シャムチアーイー 2021/05/22更新

【未掲載版】第十一話 ソーマワティ・アワス

 「月曜日に月のない夜が当たると、ソーマワティ・アワスと呼ぶ。その日に、ソーマワティのぎょうをするブラフミンの結婚した女の人達はピンパルの木を礼拝する。ソーマワティ・アワスの日には、何かを108個、神様にお供えしなければならない。108個のパーン(食後に食べる嗜好品)、108個のマンゴー、108枚のルピー紙幣、108枚の硬貨、108本のバナナ、108個のやしの実、108個のペダー(牛乳で作る甘いお菓子)、108枚のサリーなど、その人の経済力に応じて、神様にお供えする。この日は何かをお供えする日なのだ。僧侶は、それらのお供え物をもらうことが出来るが、全部を自分のものにするわけではなく、木の回りの台のところに来る他の僧侶達にも分け与える。このしきたりは大変すばらしい。それは謙譲の美徳でなりたっており、それゆえに、僧侶同志、お互いにねたんだり、憎んだりする余地がないのだ。

 僕の母は、本家に住んで、輝かしく、豊かな家の女主人だった頃、ソーマワティの行を始めた。その頃母は108枚の硬貨、108個のパーン、108個のペダーなどの高価なお供え物をしていた。しかし、今では貧乏になってしまった。彼女が着るためのちゃんとしたサリーさえないのに、108枚のサリーをどうしてお供え出来るだろう。彼女自身、満足に食べる物もないのに、何をお供えしたらいいのだろう。ソーマワティの行は途中でやめることは出来ない。家で彼女は夫にねだることも出来なかった。また、夫の手もとに何があっただろう。

 クリスマスの休暇だったので、僕は家に帰っていた。ソーマワティが近づいていたので、僕は母に尋ねた。「今週のソーマワティには、何をお供えするか、もう決めたの?ジャーナキーおばさんは、108個のスパーリーの新しい実をお供えするんだよ。」

 母が言った。「坊や!私はもう108個のスパーリーはお供えしたことがあるのよ。前にシータおばさんが送ってくれたでしょ」

 「それじゃ、何をお供えするの?ソーマワティまで、後2日しかないんだよ。もう決めなければいけないよ。お母さん!108個の黒砂糖と言ったら、108個の大きなかたまりでなければいけないの?108の油と言ったら、108個の油の缶をお供えしなければならないの?」

 母が言った。「108個の缶をお供えしてもいいのよ。でも、貧しい人ならば、8分の1シェール(1シェールは約1リットル)の108倍でも、4分の1シェールの108倍でもいいのよ。その人がしたいと思う108個の何かを工夫するのよ。」

 僕は尋ねた。「お母さん!8分の1シェールの108倍の黒砂糖をお供えしたらどうだろう?」

 母が言った。「シャム!毒を飲もうと思っても、家には小銭さえないのよ。首をくくろうと思っても、家には1本のロープさえないのよ。お金をどこから持って来ればいいの?私達の庭に、ゆすればお金が降って来る木でもあるって言うの?私達は貧しいのよ。シャム!」

 僕は言った。「108個のアーウラーの実をお供えしたら、どうだろう?」

 「坊や!108個のアーウラーはもうお供えしたことがあるのよ。お父さんがソワリーから持って来て下さったでしょ。ソワリーに住むトゥカラマと言う人からもらったのよ」と母が言った。

 「お母さん!108個のチンツー(木の実の一種)じゃ駄目なの?」と僕は笑いながら尋ねた。

 母が言った。「もちろん、大丈夫ですとも。でも…」

 「でも、みんなが笑うんでしょう。みんなは歯を見せて笑うだろうね。みんなは笑うだけで何をしてくれるだろう。誰が助けてくれるだろう。笑うだけで、助けてくれる人は誰もいない。でも、神様だけは笑わないでしょう?神様は怒ったりはしないでしょう?」と僕は尋ねた。

 母が言った。「シャム!神様は怒ったりはしないわ。神様はウィドゥルの家の御飯つぶさえ、喜んで食べたわ。舌鼓を打って食べたのよ。お皿をきれいにかすって食べても食べ足りなかった位よ。神様はスダマからもらったポへをどんなに喜んで食べたでしょう。まるで食いしん坊か、飢えた人のようだったわ。ルクミニーにひとにぎりさえ、やろうとしなかったぼどよ。神様はいつもお腹がすいているのよ。神様に本当に愛情を持ってお供えする人は、10万人のうちひとりです。愛情を込めてあげたものだけ、神様はドラウパディにもらった葉を食べて、満足してげっぷを出したわ。どんなものでも、愛を込めて神様にお供えしなさい。それはミルクの海よりも神様にとって尊いものになるわ。シャバリーというおばあさんが、食べかけたボレの実をラーマ神はどんなに喜んで食べたでしょう。あなたは本で読んだでしょ?神様は何でも気に入って下さるわ。その中に心がこもっていればいいのよ。だから、チンツーでもいいし、108個の石を神様にあげたとしても、神様には氷砂糖のように甘く感じられるでしょう。愛をこめて供えられた石ならば、神様は口に入れてかんで下さるわ。何百年もかんで、言うでしょう。『私を信仰する者は、本当においしい物をくれた。すぐには割れないし、口の中に入れても、とけない。1つぶずつ口の中に入れておけば、1年はもつ』と。シャム!神様にどんな物でもお供えしなさい。でも、心を込めてお供えしなければならないわ。シャム!ドラウパディやシャバリーのようなすばらしい信仰心を私は一体、どこに持っているかしら。私がそれだけの信仰心を込めて、チンツーをお供えすることが出来るかしら。いいえ、私にはそれだけの価値はないわ」

 「それじゃ、何をお供えするつもりなの?言ってよ。何か決めているんでしょ」と僕は尋ねた。

 母が言った。「私は108輪のお花をお供えするつもりよ。花のように清らかで、美しいものは他にはないわ。私は花をお供えするわ」

 「お母さん!僧侶達が皆笑うよ。それに木のまわりに集まっている女の人達も、お母さんのことをからかうよ。僧侶は花なんか受け取らないよ」と僕は言った。

 母が言った。「シャム!お供えをするのは神様になのよ。僧侶にではないのよ。神様の足元に何もかもお供えするのよ。神様の足元に供えられた花を僧侶が欲しいと思うなら、貴いプラサード(お供えを降ろして、分配したもの)として、受け取るでしょう。そうでなかったら、神様の足元に花は残るでしょう。他にあげるものがないのに、どうしたらいいの?お供え出来るものをお供えするしかないわ」

 「それじゃ、108輪の何の花をお供えするの?僕達のところには良い花なんてどこにもないよ。ないんだったら、108枚の葉をお供えしたらどうだろう。108枚のトゥラスの葉、108枚のベーラの葉、108枚のドゥールワの葉。お母さん!神様は花よりも、葉の方が好きなんじゃないの?どんなにたくさんの花があっても、トゥラスやドゥールワやベーラの葉がなければ、礼拝をちゃんと行うことは出来ないよ。ヴィシュヌ神にはトゥラスの葉、ガナパティ神にはドゥールワの葉、シャンカラ神(シヴァ)にはベーラの葉だよ。神様は花よりも葉の方がずっと好きなんでしょ、お母さん?と僕は尋ねた。」

 母が言った。「トゥラスやドゥールワの葉を手に入れるのは簡単だわ。どこででも手に入りますからね。少し水をかけておけばいいのですから。花は決まった季節にしか咲かないわ。でも、葉はいつでも手に入るわ。木が生きている限り、葉をつけますからね。葉がなくなるなんてことはないわ。だから、聖人達は神様は葉を好むと言ったのよ。そうすれば、人がいつでも、信仰心を持って神様にお供えするのに困らなくて済みますからね。私のように貧しいものが、神様にただの葉をお供えしても恥じずにすむように、また、他の人達がお供えしたお金や、絹の布地や、やしの実を見ても、うらやましがったりしないようにと、神様は葉を好むと、聖人達は言ったのよ。金持ちの人は自分の富をあまり誇らないように、貧しい者は自分の貧しさを恥じないようにというのが、パトラプージャ(葉を用いる礼拝)の意味なのよ。金持ちの人がどんなに大きな布施をしても、その上にトゥラスの葉をのせることになっているわ。これはその人が、布施の額ばかりを誇らないようにするためなのよ。私はたった1枚の葉をお供えしたという謙虚な気持ちでいるためなのよ。ガナパティ神の礼拝や、ハルタールカ姉妹神、マンガラーガウリー女神の礼拝には、何よりもまず、葉を用意しなっっければならないわ。何の変哲もない、きれいな葉が一番に必要だわ。いつか、私は108枚のトゥラスの葉をお供えするつもりよ」

 「それじゃ、今度は何の花をお供えするの?お母さんはまだ教えてくれていないよ」僕は待ち切れなくなって言った。

 母が言った。「私はこの間、お父さんにソーマワティには、何か良いお花をお供えすることにしましたと言ったわ。マリーゴールドか、白いツァウァーはきっとあるでしょう。でも、もし、香りの良い花があれば、どこからか手に入れて下さいと言ったのよ」

 僕はあわてて言った。「だからお父さんは出かけて行ったんだね」

 「そうですよ。お父さんはジャール村へ行っているのよ。そこにはバルウェーさんの大きな庭があって、ナーグツァーファーの木が何本かあるわ。そこで108輪の花が手に入るかどうか見に、お父さんは遠い所だけど出かけて行ったのよ。『私達はお金はないが、歩くための足はあるよ』とお父さんはおっしゃったわ」と母が言った。

 みんな!ツァーファーにはたくさんの種類があるんだよ。白いツァーファー、緑のツァーファー、金色のツァーファー、そして、ナーグツァーファー。白いツァファー以外はみなとても良い香りがする。金色のツァーファーの香りはとても、ナーグツァーファーはとても甘い香りがする。4方向に4枚の白くてきれいな花びらが広がっていて、中には黄色いおしべが何本も集まっている。この花はとてもきれいだ。

 貧しい時でも、僕の母は理解を示して、理想を実践しようとしていた。夫が与えることが出来ない物をねだって夫を困らせたり、責めたりすることはなかった。夫に恥をかかせたり、頭をうなだれさせたりすることはなかった。夫に花を持って来て下さいと頼み、しかも、努力して遠くまで足を運んで、良い花を捜して下さいと頼んだのだった。夫にも、理想を求める心を示し、神様のために心を込めて身をささげることを教える気高い母であった」