シャムチアーイー 2020/04/12更新

第九夜 聖地巡礼のための家出

 シンハスタ(木星が獅子座の位置に来る特殊な期間)にはナーシクに、カンニャーガタ(木星が乙女座の位置に来る特殊な期間)にはワーイー(ナーシクもワーイーも聖地の名)に黄金の時間が訪れる。この時期には、北方のガンジス川が、南方のゴダワリー川やクリシュナ川と合流するという、美しい伝説がある。ぼくたちのインドでは、自然にさえやさしい感情で接し、人間の家族と同じように見ている。遠くを流れる川さえも、お互いのつながりを知って会いに来るというのに、なぜ人間はお互いの差別意識を忘れることができないのだろうか。マハーラシュトラ人、ベンガル人、マドラス人、パンジャーブ人、外国人などなど、ぼくたちは日常生活の中に差別意識をどれだけ持ち込んでいるだろう。しかし、ぼくたちの偉大な先輩たちは、全インドの統一をいろいろなやり方で、ぼくたちの心に刻みつける努力をしてきた。自分たちの個々の特徴は保ちながら、美しく融和することもできるはずだ。ガンジス川は、海へと流れ込み一体となるが、ガンジス川の固有性は変わらない。異なっているものの中にさえ、共通性を見ることは、ぼくたちの先輩たちの偉大な考えであった。

 その年はカンニャーガタの時期にあたっていたので、ワーイーには何千人もの人々が巡礼に集まっていた。ぼくたちの小さなパールガド村は、ワーイーから遠く離れていたが、それでも牛車を仕立てて、たくさんの人々が巡礼に出かけていた。母のおじ夫婦、その他、村のたくさんの人がワーイーヘ出かけることになっていた。

 パールガド村からケッド村へ、そしてチプルーン村へと宿を取りながら、牛車は進む予定だった。途中、森の中で休むこともあれば、川の岸辺で野宿することもある。スープやご飯をこしらえて食事をして、そしてまた出発する。このようにしながら、人々は巡礼することになっていた。

 このような旅にはたくさんの楽しみがある。自動車で急いで通り過ぎても、何が味わえるだろう。母なる自然のひざの上に寝ころがったり、座ったり、遊んだりすることの幸せを、どうして味わうことができるだろう。自然はぼくたちの母だ。この母をあわただしい気持ちでながめて、何の意味があるだろう。母なる自然のそばにのんびりととどまろう。

 牛車の旅にはたくさんの楽しみがある。夜ともなると楽しみは倍になる。夜は静かな時間だ。木木のあいだから天空の星々や月がしばしばのぞき込み、雄牛の首につけられた鈴の音は、夜の静けさの中で、やさしく響くことだろう。もしかしたら、途中でトラが現れるかもしれない。その両眼は火のようでもあるし、星のようでもある。こんなことが、牛車の旅では経験できる。

 ぼくは子供のころから信仰心がとても厚く、自分もみんなと一緒にワーイーヘ行きたかった。ぼくは母にしつこく、行かせてくれるようねだった。しかし、だれもぼくの言うことを聞いてくれなかった。ぼくはとても悲しかった。

「お母さん!ぼくを行かせてよ。ぼく、途中で駄々をこねたりしないよ。水の深いところへも行かないから。おじさんの言う通りにするよ。お父さんに話してよ。そうしたら、お父さんは駄目だとは言わないよ。お母さん!聖典の中に沐浴の大切さが書かれているよ。だからぼくはマーガスナーン(ヒンドゥー暦11月の聖なる沐浴)もカールティックスナーン(同じく8月の聖なる沐浴)も、何でもしたんだよ。ぼくにガンジス川の水で沐浴させてよ。子供に徳のある人になってほしくないの?」

「シャム、どうしても今でなければ駄目だとでも言うの?大きくなってから、ガンジス川やゴダワリー川に行きなさい。今、私たちは貧乏です。少なくとも、5ルピーか6ルピーはあなたのために出さなければならないわ。そのお金をどこから持って来ればいいの。両親の言いつけは、そのままあなたにとってクリシュナ川であり、ガンジス川なのよ。プンダリーカ聖人は、神さまが目の前に現れても、両親の足をもむのをやめて立ち上がったりはしなかったわ。聖人は両親の足をもみ続けましたよ。そうでしょ」

「お母さん!ドゥルワ聖人は両親のもとを離れて行ったよ。聖典には2通りの聖人のかたちが書かれているよ。未来のことを見た人はだれもいないんだよ。良いことをしようと思い立ったら、すぐに実行すべきなんだ。良いことをするのにぐずぐずしてはいけないと、神さまの物語にも書いてあったでしょ。お母さん、行ってもいいでしょう?おじさんに頼んだら、ただで連れて行ってくれるよ。お金を持って来なさいなんて言わないよ」

「いいこと。おじさんがお金を受け取らないのは、おじさんの心が広いからなのよ。でも、そんなに肩身のせまい思いをしてまで行きたいの?他の人に負担をかけていいと思うの?他の人を犠牲にして神さまを礼拝することはできないわ。他の人が植えて育てた木の花を摘んで、神さまにお供えしても何の意味もないわ。自分で働いて、自分で手に入れて、そして神さまに差しあげるのが本当なのよ。行きたいのだったら、歩いて行きなさい。それだけの勇気がありますか」

「お母さん。ぼくは疲れてしまうよ。6コース(1コースは約4キロ)ぐらいなら歩けるかもしれないけど、でも、それから先はどうしょう。ひとりぼっちになってしまう。怖いよ、それに、牛車のそばにくっついて歩いていたら。みんなは気の毒がって、ぼくを牛車に乗せようとするだろう。ぼくはみんなにわからないように歩かなければならないけれど、やっばり、一緒についていってくれる人がいなけりゃ、行けないよ。それに40コースも、50コースもある道のりをどうして歩いて行けるだろう」

「ドゥルワ聖人のことを、あなたはいつも言っているわね。ドゥルワ聖人は怖がったりはしなかったわよ。神さまに近づこうとして出かけた人に、どんな恐れがあるかしら。コブラもトラも道案内をしてくれるわ。決して、かみついたりはしないわ。疲れて、道で眠ってしまって、熱い日射しが直接、顔にあたっていたら、コブラは頭をふくらませて日覆いになってくれるでしょう。のどが渇いたら、小鳥たちがくちばしで水を運んで来て、口の中に入れてくれるでしょう。おなかがすいたら、母牛がやって来て、口の中にお乳を注いでくれるでしょう。神さまに会うために出かけた人にとっては、すべてのものが友だちだし、すべてのものが道連れなのよ。あらゆるものが助けてくれるし、応援してくれるわ。あなたにドゥルフ聖人はどの深い信心がありますか?あれほどの熱意がありますか?まあ、どうしたの。なぜ泣いているの。私たちには力がないわ。あなたはまだ小さいし、私たちは貧しいのだから。さあ、おバカさん。駄々をこねては駄目よ」

 ぼくはとても悲しくなった。巡礼に行く人々は、夜明けと同時に出発することになっていた。ぼくは、その牛車の後から、彼らに見えないようについて行こうと思っていた。ぼくは疲れて、へとへとになるだろう。おなかもすくだろう。いろいろな心配が心に浮かんだ。水を飲めばいい、木の葉をひきちぎって食べればいい。山羊は草を食べて生きているんだから、ぼくだって生きていけるだろう。チンツーやカルワンダの柔らかい葉を食べようとぼくは計画を立てていた。夜、こんなことを考えながら、ぼくは、いつの間にか眠ってしまった。

 ぼくが目を覚ました時には、牛車はみな出た後だった。その日は土曜日だったので、学校に行かなければならなかった。ぼくはすばやくトイレをすませて顔を洗い、沐浴をした。そして朝のお勤めと礼拝をした。トゥラスの木に水をやって、石板と学校カバンを持って、外に飛び出そうとした。

 母がびっくりして言った。
「まあ、どうしてそんなに急いでいるの。パンギー(インド風パン)をこしらえているのよ。これを食べてから学校へ行きなさい。バニャーもバープーもまだ出かけてはいないでしょ。ちょっと座りなさい」
 ぼくは腹を立てて言った。
「バンギーなんていらないよ。食べ物はくれても、ワーイーヘだけは巡礼に行かせてくれないんだね。ぼくはワーイーヘ行きたいんだよ。食べ物なんていらないよ。ぼくは学校に行くよ」
「今度、食べ物が欲しいなんて言っても知りませんからね。何もかも自分の思い通りにならないと気がすまないのね。おいしいパンギーをあげようと言っているのに、いらないって言うのね。お昼も食べなくていいわ。食べ物は欲しくないって言うんですからね。何日食べずにいられるか見てますよ。シャム、もどって来なさい。お母さんの言うことを聞きなさいと、いつも言われているでしょ」

 しかし、ぼくは言うことを聞かずに、さっさと歩いて行ってしまった。学校へ行く途中にあるガナパティー神のお寺に入って、ぼくは礼拝をした。そして、「神さま、ぼくの決心を実現させてください。ぼくを守ってください」とお祈りした。

 ぼくが学校に着いた時は、まだだれも学校に来ていなかった。学校はまだカギがかかっていた。ぼくはカバンを学校のヴェランダに置いて、だれにも見られないようにすばやく走り去った。ぼくは村のはずれの川を渡り、三叉路に出た。ひとつはダーボリーヘ、もうひとつはケッドヘ行く道だった。ぼくはケッドヘ行く道を歩き始めた。

 夜明けに出発した牛車は、もうはるか遠くへ行ってしまっていた。その牛車に、ほんの10か11の子供がどうして追いつけるだろう。ぼくは自分のことがよくわからないでいた。すでに暑くなり始めていて、ぼくは疲れてきた。涙がひとりでにほおを伝って流れていた。家に帰るのも恥ずかしかった。しかし、家に帰るのでなければ、どこへ行けばよかったのだろうか。森のどこに野宿すればいいんだろう、そしてどのくらいのあいだ、そこにいられるだろう。

 とうとうぼくは引き返した。涙がぽろぽろとこぼれたが、太陽の強い日射しにあたって、あっという間にかわいていった。まるで太陽の光がぼくの涙をふいているかのようだった。太陽は頭の真上に来ていた。ぼくは汗びっしょりになっていた。おまけに朝から何も食べていなかった。

 ぼくは村に入るのが恥ずかしかった。自尊心は言っていた。「村へ帰ってはいけない。家に戻ってはいけない」と。おなかの虫は言っていた。「家へ帰ってください」と。家に帰らないことが誇りになるだろうか。どうして両親に自尊心を見せる必要があるだろう。愛情をそそいでくれる人たちの前に自尊心をふりかざすことは、その愛情を侮辱することだ。

 村に入る勇気が、ぼくにはなかった。村のはずれの川の岸にゾラーイー女神のお寺があった。これはぼくたちの村の女神だった。

 女の人たちはお産の後、赤ん坊を連れてゾラーイー女神のところへ行く。そしてもヤシの実や絹をお供えする。それから、結婚した娘が、婚家から里帰りをした時も、ゾラーイー女神におまいりする習慣がある。

 ぼくはそのゾラーイー女神のお寺に入った。その女神像の後ろはとても暗かった。ぼくはその暗がりの中に隠れて座った。

 しかし、どれくらいのあいだ、座っていられるだろう。おなかはグウグウ鳴っていた。とうとう、ぼくは恥ずかしさなど、どうでもよくなった。自尊心も押しのけ、お寺からそっと外へ出て、村へ行く道を歩き始めた。ぼくは首をうなだれて歩いていた。足は焼けるように痛んでいたし、心も焼けるようで、涙もぽろぽろとこぼれていた。目は涙でいっぱいだったので、前の方は何も見えなかった。その時、ぼくの手首をだれかがつかんだ。

「お前はいったい、どこにいたんだい。どれだけ捜したかわからないよ。今に首に縄でもつけとかなければならないな」
 こんな言葉がぼくの耳に聞こえた。それはぼくのおじの声だった。村では、おじや父や家の者や近所の人たちが、みんなでぼくを捜していた。子供たちがぼくの石板とカバンを家に持って来たので、その時、ぼくが行方不明になったことがわかったのだった。

 その前の日、ぼくの先生は、速記がうまく出来ていないと言って、ぼくをたたいた。この先生は、生徒をぶつのがとても好きだった。彼はニガディと呼ばれる木の枝を何束も手元に置いていて、子供たちを家畜のようにたたいていた。傘の鉄の骨で子供たちの手のひらや指の関節をたたいた。彼はいつもガーンジャー(大麻のようなもの)を吸っていて、酔っ払ったような状態で学校へ来ていた。彼がどこか別の学校に転勤して出て行きますようにと、ぼくたちは神さまにお願いしていた。

 ぼくが家出をしたので、彼は心配になってきた。自分がたたいたために、こんなことになってしまったと思って、少し恐ろしくなっていた。井戸に身投げなどしないだろうか、などと心配していた。

 学校が終わってから、父が子供たちに尋ねた時、クラスの子供たちは、前の日に速記のことでぼくがぶたれたことを話した。父も、ぶたれるのが怖くてぼくが家出したのだと思った。父はぼくを毎日、朝早く起こして書き取りやお手本を写させたりして字の練習をさせていた。ぼくは字が上手になるようにいつも努力していた。

「先生は理由もなしにシャムをひどくたたいたんだな。あの子はどこに行ったんだろう。何か起こったら、もしものことがあったら……」
 近所の人たちはこんなふうに言い始めた。

 父は先生のところへ行って、きびしく追及した。先生は言った。
「今日から、あなたの子供さんには指一本触れないようにしましょう。それでいいですね。生徒たちにもっといい子になってもらいたいと思って、手を上げているんですよ。私に何の得がありますか。もうあなたの子供さんをたたいたりはしませんよ」
「二度とたたかないだって。まず、あの子が見つかるようにしてはしいものですね」
 家ではまだ。食事もすんでいなかった。母は、ぼくがワーイーヘ行くために家出したのではないかと考えていた。しかし、口には出さなかった。そんなことがあるはずがない、という気持ちもあったのだ。

 おじがぼくの腕をつかんで連れて帰る途中、道には子供たちが大勢いた。どろぼうを見るために野次馬が群がるように、子供たちはぼくを見るために集まって来ていた。

 父はぼくのことを少しもしからなかった。怒っている場合でもなかった。ぼくはひどく疲れていたので、家に帰るとすぐに、ベッドに横になった。

 しばらくしてから、父が来て言った。
「シャム、さあ、起きなさい。もう先生はたたいたりしないからね。それにしても、先生がぶったからって、家出することはないだろ。お父さんの時代には、子供を逆さにつるして、下からはトウガラシをいぶして、上からはむちの雨が降ったものだよ。ぶたれるのが怖くてどうするんだ。先生というのはぶつものなんだ。ぶたない先生なんて、いやしないよ。さあ、起きて、手と足を洗いなさい。顔がどんなになっているか見てごらん。マンゴスティン(果物の名)のように真っ赤だよ。お母さん。いちばん先に、シャムのご飯を用意してやりなさい」

 ぼくは起き上がって手と足を洗った。ぼくが家出をした責任が、先生の方にいったらしいのを知って、ぼくは気分が少し楽になった。これからは、先生もぶつのを控えるだろうと思った。ぼくのおかげで、先生も慎重に行動するようになるだろう。そして、他の子供たちをぶつ時も、手加減をするだろうと思ってうれしくなった。

 ぼくが家出をした本当の理由を、3人の人が知っていた。ぼくと母と神さまだ。ぼくは食事をして、もう一度眠った。ひどく疲れていたし、日射病にもかかっていた。夕方になって、ランプに灯をともす時刻になってもぼくは眠っていた。

 母はぼくの額に手をあて、ぼくを呼んだ。目を開けると、母はぼくの体の上に手をのせて、やさしく言った。
「シャム、気分が悪いの?体が痛んでいるの?私があんなに言ったのに、言うことを聞かなかったのね」
 こう言って、母はぼくの体をもんでくれた。突然、ぼくは頭を母のひざの上にのせて、泣き始めた。ぼくは涙を必死でこらえながら母に言った。
「お母さん、ぼくはお母さんの言うことを聞かなかったんだ。こんなふうに家出をしたので腹を立てているんでしょう。先生がぶったから逃げたんじゃないよ。お母さんもときどきぼくをぶつけど、だからって、ぼく、家出なんてしたことがある?お父さんはぶたれたから家出したと思っているんだよ。お母さんが昨日言ったでしょ。“行きたいのだったら、歩いて行きなさい。それだけの勇気がありますか?”って。お母さん!ぼくは歩いてみたよ。でも力の及ばないことをやろうとしていたんだ。ドゥルワ聖人と、バカなシャムとでは、なんという違いだろう。お母さん、シャムを怒らないでね。シャムはかんしゃくもちで頑固で、思いついたことを何でもやろうとするよ。そしてこんなふうに失敗して、泣いているんだ。怒っているんじゃないでしょ。お母さんの言うことを聞かないで、家出をしたといって怒っているのではないでしょう?言ってよ、お母さん。違うと言ってよ」

 ぼくの顔をやさしくなで、ぼくの涙をふいて母が言った。
「シャム、どうして私が怒るの?あなたが家出をしたからといって、悲しくもなかったわ。ただ、あなたの身が心配で、気が気ではなかったの。あなたは小さいし、あなたがどんな目にあうかと思うと、涙が出てきたの。昨日、私があんなことを言ったものだから、それが原因だと思って悲しかったのよ。でも、あなたが、家出をした、悪いことをする子だなどと思って悲しかったのではないのよ。

 シャム、あなたは悪いことのために家出をしたのでは決してないわ。このあいだ、村のどこかの子は、劇団について行くために家出をしたわ。あなたも同じかしら。いいえ、あなたは神さまのために家出をしたのだわ。ガンジス川で沐浴をするために、家出をしたんでしょ。どうして私があなたを怒るの?坊や、私はあなたのことを誇りにさえ思うわ。私のシャムが家出をしたのは、神さまのためですと、私は誇りをもって言うわ。シャム!ひとつだけ覚えていなさい。あなたのお母さんの言うことをひとつだけ覚えておきなさい。盗んだり、人の悪口を言って、逃げてはいけません。悪い仲間に入るために家出をしてはいけません。何かを怖がって逃げてはいけません。でも神さまのために家を出るのなら、行きなさい。聖人といわれる人たちも、みんな同じことをしました。神さまのために、私の子供が家を出ますようにと、私は祈りさえします」