法話 2020/01/01更新

如是我聞

 インドで仏陀釈尊が教えを説き示されて約2500年、親鸞聖人がその教えを浄土の真宗としていただかれてから約800年という時を経て、「仏教」「浄土真宗の教え」が今ここに届いています。
 それぞれの時代と地域において、さまざまな苦悩の中にありながらも、仏の智慧と慈悲との出遇いをとおして限りあるいのちを生きぬかれた方々の確かな歩みと喜びが、言葉となり形となってこの私へと伝えられてきました。

 仏教が今日まで伝わったその原点は、悟りを得られブッダ(目覚めたもの)となられた釈尊が初めて教えを説かれた「初転法輪しょてんぼうりん」という出来事と、釈尊が亡くなった、涅槃に入られたあるいは入滅されたと表現しますが、直後に釈尊の教えを確認する場が持たれた「結集けつじゅう」という出来事だといえましょう。「初転法輪」については、また後日お伝えすることとして、今回は「仏入滅後の結集」でのエピソードを紹介いたします。

 釈尊の在世当時、釈尊を含め仏教徒たちは、教えを文字に刻まず全て記憶して、口伝によって他者へ説き示していました。釈尊入滅後、主だった弟子たちが集まり釈尊の教えを確認する場がもたれましたが、その時、弟子の中で記憶力が第一といわれていたアーナンダ(阿難)が、「このように私は聞きました」、「ある時釈尊が祇園精舎におられたとき、このように私は聞きました」などと言われたのです。「このように私は聞きました」という言葉が多くの仏教経典の冒頭におかれているのは、インド・王舎城(ラージギル)七葉窟であったこの出来事が基になっています。

 「このように私は聞きました」という言葉は、漢訳(中国語訳)において、「我聞如是」「聞如是」と表現されています。浄土真宗の依り所とする経典の一つであります『阿弥陀経』は、「如是我聞」で始まります。後に「如是我聞」という言葉は、「如是」すなわち「仏の教え」が、この私にとって「本当にそのとおりだなとうなずかれる時」がある、その時が「我聞」ということだと解釈されていきます。

 親鸞聖人は、主著『教行信証』において、「『無量寿経』に「もん」と説かれているのは、私たち衆生しゅじょうが、仏願の生起本末を聞いて、疑いの心がないのを聞というのである」、と述べられています。「仏願の生起本末」とは、仏が衆生を救いたいとの願いを起こされた由来と、その願いを成就されて現に我々を救いつつあるということです。「仏願の生起本末」を一生かけてお聞かせいただくことを「聴聞」(ちょうもん)と申します。

 いろんなご縁をとおして、仏の教えが「ああそうなんだ」「本当にそうですね」と深く頷かれる、その時を大事にしながら歩み続けていければ有難いことです。

 本年も聴聞に励まれ、お念仏申すご縁がありますよう  称名