることにした。

 母のところへ行って、ぼくは尋ねた。
「お母さん、このひなをどこに埋めたらいい?どこか良い場所を教えてよ」
「あのキクのそばか、ジャスミンのそばに埋めなさい。キクは美しい花を咲かせるでしょうし、ジャスミンの花も負けないぐらいにみずみずしく咲くでしょう。だって、あなたたちは二人とも、あのひなに愛情をそそいだでしょう。その愛を、あのひなは忘れないわ。ひなはあなたたちのために、花になって咲くでしょう。そして甘い香りをくれるでしょう」
「あのソーンサーカリーのお話のようだね。ソーンサーカリーの継母ままははは彼女を殺して埋め、その上にざくろの木を植えた。でもソーンサーカリーはざくろの花になって、お父さんに会いに来た。それと同じようにあのひなはぼくたちに会いに来るね、そうでしょ。そうしたらキクの花はどんなに美しく見えるだろう。どんなに匂いがいいだろう。そうでしょ、お母さん」
「さあ、早く行って埋めてあげなさい。死んだ後、長くおいてはいけないわ」
「ひなをくるむために、何か良い布をください」
 とぼくは言った。母は、古いけれども金刺繍のはいったブラウスを持って来て、裂いてくれた。ぼくたちはその絹の布にひなをくるんだ。そして、キクとジャスミンのちょうどまん中に、そのひなのために穴を掘った。ぼくたちの目から涙が流れ、その涙で地面は清められた。掘った穴の中に、花を敷きつめ、その上に布で包んだひな鳥を置いた。でも、その上に土をかぶせることはできなかった。バターよりも柔らかな、美しく小さな体の上に土をかけるなんてできないと思った。しかし、とうとう目をつぶって土をかぶせた。ネコが穴を掘り返したりしないように、上にきれいな石をのせた。そして、ぼくたちは家に入り、部屋のすみに座って泣いていた。
「どうしてそんなすみっこに座っているの?」
 と母が尋ねた。
「お母さん、ぼくはあのひな鳥のために喪に服すよ」
 とぼくが言うと、母はほほえんで言った。
「まあ、おバカさんね、喪に服す必要はないのよ」
「でも、家族のだれかが死んだら、喪に服すでしょう」
「人が何かの病気で亡くなったら、そのそばにいた人たちは何日かのあいだ。他の人たちから離れていた方がいいのです。そうすれば、伝染病の菌は広がらずにすみますからね。だから喪に服す習慣があるのです。でもあのひな鳥は病気だったかしら?いいえ、あのひなはかわいそうに高いところから落ちて命をなくしたのよ」
 母の言葉を聞いてぼくはびっくりして、
「お母さん!だれがお母さんにそう言ったの?」
 と尋ねた。
「この前、ある紳士が家に来た時、ヴェランダでそんなふうに話していたわ。私はそれを聞いて、なるほどと思ったのよ。さあ、手と足を洗っていらっしゃい。それで十分よ。あまり悲しんでばかりいては駄目よ。あなたたちはあのひなをかわいがって、よく頑張ったわ。神さまもあなたたちを愛してくださるわ。あなたたちが病気の時、お母さんがそばにいなくても、だれか友だちを看病のためによこしてくださるでしょう。虫も鳥も動物も、生き物はみんな神さまの子供なの。私たちは、その神さまの子供たちにいろいろなことをしてあげられるわ。そうすれば神さまは、それを100倍にして私たちに返してくださるのよ。1粒の穀物を土にまいたら、1房の穂にして神さまは返してくださるわ。ひな鳥に愛情をそそいだように、これからもあなたたちはお互いに愛情を分け合いなさい。そうでなければ、鳥や動物はかわいがっても、自分の兄弟には憎しみを抱くようになるでしょう。そうなってはいけませんよ。あなたたち兄弟はみな、お互いのことを忘れないでね。あなたたちにはたった1人のお姉さんがいるでしょ。お姉さんのことを決して見捨てては駄目よ。たくさんの愛情をあげなさい」

 母はこう言いながら、涙でのどをつまらせた。ぼくの父に対して、その弟たちがどんな仕打ちをしたかを思い出していたのだろうか。あるいは、母はいつも病身だったのに、彼女の弟たちは1度も転地療養のために、母をどこかへ連れて行くことさえしなかったことを思って、悲しくなったのだろうか。母の気持ちがどんなものであれ、母が言ったことは本当だった。アリには砂糖を与えるのに、人々の首をしめるようなことをする人がいる。ネコやオウムはかわいがるのに、近くにいる兄弟や隣人を愛さないような人をぼくたちはよく見かけるのではないだろうか。