シャムチアーイー 2020/03/15更新

第五夜 雌牛のモリー

「バルクーは来ただろうか。今日の午後、牛をたたいていたので、ぼくは注意をしたんだ。牛は、たとえ他人のものでも神聖だ。だれかバルグーを家から連れて来てくれないか」
 とシャムが言いました。
「彼なら外に座って聞いているよ。恥ずかしがって中に入って来ないんだ」
 とシヴァが言いました。
 シャムは立ち上がって外へ出ました。シャムがバルクーの手を取ると、バルクーは恥ずかしがって赤くなりました。彼はシャムの手を振り切って逃げようとしました。
「バルクー、ぼくは君が好きなんだ。だから注意したんだよ。どうしてそんなにいつまでも腹を立てているんだい。ぼくは君の兄さんのようなものだろ。さあ、おいで。今日ぼくは、ぼくの家のモリーという牛について話をしようと思うんだ」
 シャムの愛情に満ちた言葉を聞いて、バルクーはお祈りの部屋に入りました。シャムのお話をだれもが心待ちにしていました。シャムはお話を始めました。

 ぼくたちの家には、モリーという名の雌牛がいた。今でもこの牛の姿が目に浮かんでくる。こんな雌牛は村中捜してもいないと言われていた。本当にだれもがうらやましがるだけの価値のある牛だった。背も高く、体格もよかった。性質は穏やかでやさしかった。ぼくの家には、5シェール(1シェールは約1リットル)入る大きなつぼがあったが、この牛は、1度にこの大きなつば一杯のミルクを出した。モリーのお乳は大きくて、手入れが行きとどいていた。

 母は、朝起きるとすぐに牛小屋に行き、モリーに自分の手から草を食べさせた。そして、牛の額にクンクーをつけ、牛のしっぽで自分の顔をなでたものだった。

 雌牛は女神だ。インドの女の人たちは雌牛をとても大切にしてきた。しかし現在、牛への本当の信仰は残っていない。見せかけだけの信仰があるばかりだ。人々は牛に向かって形ばかりのナマスカール(合掌あるいは礼拝)をする。むかしは、よその雌牛が自分の庭に入って来たからといって、棒でたたいて追い出したりはしなかった。その雌牛にバークリや一束の干し草も与えた。今日では、よその雌牛が庭に入って来ようものなら、その雌牛は棒でたたかれるだろう。よその牛は別にしても、自分の家の牛にさえ、十分なえさも、時間通りに水も与えていない。林の中や、村の中で見つかるものを食べればいい、どこでなりと汚い水でも飲めばいい、今日、ぼくたちはこんな気持ちで牛に物乞いをさせている。だから。ぼくたちにも物乞いをして歩かねばならない運命がきた。労働をしただけ実りがある。牛の世話をした分だけ幸せと幸運がやってくるというのに。

 母は1日に何度も牛小屋に行った。米を洗った水を銅製のつぼに入れて持って行き、牛に飲ませた。この水は、冷たくて栄養のあるものだった。昼食の時間には、僧侶のために1つと、牛のために1つ、合計2つのお膳が用意された。お寺にあげるお膳は僧侶が持って行き、牛のためのお膳は牛のところへ持って行かれた。これはゴーグラースと呼ばれ、母はこのゴーグラースを牛のところへ自分で持って行った。

 このモリーは母をとても愛していた。愛すれば愛されるだろう。与えることによって愛は2倍になる。モリーは母を舌でなめ、母は牛の首の下の柔らかい皮をなでた。そんな時、モリーは首を持ち上げるのだった。母の声を聞きつけるとすぐに、モリーは鼻を鳴らしたものだった。モリーの乳は母がしぼっていた。モリーは他のだれにも乳をしぼらせなかった。与える者だけが受け取るべきだと、彼女はまるで心に決めてでもいるかのようだった。他のだれかが乳をしぼろうとすると、彼女は匂いをかいだ。「ガンデーナ ガーワハ パッシャンティ(サンスクリット語で“牛は匂いで物を見る”)という意味」牛は匂いで識別ができる。乳房に手が触れるや否や、その手がだれの手かわかるのだった。母以外の人が乳をしぼろうとすると、モリーは足でけった。この牛は個性的で、誠実で、自尊心にあふれていた。自分を愛さない者は足でけるのだった。「罪深い人ね。私のお乳に触っては駄目よ。私のお乳に触りたいのなら、私のかわいい子牛になってからいらっしゃい」と言っているかのようだった。

 ぼくたちは、モリーを幸福のしるしだと考えていた。モリーはまさにぼくたちの宝物だった。ぼくたちの女神であり、愛と神聖と友情と美の象徴でもあった。

 しかし彼女はパーイラーグという恐ろしい病気にかかってしまった。コーカン地方ではこの病気のために多くの家畜が死ぬ。まず、家畜たちは足を打ちつけ始め、足に傷が出来、虫がわき、2、3日で死んでしまうのだ。

モリーもパーイラーグにかかった。いろいろな手当てを行ったが、効果はなかった。1本の草も食べようとせず、首をうなだれて横になっていた。ぼくたちは神さまの名を何度も何度も唱えた。しかし、運は尽きていた。モリーはぼくたちを残して死んでしまった。

 モリーが死んだ日、母は食事を取らなかった。母がどれほど悲しんだか、ぼくは言い表すことができない。愛する者にのみ、愛するものを失った悲しみがわかる。他の者に何がわかるだろう。モリーが死んだ場所に、母はその後もずっとハラッドクンクー(神聖とされる赤い粉と黄色い粉)と花をお供えした。

 ときどき母は言った。
「モリーが死んだ時。この家の運も尽きてしまったわ。あの日以来、家の中ではけんかが絶えなくなったの。むかしは豊かなゴークル(クリシュナ神の育った村、理想郷)のように、この家は村の中でも際立っていたわ。でも、モリーが死んでから、困ったことばかり起きるようになったの」

 母の言葉は本当だった。とても広い意味で本当だった。インドの母とも言えるモリーが死んだ日から、インドの人々が牛を疎んじて、粗末に扱うようになった日から、不幸。病気、貧困、悲惨、飢えがますますひどくなった。

 糸つむぎ車と雌牛は、インドの幸運を約束する敬うべき力強い女神であった。この2つの女神への信仰を再び始めない限り、救われる道はない。牛が道にいるのを見て、そのまわりを右に回り、ナマスカールをするのが牛への信仰ではない。ぼくたちは偽善的になっている。神さまにナマスカールをするくせに、兄弟を平気で困らせている。雌牛を母と呼ぶくせに、食べ物や飲み物を与えることはしない。だから牛の乳も手に入らない、手に入ったとしても、満足しないだろう。偽りの形ばかりのナマスカールをする者には、地獄と隷属があるだけだと言われている。