シャムチアーイー 2020/04/26更新

第十一夜 新しい体と新しい心

 ぼくはその時11歳だった。初め、ぼくは英語を勉強するためにプーナのおじのところに預けられていた。ぼくの兄はそこで勉強していた。しかし、ぼくはおじの家での生活に耐え切れずに、2、3度、おじの家から逃げ出した。いろいろなうそをついたり、他の人を困らせたりした。とうとう、こんなやっかいな甥は家においておけないということになり、おじはぼくを家に送り返した。

 その時のぼくの家のありさまは、全くひどいものだった。父はスワデーシー運動(独立運動の一つで、国産品だけを使おうという運動)で起訴され、刑を終えて監獄からもどって来たばかりだった。父はかなり衰弱していたので、遠い海辺にある親戚の家に、静養のために出かけていた。姉は里帰りをしていた。ほんの数日のあいだ、里で楽しく過ごそうと帰って来たのだが、彼女は重い病気になってしまった。母がすべての仕事を引き受けなければならなかった。そのころ、家には使用人など1人もいなかった。姉の病気は悪化していた。

 そんな状態の時に、ぼくはプーナから帰って来たのだった。だれもぼくのことなど気にかけてくれなかった。ぼくはみんなから疎んじられた。だれもが姉を愛して、大事にしていた。

 姉には乳飲み児がいたが、その女の子、ラングーも、その時とてもかわいそうだった。というのは、母乳がもらえなかったからだ。その柔らかな体を母親の手で触れてもらうこともできなかった。姉はチフスにかかっていたので、彼女の乳を飲ませるのは危険だった。母乳も毒を含んでいるからだ。それで、その小さなラングーも愛に飢えていた。

 ある日、姉はうわ言を言った。婚家での苦労を、彼女は1度も里で言ったことはなかった。しかし、心の中にたまった苦悩を、うわ言の中ですべてしゃべってしまった。意識のない状態で、彼女は胸の中のすべてのものを吐き出すようにしゃべっていた。それを聞いて、母はひどく暗い気持ちになった。あれだけたくさんの費用をかけて結婚させたのに、どうして婚家では、こんなひどい仕打ちをするのだろう、と母は思った。

 バーウバンドキー(兄弟仲の悪さ)と同じように、サースルワース(嫁いびり)もインドの悪い因習である。よその家から来た嫁の本当の両親になることは、真の意味で舅姑の義務である。しかし、彼らは奴隷のように働かせることのできる女中が来たと思うのだ。サースルワースという言葉はすべての歴史を物語っている。嫁たちは民謡をうたう。その中には嫁いびりの描写がある。

舅姑の言葉は苦いヒョウタンのつるのよう
どんなにしても甘くはならない
舅姑の言葉は絹糸のもつれのよう
昼も夜も私を苦しめ悩ませる

 このように、民謡の中には悲しい絵が描かれている。これらの民謡は、女の人たち自身が作ったものだ。彼女たちは、自身の境遇のみじめさをうたったのだ。ヒョウタンの苦い蔓、絹糸のもつれなどのたとえは、女の人たちだけに思いつくものだ。人間性の基本さえ、まだ、人々は学ぶ必要がある。

 姑は嫁をいじめる。そして、その嫁が姑の立場に立った時、また同じことをする。まるで先祖からのいじめの伝統を、永久に守らなければならないかのように。姑の時代が終われば、嫁の時代が来る、ということわざまである。教師が子供たちをぶつ。すると、子供が後に教師になった時、やはり同じことをする。それと同じことだ。「私たちだってぶたれたんだから、私たちもぶつんだ」。これは多くの教師たちの答えだ。

 子供たちが遊んでいる時、注意して見てみよう。もしも女の子たちが嫁姑ごっこをしていたら、嫁の役をしている女の子の髪をひっぱったり、彼女の手に焼きごてをおしつけるまねをしたり、古くなった食べ物を食べさせるようないじめを見ることができるだろう。男の子たちの学校ごっこを見てごらん。柱を生徒に見たてて、それをひどくたたいている。「また騒ぎを起こす気だな。もっとぶとうか」などと言いながら、子供たちは教師になったつもりで柱を激しくたたいている。ぼくの姉に男の子がいるが、その子がまだ5つか6つのころ、ぼくに言った。
「お兄ちゃん、ぼく、学校の先生になりたいよ。そうでなかったら、兵隊さんになりたいよ」
「その2つの仕事をどうして特別に選んだの?」
「だって、だれでもたたくことができるんだもの。ぼく、みんなをたたいて回るんだ」
 教師とは、だれかれなしにたたいてよい職業だと考えているようだ。だからこそ、学校といえば、嫁入り先でと同じ苦労をするところという意味になってしまった。学校も婚家も、里にならなければならないんだ。

 ぼくはまた脱線してしまったらしい。でも、こんな話をしていると、つらくて胸が燃えるような気がして、つい熱がはいってしまうんだ。基本的な人間性さえ、ぼくたちはもちあわせていないんだ。動物や鳥、毛虫やアリ、木々さえも愛さなければならないと教えるインドの気高い文化……。その文化の後継者たちは今、なんと愚かになっているんだろう。根本的な人間性さえ忘れてしまっているのを見て、心臓が燃えるようだ。心臓がしめつけられるようだ。でも話をもとにもどそう。

 昼食をなんとか終わらせて、家の者はみな姉のそばに座っていた。銅製の皿に冷たい水を入れて、姉の額にのせて支えていた。村には氷嚢ひょうのうなどどこにもなかったし、湿布薬もなかった。だれの顔もひどく青ざめていた。母は突然、何を思ったか、ぼくにお皿を支えておくように言いつけて、立ち上がった。それから、神さまのところへ行って、神さまに向かって言った。

「神さま、シャンカラ神よ、私は3日間、あなたのお寺へ行ってあなたのピンディー(シャンカラ神の象徴)にヨーグルトとご飯をお供えします。娘の病気をなおしてください。熱を下げて、体のほてりを鎮めてください。熱がどうか引きますように」
 母は姉の病気をなおすために努力し続けた。努力とともにお祈りも続けた。母は神さまを信じて、昼も夜も看病し続けた。ぼくたちは何かをする時、精神を集中して、神さまの力を自分の中にもって来る必要がある。
「揺りかごの中のラングーが目を覚ましたわ。さあ、抱いて外へ連れて行ってちょうだい。ここで泣かせては駄目よ」
 と母はぼくに言った。

 ぼくは立ち上がって、姉の赤ん坊を肩にのせるようにして抱いて、あやしながら外へ出た。ラングーをあっちこっちへ連れて行ったが、しばらくしてぼくは疲れたので家に入った。

 もう夕方になっていた。表では、女の人たちが米の脱穀をしていたが、脱穀が終わったので、母は米の重さを計って、受け取らねばならなかった。しかも、牛が小屋に帰って来る時刻だった。牛飼いは、「牛が帰って来たよ」とだけ叫んで帰ってしまう。その牛たちをつながなければならなかった。そんな忙しい時に、ぼくまでがラングーを家に置いて、外へ出て行ってしまった。

 小さなラングーは泣き始めた。彼女は母親を恋しがって泣いていたのだろうか。母親の愛情あふれる手で、触ってもらいたいと思って泣き出したのだろうか。母親にやさしく見つめてもらいたかったのだろうか。彼女はまだしゃべれなかった。小さなかよわい生命!彼女の母親はベッドの中で苦しんでいた。ときどき、うわ言も言っていた。ラングーは、もう2日間も母親の顔を見ていなかった。彼女の魂は母親に会いたいと叫んでいたのだろうか。心でこう叫んでいたのだろうか。
「お母さんのそばに私を連れて行って。ほんのちょっとでいいから、お母さんの腕の中に私を置いて。お乳はいらない。何もいらないわ。私はお乳を欲しがっているわけではないの。お母さんのほっそりとした手が私に触れさえしたら、私にはお乳と同じくらい栄養になるのに」
 泣きながらこのように訴えていたのだろうか。彼女の泣き声の中の言葉を、だれが理解できただろう。赤ん坊の心や魂をだれが理解できただろう。ラングーはひどく泣き始めた。とても苦しそうに泣き叫んでいた。

 ぼくの母は何をすればよかったのだろう。脱穀した米を計って受け取るべきなのか。ランプに灯をともして神さまやトゥラスの木にささげるべきなのか。牛たちをつなぐべきなのか。乳をしぼるべきなのか。それとも、せんじ薬を作るべきなのか、夕食を作るべきなのか。それともラングーをあやすべきなのか、あるいは、姉の看病をするべきなのか。彼女に千本の手があっただろうか。

 母親とはなんと偉大なのだろう。こんなにもたくさんのつらい仕事に耐えうるのは、女の人たちだけだ。女の人たちは数限りない苦労を耐え忍んでいる。インドの女の人たちの勤勉と寛容は、母なる大地にのみたとえることができるだろう。そんな気高い女の人たちが住んでいる家を、ぼくは、聖なる場所、神さまのお寺だと思う。そんな女の人たちこそ女神なのだ、とぼくは思う。そして彼女たちの足もとに自然に頭が下がる。これ以上のお寺をぼくは知らない。

 しかし、母の寛容と忍耐にも限界があった。母は腹を立てて、気が動転していた。
「あのいたずら者はどこに行ったの。ただ食べるだけなんだから。縦の物を横にすることもしない。プーナで面目をつぶしておきながら、今度は母親を悩ませるためにここに帰って来たのね。ちょっと赤ん坊をあやすよう頼んだら、エランダの木のようにふくれてしまった。3度の食事だけはちゃんと欲しがるくせに、何の役にも立たないのね。シャム!いたずら者のシャム!ちょっと赤ん坊を抱き上げてちょうだい。ごらんなさい、赤ん坊はこんなに苦しそうじゃないの。息がつまりそうになっているわ。シャム、あなたは死なないわ。あなたはいつも私を苦しめるためにいるんだから」

 ぼくは母の言葉を聞いていた。しかし、最後の言葉は、ぼくの胸を鋭く刺した。ぼくは泣き出した。泣きながら、ラングーを抱き上げて表に出た。ラングーを胸に抱いてシュローカを口ずさんだり、ラームラクシャーを暗唱したりした。彼女を抱いて、いつまでも庭を歩いて回った。ラングーは、ぼくに抱かれたまま寝入ってしまった。

 母の言葉でぼくは目が覚めた。何のために生きるべきなのかがわかった。火打ち石は、互いに打ち合わせなければ火花は出ない。ぼくの生命に火花が起こった。輝きと光が生まれた。徳のある人はいつも世の中に求められる。徳のないつまらない人間など何の意味があるだろう。自分は全く役に立たない、自分の生命は他の人みんなにとって重荷でしかない、みんなにとって迷惑でしかない、とぼくはその日思った。

 ぼくの人生はその日から一変した。新しい道が開けてきた。どんな事が起こるにも、きっかけが必要だと言われるのは本当のことだ。ぼくもその日、神さまにお祈りをした。空に輝く星を見ながら、ぼくはお祈りをした。

「神様!ぼくは今日から、良い人間になるよう努力します。ぼくのこの決心を喜んでください。ぼくをいい子にしてください。そして、お姉さんも元気にしてください」

 その日から、姉の病気は快方に向かい、しばらくすると、完全に回復した。彼女は体が良くなり、ぼくは心が良くなった。2人とも、生まれ変わったのだった。姉は新しい体をもらい、ぼくは新しい心をもらったのだった。