法話 2020/02/09更新

人ってほんとうに、死ぬんですね

 ご門徒で初七日のご法事をお勤めした時のことです。読経とご法話を終え、衣を着替えているところに10代後半のお孫さんが来られ、いきなり「先生、人ってほんとうに、死ぬんですね」と言われました。「どうしてそう思ったの」と聞き返すと、「家族ではじめておじいちゃんが亡くなって、火葬場でお骨を拾っていたときにそう思ったんで」と。「そうだよね。さっきもお話ししたように、いつのことか分からないけど、いつか必ず死んで、おじいちゃんと同じように、お骨にならんといけないんだよ。だから、いのちを大事にして生きようってことかな。」質問したことで安心されたのか、「ありがとうございました。」と言って戻っていかれました。

 人のいのちは、限りがあり、誰にも代わってもらえないものであり、永い年月を経て私にとどいたものであり、多くのいのちによって支えられ生かされているものだと、頭では、知識としては分かっているつもりですが、慌ただしい生活の中にあって、なかなかそのことに思いが至らずに毎日を過ごしてしまっています。その私が、ともに語り、ともに過ごしてきた方の白骨となられた姿を目の当りにしたとき、あらためて「今生きてここに在ることの尊さ、有り難さ」に気づかせて いただくのでしょう。お孫さんの問いかけは、前回お伝えした「如是我聞」の受けとめにもつながっているように思えてきます。

 さて、中国から日本では、2月15日は仏陀釈尊(お釈迦さま)が亡くなった日、とされています。インドの仏教徒は、釈尊が亡くなったことを涅槃ねはん(インドの言葉ではニッバーナ、ニルヴァーナ:燃料が尽きて灯火が消え入るように尽き果てた状態を表すのが元の意味です)に入られたと言われました。日本ではこの日を涅槃会ねはんえとよび大切にしています。涅槃に入られる直前の釈尊による最後の教えが伝えられています。「すべてのものは移りかわる 怠ることなく精進せよ」