シャムは体の具合があまり良くありませんでした。ラームが言いました。
「今日はお話はしなくてもいいよ。横になって休んでいた方がいいよ」
「母の思い出はどんな痛みもいやしてくれるぬり薬のようなものだ。信仰のある人が神様のことを思い出すとすぐ、苦しみが取りのぞかれるように、母を思い出すと僕の痛みも消えてしまう。今日、母についての良い話をひとつ思い出した。みんな、座ってよ」こう言ってシャムはお話を始めました。
「みんな!人はたとえ貧乏でも、見かけは貧しくても、心は豊かでなければならない。世の中のたくさんの不幸は心の貧しさから引き起こされている。インドの見かけだけの豊かさは世界中が持ち去ってもかまわない、しかしインドの心の気高く、絶えることのない富は持ち去らせてはならない。
僕たちの家にマトゥリーという名の脱穀をする女の召使いがいた。コーカン地方では、各家庭でもみ
マトゥリーは夏の間、僕たちによく熟れたコリンダ(果物の一種)やアルーの実などを持って来てくれた。真黒によく熟れたコリンダの実は貧しいコーカン地方においてはぶどうのようなものだった。アルーもおいしい実だ。色は茶色で中には大きな種がはいっている。マトゥリーの家にはアルーの木があって、この木になるアルーの実はとてもおいしかった。貧しい人々はいつも感謝の心を知っている。ある時には花や葉を、またある時は果物を持って来て、感謝の気持ちを表わす。感謝の気持ちを知っていることほど
「ガジュリー、今日はどうしてマトゥリーは脱穀の仕事をしに来ていないの。代わりに誰が来ているの」と母が尋ねた。
ガジュリーが言った。「マトゥリーは熱があるのです。マトゥリーは代わりにこのチャンドリーをよこしました」
もしも自分が仕事に来ることが出来なければ、誰か他の人を代わりによこして 、仕事に支障が起きないようにする義務の観念をこの貧しい召し使いも持っていた。
「熱はとても高いのかしら」と母が尋ねた。
ちょうどその時、マトゥリーの息子、シヴァラーマが来て言った。「シャムのお母さん!僕の母は熱が出ました。良くなったら脱穀の仕事に来ます。それまではこのチャンドリーが代わりに来ます」
「わかったわ」と母が言った。シヴァラーマは仕事をしに出て行った。カンダピン達は米のもみの重さを計った。母はもみ米の用意をしてやってから、洗濯物を持って井戸の方へ行った。
昼の12時か1時頃、僕達の家の昼ごはんが終わった。シヴァラーマが家に帰ることを告げに来た。
「牛に水をやってくれた?ふんなどはきれいに片付けてくれたかしら。そうじゃないと、牛は足で踏みつけたり、その上に座ったりしますからね。それから草を食べさせてちょうだいね」と母は彼に言った。シヴァラーマが言った。「みんな済ませました。僕は帰ります」「ちょっと待って、シヴァラーマ。こっちへいらっしゃい」母は家の中に入って行って、バナナの葉の上に出来たてのごはんとレモンのピクルスをのせて持って来た。そして小さなコップにバターミルク(ヨーグルトをかくはんして脂肪分を取り除いた飲み物)を入れて持って来た。「シヴァラーマ、これをお母さんにあげてね。そして早く良くなるように言ってちょうだい」こう言って彼にこれらの物を手渡して母は家の中に入った。シヴァラーマはそのごはんをバナナの葉ごと自分のハンカチに包んで、コップは手に持って、家へ帰って行った。
夕方、学校が終わって、僕達は家でかけ算の九九を暗唱していた。「ガジュリー、その真ちゅうのランプをぬかで磨いてきれいにしてね」と母が言った。僕たちの家では夜いつも、神様のところにランプをともして置いていた。脱穀をした日にランプを磨く習慣があった。米のぬかで磨くとランプはピカピカになる。ガジュリーはランプを磨き始めた。母はもみがらを取り除いた米の重さを計った。カンダピン達に脱穀した時に砕けた米や、ダーパットを与えた。ダーパットというのはもみ米を脱穀する時に落ちる細かな米の粉のことだ。カンダピン達は帰って行った。
シヴァラーマは庭の木に水をやり、水牛の乳をしぼった。牛の乳は母がしぼった。シヴァラーマは家に帰ろうとしていた。夕方、母は僕に、お茶に入れる薬草を摘んで置くよう言いつけていた。トゥラスの木のそばにしょうがが植えてあったが、そのしょうがを母は掘って来た。母はシヴァラーマ、ここにある薬草としょうがを持って行きなさい。これにコリアンダーの種を4つとピンパルの葉を1枚加えて、せんじ薬を作りなさい。そして熱いうちにお母さんに飲ませるのよ。そしてふとんを着せておけば、汗が出て熱が下がるでしょう。ちょっと待って、氷砂糖も少しあげましょう」こう言って母は家の中から氷砂糖を持って来た。シヴァラーマはこれらのものを受け取って帰って行った。
マトゥリーはシヴァラーマに尋ねた。「シヴァラーマ!これは誰からもらったの?」
シヴァラーマは答えた。「シャムのお母さんからだよ」
マトゥリーは言った。「あのお母さんは神様のような人だ。みんなのことを心配してくれる」マトゥリーは夜、薬草入りのお茶を飲んだが、汗は出なかった。熱も引かなかった。朝、シヴァラーマはまた仕事をしにやって来た。
「シヴァラーマ!お母さんの具合はどうなの?」と母が尋ねた。
「頭がとても痛んで、いつもズキンズキンすると言っています。母はずっと額を手で押さえています。夜も、眠っていません」と彼は言った。
「わかったわ、それじゃ今日、家に帰る時、干ししょうがと鹿の角をあげましょう。これをこすって練り薬にして、お母さんの額に湿布してあげてね。そうしたら気分が良くなると思うわ」と母が言った。
誰もがそれぞれの仕事に専念していた。シヴァラーマは牛小屋の掃除にとりかかり、牛ふんで燃料を作った。母は野菜などを切って料理をしていた。
正午頃にシヴァラーマは前の日と同じようにマンゴーの実位の大きさのごはんとピクルスをもらって家に帰って行った。干ししょうがと鹿の角も母は彼に与えた。鹿の角は薬になると言われている。干ししょうがとウェーカンダ(薬の一種)と鹿の角で作った塗り薬を額につけると頭痛がなおる。体の他の部分が痛む時も、この塗り薬を湿布する。
数日後、マトゥリーは具合が良くなったが、とてもやせてしまい、体も弱っていた。それでも仕事をしに来るようになった。彼女は2週間ばかり仕事に来ていなかった。脱穀の仕事にマトゥリーが出て来たのを見て母が言った。「マトゥリー!何てやせてしまったの。脱穀の仕事が出来るの?」
マトゥリーが言った。「何とかやってみようと思います。こんなに何日も寝て過ごしてしまって、もうたくさんです。もう動けるようになりました。もう4,5日もすれば、すっかり元気になります。お母さん!あなたの思いやりがあれば、他に何がいるでしょう」
母が言った。「すべて神様のおかげです。私達だけでどれだけお互いに助けあうことが出来るでしょう。さあ、子供達のごはんが出来たわ。あなたも一緒に少しでもいいから食べなさい。そうしたら、仕事をするのにも力が出るわ。お昼ごはんも今日はここでお腹一杯食べなさい。いいわね?」
その日、マトゥリーは僕達と一緒に朝ごはんを食べた。この時、マトゥリーの顔は何と感謝の気持ちに満ちていたことだろう。
そのマトゥリーも今は年老いてしまった。僕が時折、コーカン地方に帰る時は、必ずマトゥリーに会いに行く。彼女の顔にはしわが刻まれている。それでも彼女の顔はどこか陽気でやさしさにあふれていた。僕が彼女の足元に身を投げ出してあいさつ(最もていねいなあいさつ)をすると、「まあ、シャム、何をするの」と彼女は言う。彼女は僕の母のことを思い出して言う。「シャム!お母さんが生きていたら、あなたをこんな独り身のままにはしておかないだろうね。結婚させていただろうにねえ。かわいそうにあんなに早く亡くなってしまって。彼女は誰に対しても愛情深い人だった」
こんなに愛情にあふれた、やさしい母を僕は持っていた。