今夜も、アーシュラムのテラスに、人々が集まり始めました。空のテラスにも、星がひとつずつ出て、空は星でいっぱいになりました。やがてアーシュラムのテラスも、おまいりに来た人でいっぱいになりました。
お祈りが始まりました。お祈りが終わっても、少しのあいだ、人々はみんな、目を閉じて座っていました。
シャムはお話を始めました。
ぼくがまだ子供だったころ、母の関節が痛んでいた時、母はラードガルの女神に誓いをたてたことがあった。ダーポリーの町のそばに、ラードガルというたいへん美しい海沿いの町がある。ラードガルには海の水が赤く見える場所があり、ターマスティールタ(聖なる赤い水域)と呼ばれていた。母の関節はすでになおっていたが、ターマスティールタの女神にたてた誓いは、長いあいだ果たされていなかった。母は前のように元気ではなかったが、歩くことはできたし、仕事も少しずつならすることができた。ラードガルの女神には、木製の人形、木製のクンクーの箱、美しい布やヤシの実などをお供えしなければならない。この誓いを果たすために、母はパールガドからダーポリーまで出て来ることになっていた。そして、ぼくがダーポリーから母を連れて、ラードガルまで行くことになっていた。
母はいつ来るだろうかと、ぼくは待ちかねていた。何年かぶりに、母はパールガドの外に出ようとしていた。12年間、母はパールガドから1歩も出ていなかった。療養のために旅行したこともないし、引っ越しをしたこともなかった。
母がやって来た。ダーポリーからラードガルに行くために牛車を雇い、朝早く、出発することにした。ダーポリーからラードガルまではおよそ3コース(約12キロ)、3時間はかかる道だった。
次の日の朝、一番鶏が鳴くと同時に、ぼくと母は目を覚ました。牛車の御者は時間通りにやって来て、大声でぼくたちを呼んだ。荷物を全部積み込み、母とぼくは車に乗り込んだ。ラードガルには、母のいとこがいたので、彼女の家に行くことにした。午前7時か8時には着くだろう。
ぼくたちは出発した。早朝の静けさの中を牛は楽しそうに歩いていた。牛の首についている鈴の音が、その静かな時間に快く響いていた。まるで。自然というお寺の中で、やさしい鐘の音が鳴っているようだ。花も咲きそろっていた。風がかすかに吹き、小鳥たちがうたっていた。自然のお寺の中で、朝の
牛車の中には、ぼくと母の2人きりだった。ぼくはその時14、5歳になっていたが、母にとっては、まだ小さな子供だった。母親は自分の子供のことを大きくなったとは決して思わないものだ。ぼくは母のひざに顔を埋めて眠っていた。母はぼくの頭や髪を愛情こめて、やさしくなでていた。
「このシェンディー(弁髪)はなんてボサボサなのかしら。シャム、油なんて1度もつけたことがないんでしょう」
と母が尋ねた。しかし、ぼくの注意はその言葉には向けられていなかった。ぼくはとても幸福な気持ちだった。
「心が幸せな時には、目は愛情の涙でいっぱいになる」ぼくはこの言葉通りの状態だった。母とぼくは、それまで一緒に旅行したことなど1度もなかった。これほど自由に、のびのびとした気持ちで、一緒にどこかへ行ったことはなかった。その日、世界は母とぼく、2人だけのものだった。ぼくの心の中には、幸せな夢がたくさんあふれていた。りっぱな人になろう、勉強をしよう、お母さんには何の不自由もさせないぞ、お母さんをすばらしく幸せにしよう、こんな希望にぼくは胸をふくらませていた。心の中で希望の塔を建てたり、こわしたりして、ぼくは戯れていた。
「シャム、どうしてしゃべらないの?まだ眠り足りないの?」
「お母さん、ぼくはお母さんのひざの上でただ黙って眠りたいんだ。そして、お母さんに愛情こめて見つめてもらいたいんだよ。ぼくの体をなでてほしいんだ。他のことは何もいらない。お母さん、やさしくたたいて寝かしつけてよ。お母さんのそばでは、ぼくはいつも小さな赤ちゃんでいたいんだ。寝かしつけながら、子守唄をうたってよ」
ぼくの言葉を聞いて、母はぼくをやさしくたたいて寝かしつけてくれた。
ダーポリーからラードガルまでの道の両側には、深い森がある。道には太陽の光さえ射し込まなかった。あるところでは、滝が山から音をたてて流れ落ちていた。その光景はあまりにも崇高で、ぼくたちは言葉をなくすほどだった。カシューナッツ、マンゴー、イチジク、パイリーマンゴー、カランジーなどの木が、道の両側にあった。この木々のあいだから、いろいろな種類の小鳥たちが飛び出して、うたいだした。
自然は目覚めようとしていた。しかし、ぼくは母のひざの上で眠ろうとしていた。眠たくはなかったが、目を閉じて横になっていた。
母はときどき、自分で歌を作ってうたった。それは以前にもよくあったが、この時もそうだった。
この深い森の中で
清らかな水が
音をたてて流れ落ちる
私のシャムの人生に
いつも神さまがいらっしゃいますように
母がこの歌をうたった瞬間に、ぼくは突然起き上がった。音をたてて流れる清らかな水を見るために起き上がった。
「どうして目を覚ましたの?もう眠るのにあきたの?眠りなさい。ひざも痛んではいないわ」
「お母さん、お母さんはシャムの人生に神さまを呼んでいるでしょ。だったら、どうして眠っていられるの。神さまがやって来るということは、目覚めるということだよ。神さまはすべての人を目覚めさせる。スーリヤナーラーヤン(太陽神)は世界中にエネルギーを与える。そうでしょ?」
遠くから、海の響きが聞こえてきた。森を通り抜けると、波打つ海が見えてきた。苦しみの人生の森のそばに、神の喜びの海が豊かに波打っている。世間の雑事から少し離れてごらんなさい。そうすれば、この喜びに出会うことができるだろう。
遠くに、小じんまりとした美しいラードガルの町が見えてきた。
ぼくたちはラードガルの町に入った。家々の庭では、水牛の動かす水車が、クークーという音をたてて回り、水が撒かれていた。木の枝を持って、水牛をあやつっている少年の声も聞こえてきた。小さな水路を通って、水が庭の中を流れていた。水はポフリー、ヤシ、バナナ、パイナップルの木へと流れていた。どの家のそばにも、バナナやポフリーやヤシの木の畑があった。とても幸せそうな美しい町だった。清らかで豊かな水、快い気候、花と果物、そして深い森があった。
ぼくたちを乗せた牛車は、町の中をゆっくり進んでいた。目指す家がどの家なのか、はっきりとは知らなかった。道を尋ねながら進んでいた。途中に小学校があり、小さな子供たちが、ぼくたちの牛車を見つめていた。何か目新しい車、見慣れない鳥、見知らぬ人、何か珍しい光景が目に入るや否や、子供たちの好奇心は呼びさまされる。
やっと、捜していたスバー姉さんの家が見つかった。御者は車から牛をはずして、別のところにつないでえさを食べさせ、ぼくと母はスバー姉さんの家に入った。ぼくはスバー姉さんには、ものごころついてからは1度も会ったことはなかった。母でさえ、本当に久しぶりで彼女に会ったのだった。ぼくの母はスバー姉さんよりもずっと年上だった。スバー姉さんは、まるで母の1番上の娘のように見えた。
思いがけない母の訪間に、スバー姉さんはびっくりしていた。
「お姉さん!いらっしゃい。あなたに会うのは本当に何年ぶりでしょう」
やさしい言葉で、スバー姉さんは母を歓迎した。
「それで、この子はだれなの?」
と彼女はぼくの方を見ながら尋ねた。
「スバー、これはシャムですよ。小さいころ、駄々をこねて、だれとでもけんかをしたシャムですよ。覚えているでしょ?」
「ずいぶん大きくなったわね。学校で英語を習っているの?」
とスバー姉さんが尋ねた。
「はい、英語学校の4年生です」
その愛にあふれた家の中で、ぼくたちはすぐに家族同様になった。スバー姉さんが言った。
「お姉さん、今すぐ海水浴に行ってらっしゃいよ。そうすれば、10時か11時ごろには帰って来れるわ。お昼ご飯がすんでから、女神さまにおまいりに行きましょう。そうすれば、夕方には牛車に乗って帰れるわ。どうしても泊まらないって言うんですもの。こんなにはるばるやって来たのだから、1週間ぐらい泊まっていってくれたら、どんなに楽しいかわからないのに。私も婚家にいながら、里に帰ったような気持ちになって、うれしいでしょうに。本当に泊まっていってくださいよ」
「スバー、この牛車は帰りの料金まで決まっているのよ。それに、家には家事をする人がだれもいないの。小さな子供たちを残してきているし、シャムも授業に出られなくなるわ。何年かぶりに会うことができたのだもの、それで十分よ。それじゃ、今すぐ海へ行って来るわ」
ぼくたちは着替えを持って、スバー姉さんのご主人と一緒に出かけた。海沿いの道を、ぼくたちはターマスティールタをめざしていた。ぼくは海をずっとながめていた。まるで、ぼくの小さな目は、海を飲み干そうとしているかのようだった。広大な海、無限の大洋、終わりもなければ限界もない。下には青い水の海、上には青い空の海が広がっていた。
牛車がターマスティールタに着くと、スバー姉さんのご主人は、どこで沐浴したらよいかをぼくたちに教えてくれた。そこでは、赤い色をした波が打ち寄せていた。砂も少し赤いように思われた。
「どうしてここだけ、水が赤いのですか」
とぼくはスバー姉さんのご主人に聞いてみた。
「神の奇跡だよ。それ以外、何と言えるだろう」
「ここで神さまが悪魔を退治したのよ。だから、ここの水は赤くなったのよ」
と母が言った。それを聞いて、スバー姉さんのご主人が言った。
「そうですね。そんなふうに想像してもいいですね」
母の目には、どこにでも神さまの手が見えていた。どんなことにでも、神さまの意図や神さまの仕事が見えていた。科学者は理論を探そうとするが、母は神を見ていた。
ぼくは水着をつけて、海にはいり、小さな波と戯れ始めたが、海には慣れていなかったので、あまり沖の方へは行かなかった。母はひざより少し深いところに行って、腰を降ろして体を洗った。海は何百もの手で、そおっとくすぐるために、笑いながら、ふざけながら、やって来た。足の下の砂は、波が引く時にすべっていった。ぼくたち母子は、神の慈悲の海に浸っていた。水は塩からかったけれども、聖なる水だといって、母は少し飲んだ。そして、ぼくにも飲ませた。母は、海に花とハラッドクンクー(聖なる赤い紛と、黄色い粉)を供え、そして礼拝した。母はたくさんの真珠をたくわえている海に、お金をささげた。それは彼女の感謝の気持ちだった。月と太陽を創り出す神に、崇拝者たちはランプに火をともしてささげる。人間は自分の心の中の感謝や信心を何か実際的な形に表そうと努力する。その無限の海を見て、喜捨の知恵を少しでも学ぶべきではないだろうか。
海から上がると、ぼくたちは乾いた服に着替えて、牛車に乗り込んだ。スバー姉さんの家に着いた時には、もう正午になっていた。ぼくたちはとてもおなかがすいていた。スバー姉さんは食事の用意をすっかり整えて待っていてくれた。
料理はとても素朴なものだったが、とてもおいしかった。スバー姉さんは、短いあいだにカーンダウィーというヤシの実のお菓子をわざわざ作ってくれていた。ヤシの実のジュースもあったし、ナスと豆を煮た料理もあった。それはすばらしくよく出来ていた。それに自家製のギーもあった。
「シャム、何かよいシュローカを暗唱しなさい」
と母が言った。
ぼくは「飾り物が人間を飾るのではない」というサンスクリットのシュローカを暗唱した。スバー姉さんのご主人は、ぼくのシュローカをとても気に入ってくれた。
「英語学校に通っているのに、シュローカを暗唱しても、恥ずかしがらないんだね。このごろの子供たちは、3つ4つのシュローカさえ覚えることができないんだからね」
スバー姉さんには「男の子と女の子の2人の子供がいた。男の子は、5歳で名前はマドゥーといった。女の子は2歳か2歳半だった。マドゥーも、良いシュローカを暗唱してみせた。
「シャム、カーンダウィーをもう1つお取りなさい。遠慮しないでね」
とスバー姉さんが言った。
「シャムはほんとに恥ずかしがりやなのね。ここでは遠慮はいらないのよ、シャム」
と、母が笑いながら言った。母も食事をするために座っていた。スバー姉さんは母に愛情こめて言った。
「お姉さん、ゆっくり食べてください。子供たちは遊びに行かせましょう」
みんなの食事が終わると、スバー姉さんと母は2人で後片づけをし、それから、少し体を休めておしゃべりをしていた。
ぼくは、マドゥーと一緒に、バナナ畑へ行った。バナナ畑でぼくたちは楽しい時を過ごした。畑にはたくさんのバナナがなっていて、歯のような形をした小さなバナナの房があちこちに落ちて散らばっていた。この小さなバナナで、チャトニー(食べ物に少量つけて味わいを豊かにする、薬味のようなもの)を作ることができるのだが、これだけたくさんあるとあまり気にかけてもいられない。バナナの花のひとつひとつの花びらが開いて、バナナの1房が外へ顔を出していた。グァバの木もあった。オウムが数羽その木に止まって、きれいな実をつついていた。ぼくたちはその木に登り、実を取って食べた。ちょうどその時、スバー姉さんがぼくたちを呼んだので、ぼくは家にもどった。マドゥーもぼくの後を追って走って来た。
「シャム、あのパパナス(グレープフルーツ)の木から3つ実をちぎって来てちょうだい。2つはここで切って、1つは持って帰ってね。車の中で食べられるでしょ」
とスバー姉さんが言った。
パパナスの木には、黄色い、ヤシの実ほどに大きくなった実がぶら下がっていた。ぼくたちの家にもパパナスの木があったが。これほど大きな実はなっていなかった。ぼくは木に登って実を落とした。その実を拾って、ぼくたちは家にもどった。
女神さまにおまいりする時間になったので、スバー姉さんとその子供たち、ぼくと母はみんな車に乗り込んだ。車は十分に広かった。
町郊外の丘のふもとに、その女神のお寺はあった。母はその女神におまいりをし。木製の人形、クンクーの箱、腕輪などを女神の足もとにお供えした。美しい布とヤシの実が、女神のひざの上に置かれた。そして、みな額に聖なる灰を塗った。この聖なる灰を家族の者にも持ち帰るために、紙を折って袋を作り、その中に入れた。
それから、ぼくたちは近くの森にピクニックに行った。森の中ではいつも楽しい気持ちになる。心は喜びにあふれ、のびのびとするものだ。ぼくたちは大自然の大きな家の中にいる。そこでは、狭苦しさなど少しもない。
もう1度、女神の像の足もとにひれ伏してから、ぼくたちは家に帰った。
もうダーポリーにもどらねばならなかった。夜、母は牛車でパールガドまで、さらに帰って行く予定だった。ぼくたちは帰り仕度を整え、スバー姉さんとご主人にナマスカールをした。
「あなたはここから近いダーポリーにいるのだから、いつか日曜日にいらっしゃいよ。パールガドの家に帰るには、あんなに遠い道のりを歩かなければならないのだから、ここに来たらいいじゃないの。そうしなさいよ。シャム」
とスバー姉さんが言うと、彼女のご主人も言った。
「シャム、ぜひ、いらっしゃい。ぼくたちは他人じゃないんだからね。お互いに行き来しなければ、親しくなることはできないよ。きっと遊びにいらっしゃい」
ぼくたちは神さまの像の足もとにひれ伏し、お供えをした。スバー姉さんは、若いヤシの実を2個と、見事に熟したヤシの実を1個、おみやげにと包んでくれた。パパナスも2個持たせてくれた。
「スバー、それじゃ、さょうなら」
「お姉さん、今度はいつ、会えるのかしら」
と、スバー姉さんは涙で声をつまらせながら言った。
「いつ会えるかは、神さまだけがご存じだわ。私は今日、12年ぶりにパールガドを出て、ほんの少しの遠出をしたのよ。でも、他のどこへ行ったらよかったのかしら。プーナやボンベイには弟たちが住んでいるから、そこへ行けたらいいのだけれど、でも、弟たちには弟たちの生活がありますからね。姉さんのことなど、少しも気にかけてはくれないわ。
スバー、この5、6年のあいだ、私はずっとマラリアで苦しんでいるの。熱が出たら、ベッドで休まなければならないわ。汗が出て、熱が下がったら、起きて仕事を始めなければならないの。家事をする人は他にだれもいませんからね。貧しい者は、どんな病気にもかかってはいられないわ。病気にかかるなんて、罪なのだわ。何を食べても味がしないの。舌の上に、ショウガやレモンを1切れのせて、なんとか2口か3口、ご飯を飲み込んでいるの。でも、仕方のないことだわ。身にふりかかった苦しみは耐えるしかないし、朝が来れば、その日1日はなんとか過ごさなければならないわ。
こんなこと、だれに打ち明けたらいいのかしら。だれにこの悩みを聞いてもらったらいいの。あなたがあまりやさしいので、こんなことをしゃべってしまったわ。あなたはまるで、私の娘のようだわ。そういえば、娘のチャンドリーとあなたは、むかしよく遊んでいたわね。私はあなたをお風呂に入れたり、洋服も縫ってあげたわね。あなたに話して、少し痛みが軽くなったような気がするわ。気分も楽になったわ。自分の悲しみをわかってくれて、一緒に悲しんでくれる人がいて、心が救われるようだわ。今まではだれにも話したことはないの。神さまにだけ話していたのよ」
こう言いながら、母は目にいっぱい涙をためていた。スバー姉さんも、サリーを目にあてて涙をふいていた。
「お姉さん、今度は、うちのマドゥーのムンジュ(男の子が学問を始める儀式)の時にいらっしゃいよ。姉さん、そのころにはシャムも大きくなっているわ。そうしたら、あなたに不自由はかけないわよ。子供たちはみんないい子じゃないの。これは神さまのお恵みよ」
「そうね。それだけは幸せなことだわ。シャムが休暇に家に帰って来ると、私の仕事を全部やってくれるのよ。それに学校の勉強もよくできるわ。それも神さまのご意志ね。それじゃ、本当に、さようなら」
こう言って、母はスバー姉さんの子供たちの手に1ルピーずつ握らせた。それから持って来ていた美しい布をスバー姉さんにあげた。
「お姉さん、どうして子供たちにお金をくださるの?」
「こうさせてちょうだい。今度はいつ、この子たちに会えるかしら。スバー、あなたの姉さんはもうお金持ちではないけれど、取っておいてちょうだい」
こう言って、子供たちを抱きめて、母は別れを告げた。
ぼくと母は、再び牛車に乗った。牛たちは家に戻りたかったので、とても速く走ろうとした。しかし、帰りは上り坂だったので、牛車はゆっくり進まざるを得なかった。
すでに夕方になろうとしていた。海全体がターマスティールタのように赤くなり、とても美しい光景だった。沈みゆく太陽を、ぼくたちは目で見ることができた。太陽は今、赤い玉のように見えていた。海は疲れ切った太陽を何百もの波で沐浴させることに熱中していた。赤い玉が、海の中に落ちていった時、緑と青の光が見えた。夜のあいだ太陽は海の中で眠り、次の日に再び出て来るのだ。
しばらくすると道の両側が深い森になった。木々のあいだから見える空には、星が出始めていた。夜、森の中を通る時には、とても怖いような気がする。コオロギが鳴き、遠くから海の響きが聞こえていた。
「お母さん、今度はいつ、こんなふうにどこかへ出かけることができるだろう。お母さんと一緒に、今まで1度も旅行したことがなかったね。お母さん、お母さん!一緒に旅行して、思いっ切りお母さんの愛に浸っていたいよ」
と、ぼくは母の手を握って言った。
「あなたが大きくなったら、あなたが仕事についたところへ。私も行くわ。その時は、パンダルプールやナーシクやカシーやドゥワールカなどの聖地へ私を連れて行ってちょうだい。あなたのおじいさんはカシーに行ったことがあるし、お父さんもナーシクやバングルプールヘ行ったことがあるわ。でも、私はどこへも行ったことがないの。だれが連れて行ってくれるかしら。庭のトゥラスの木のそばが、私のカシーでありパングルプールなのよ。ことわざに“カシーに行きたい、カシーに行きたいと、いつも言いなさい。そうすれば、カシーに行ったのと同じ徳が得られる”というのがあるでしょ。行きたい行きたいと言っているだけで、巡礼に行ったのと同じ徳が得られるのよ。沐浴の時に、“ハル ガンガーよ”と唱えなさい。ウィトバー(パンダルプールの神)やウィシュウェーシュワル(宇宙の神)やゴダワリー川やガンジス川は自分の庭の中、自分の家の中にあるのです。貧しい人々のために、このような方便が考えられているのよ。坊や、私たちはどこへ旅行に行ったらいいの?金貸しの取り立て人が、いつも家に居座っているのよ。もう生きるのもいやだわ。もうこんな生活はたくさんだわ。巡礼に行くことなど考える余裕はどこにもないの。この人生そのものが、たいへんな巡礼だわ。この巡礼から私を解放して、腕輪をはめたまま(未亡人にならないうちに)、名誉も傷つかないうちに、死なせてください」
山から音をたてて流れ落ちる滝のところを通った時、母の目からも、静かに涙が頬を伝って流れていた。ぼくはその聖なるガンジス川とヤムナ川の流れを額で受け止めた。そして母のサリーに顔を埋めた。
「お母さん、ぼくたちにはお母さんが必要なんだよ。お母さんの他にだれがぼくたちのことを気にかけてくれるだろう。ぼくはお母さんのために勉強しているんだよ。お母さんがいなくなったら、だれのために勉強すればいいの?だれのために生きたらいいの?お母さん、神さまはお母さんのことを連れて行ったりはしないよ」
こう言って、ぼくは母をしっかりと抱きしめた。まるで、その時、死が母を連れ去りに来たかのように、ぼくは母をしっかりとつかまえていた。
「神さまがなさることはみな、私たちを幸せにするためなのよ。あなたたちが善良な人になってくれれば、それでいいのよ」
崇拝と愛と感謝とすべてのやさしさで胸をいっぱいにして、ぼくは母のひざの上に頭をのせた。
「お母さんは、ぼくたちにお話をしてくれたでしょ。ある乞食の息子が袋から4つの種を取り出して、夜、道にまいた。朝になると、その種は美しい金の羽になっていたっていうお話を。お母さん。だからこれからはきっとよくなるよ。貧しさも今になくなるよ。よい時代が来るんだよ」
「シャム、神さまにできないことはないわ。神さまは夜を昼に変えることもできるし、毒を不死の甘露に変えることだってできる。神さまはスダーマ(クリシュナ神の貧しい友だち)に金で出来た町を与えたわ。でも、私たちはただの人間にすぎないわ。私たちにはそれほどの物を受け取る価値などないわ」
「お母さん、神さまはいつも慈悲深いんだよね、そうでしょ?ぼくたちは貧乏になって侮辱されている。悩みや苦しみに耐えなければならなくなったのに、それさえ神さまの慈悲だというの?」
「坊や。無学なお母さんには、そんなこと全部はわからないわ。でも神さまがなさることは、すべてこの世を良くするためだということだけは知っているわ。私はあなたが小さい時、あなたをたたいたわ。それはあなたによい子になってもらいたいからだったわね。神さまは私よりも何倍も慈悲深いのよ。神さまを信じなければならないわ」
母はまるで、信仰についてのウパニシャッド哲学を語っているかのようだった。
ふと、ぼくは前方を見た。
「トラだよ、お母さん!トラだよ」
ぼくは恐ろしくて、ふるえながら言った。なんとぎらぎら光る目だろう。なんと崇高で恐ろしげな顔つきだろう。なんと堂々とした体つきだろう。右の森から左の森の中へ、そのトラは消えていった。トラは、
だんだんとダーポリーの町に近づいて来た。遠くの灯がちらちらと見え始めた。夜の9時に、ぼくたちはダーポリーの家に着いた。結局、母はその夜はダーポリーに泊まり、次の日に、パールガドヘ帰って行った。
みんな!その日とその夜は、ぼくの人生の中で不滅のものとなった。それからは2度と、母と一緒にどこかへ出かけることはなかった。その日1日だけだった。たった1日だけ、ぼくと母は、母なる自然、つまり海や森の中で過ごしたのだった。とても楽しかった。2人とも、愛情の中に浸って、心はひとつになっていた。
その後、ぼくの母の人生には、さらに厳しく悲惨な運命がふりかかってきた。神さまは母の生命から、金を作ろうとしていた。純度100パーセントの純粋な金を作ろうとしていた。神さまはさらに熱いかまどの中に、彼女を入れようとしていたのだ。みんな!ぼくの母は、呪いをかけられた女神だったに違いない。
こう言って、シャムは突然立ち上がって、行ってしまいました。人々はじっと座ったまま、だれひとりとして声もたてませんでした。しばらくしてから、人々は我にかえって、それぞれの家に、感情で胸をいっぱいにして帰って行きました。