シャムチアーイー 2020/05/31更新

第十六夜 ガネーシャチャトゥルティーの贈り物

 英語学校に通うようになってから、何度目かの5月の休暇が終わって、ぼくは再び勉強のためにダーポリーヘもどった。学校が始まり、雨季も同時に始まった。雨雲がやって来て、熱い大地を潤し始めた。熱された土の上に雨が落ちると、なんと良い匂いがするのだろう。雨が降り出す時、土のすばらしく美しい匂いがする。そんな時、 「香り豊かな大地」ガンダワテイー プルトウウイー というサンスクリットの言葉を思い出す。花や果物の香りや独特の味わいは、大地の中から生まれ出るのだ。

 家からダーポリーにもどる道すがら、ぼくはひとつの決心をしていた。休暇で家に帰っている時に、ある日、弟が新しいシャツが欲しいといって駄々をこねていた。母は弟をなだめながら言った。
「あなたのお兄さんたちが今に大きくなって、仕事をもつわ。そうしたら、半年ごとに新しいシャツを作ってくれるようになるわ。だから駄々をこねないでね」

 ぼくの子供のころは、みんなあまり洋服を持ってはいなかった。シャツでさえ、1年か、2年ごとにしか作ってもらえなかった。冬の寒い時でも、ドーティを重ねて、首にまいて学校へ行った。マフラーなどはなかったからだ。上着もなかったし、暖かなコートもなかった。

 ところが、現在の町の生活のぜいたくぶりはどうだろう。いなかにいてさえ、たくさんの洋服を必要とするようになった。風や光が体に当たれば当たるほど健康のためには良いのだが。ぼくたちは母なる自然が体に触れるのさえ許そうとしない。そして、ついには、いろいろな病気にとりつかれることになる。

 弟のシャツは破れていた。母はあちこちに布を当てて、繕っていた。ぼくは弟のために、新しい服を仕立ててやろうと決心していた。しかし、お金はどうしたらいいのだろう。

 そのころ。ぼくの父は土地所有に関する裁判のために、しばしばダーポリーに来ていた。貧乏になってしまっても、裁判は終わらなかった。父はダーポリーに来た時には、おやつを買いなさいと言って、1アナー(1アナーは16分の1ルピー)か2アナーのおこづかいをくれた。けれどもぼくは、おやつのための1パイサ(1ルピーの100分の1)でさえ、使うまいと決心していた。

 ジェーシュタの月(ヒンドゥー暦の3月)に学校は始まった。ガネーシャチャトゥルティー(注1)まで、あと3か月だった。その3か月のあいだに、おこづかいがちょうど1ルピーたまりますように。ガネーシャチャトゥルティーの贈り物として、弟にコートかシャツを仕立ててやろうと心に決めていた。

 ガネーシャチャトゥルティーが近づいていた。ぼくの手もとには1ルピーと2アナーがたまっていた。ガウリーガナパティー(注2)のお祭りに、人々は新しい服を作る習慣がある。ぼくたちの村でも、両親が子供たちに新しい服を仕立てるだろう。しかし、弟にはだれが仕立ててくれるだろう。弟には、ぼくが仕立ててやろうと思った。

 ぼくは、弟と同い年の子供を連れて、仕立て屋に行った。そして彼の体にぴったりのコートを仕立てるよう注文し、2ヤードの生地と半ヤードの裏地を買った。コートが仕立て上がった時、その費用は手もとのお金で十分だった。

 そのコートを手にした時、ぼくの目は涙でいっぱいになった。新しい服に、ぼくは聖なるクンクーをつけた。しかし、愛情にあふれた涙が、すでにコートを濡らしていた。

 ぼくは家に向かって出発した。雨がひどく降っていたので、ぼくがお世話になっていた家の人たちは、心配して言った。

「こんなにひどい雨の中を行ってはいけないよ。水があふれて、ピサイ水路も、ソンデガル水路も渡るところがないだろう。言うことをお聞きなさい」

 ぼくはだれの言うことも聞かなかった。心の中では愛の洪水が起こっているのに、どうして川などを恐れるだろう。

 新しいコートの包みを持って。ぼくは帰路を急いだ。翼があったなら、すぐにも飛んで行っただろう。歩いて行くことのつらさも感じなかった。ぼくは母の喜ぶ顔を思い起こし、幸せを夢見て、うっとりしていた。

 その時、1ぴきのヘビがぼくの足もとからはねていった。ぼくは少し怖くなって。気をつけて歩き始めた。

 ピサイ水路は、水が両岸からあふれ、流れもとても速かった。母の名を唱えながらもぼくは水の中に入った。手に棒きれを持って、まず棒きれで川底を確かめてから、足を踏み出した。ぼくは何度も流されそうになった。どのようにして川を渡り切ったかは、神さまだけが知っている。ぼくの心の中の愛が、ぼくを救ってくれた。水路は他の川に愛情をこめて会うために流れている。その水路が、どうしてぼくを溺れさせるだろう。ぼくは弟に会うために帰っていた。ぼくは水路を流れる水と同じように、必死に急いでいた。水路と同じように、ぼくの心も愛情にあふれていた。

 埋まっていた道の石が、雨のためにゴツゴツと現れていた。とがった石が足を刺したが。ぼくは気にもとめなかった。暗くなる前に、家にたどり着こうと必死だった。しかし、途中ですっかり暗くなってしまった。空では雷が大きな音をたてて鳴り、稲光が走っていた。水の流れも速かった。それら5元素(地・水・火・風・空)の踊り狂う中を、ぼくは歩いていた。

 やっと家に着いた時には、すでに全身びしょ濡れになっていた。「お母さん!」とぼくは外から母を呼んだ。戸外はひどく寒かった。

「お兄ちゃんが帰って来たよ。お母さん、お兄ちゃんだよ」
 と言って、弟が戸を開けてくれた。二人の弟がぼくを迎えてくれた。
「こんなに雨が降っているのに、シャム、どうして帰って来たの。びしょ濡れじゃないの」
 と、ぼくの姿を見て心配そうに母が言った。
「ソンデガル水路の水はあふれていなかったかい?」
 と父が尋ねた。
「あふれていたけれど、なんとか帰って来ることができました」
 とぼくは言った。
「いつか、あの水路で、女の人が流されて溺れたんだよ」
 と父が言った。
「ガナパティー神のお慈悲だわ。さあ、その服を脱いで、熱いお湯で沐浴をしなさい」
 と母が言った。

 ぼくが沐浴をしているあいだに、弟はぼくの持って来た小さな包みをほどいた。小さな子供には、こんな癖がある。子供たちは、自分のために何かおみやげがあるのではないかと思うのだ。でも、ぼくには弟たちにいったいどんなおみやげを持ち帰ることができただろう。お菓子やおもちゃやきれいな絵本をおみやげにすることなどできはしなかった。ぼくは貧しかった。

 しかし、弟は、その包みの中に何かを見つけた。包みの中にはコートが入っていた。新しいコートだった。それはただのコートではなく、ぼくの心であり、愛であった。それは、母の教えが実を結んだものだった。

「お兄ちゃん、この小さなコートはだれのなの?この新しいコートはだれのなの?」
 弟はコートを持って、ぼくのところに来て尋ね始めた。
「後で教えてあげるから、それを持って部屋に入ってなさい」
 とぼくは言った。
「お母さん、このコートを見てよ。これはお兄ちゃんには小さすぎるよ。これはきっとぼくのだよ。そうでしょ、お母さん」
 弟は、今度は母に尋ね始めた。

 母はかまどのそばに座っているぼくに、着替えのドーティを手渡しながら言った。
「シャム、このコートはだれのなの」
「プルショッタムのために仕立てたんだ」
 とぼくは言った。
「お金はどうしたんだい。だれかに借りたのかい。それとも授業料を使ったのか」
 と父が尋ねた。
「他の人のお金を盗んだりはしないわね」
 と母が恐る恐る尋ねた。
「お母さんはいつも言っていたでしょ。決して人のものを盗んだりしてはいけないって。それをぼくが忘れたりすると思うの?それに、ぼくは借金なんてしないよ。盗んでもいないし、授業料を使いこんだりもしていないよ」
「それじゃ、つけで仕立てて来たのかい、シャム?」
 と父が尋ねた。
「お父さんは、ときどきぼくにおやつを買いなさいと言って、おこづかいをくれたでしょ。それを使わずに貯めたんだ。この2、3か月、ずっと使わずに貯めたんだよ。そのお金でこのコートを仕立てたんだ。お母さんはいつもプルショッタムに言っていたでしょ。“あなたのお兄さんたちが大きくなった時に、新しいコートを仕立ててくれるでしょう”って。ぼくはその時、決心したんだ。ガネーシャチャトゥルティーのお祭りに、新しいコートを持って帰ろうって。プルショッタム、着てごらんよ」

 プルショッタムはうれしそうに袖を通して言った。
「お兄ちゃん!見てごらんよ。ほら、ぴったりだよ。それに、内ポケットまであるよ。もう、鉛筆をなくしたりしないね。お母さん、見てよ」
 ぼくの話を聞いて、母は涙ぐんで言った。
「シャム、あなたはまだ小さいし、お金もたくさん持っているわけではないけれど、心はもう大人のように成長したのね。この愛を、これからも大切にしてね。神さま、この愛をだれもねたんだりしませんように」

 父もぼくをやさしく抱き寄せた。父は何も言わなかったが、その抱擁がすべてを語っていた。父の思いがこもっていた。
「お母さん、これにクンクーをつけようか?」
「プルショッタム、今日はたたんでおきなさい。明日クンクーをつけて、神さまにおまいりをして、それから身につけなさい。新しいコートを着て、ガナパティー神を迎えに行きなさい」

注1 ガネーシャチャトゥルティー ヒンドゥー暦の6月4日に祝われる祭り。ガネーシャ(ガナパティー)の像を家に飾り礼拝し、祭りが終わるとその像を川や海に流す習慣がある。

注2 ガウリーガナパティー ヒンドゥー暦の毎月4日に、結婚生活の幸福を願ってガウリー女神とガナパティー神に礼拝する祭り。6月4日は、ガウリーガナパティーとガネーシャチャトゥルティーが重なる。