シャムチアーイー 2020/05/03更新

第十二夜 本当の愛を求めて

「ねえ、もう始めようか?ゴウィンダー」
 とシャムが尋ねました。
「もう少し待った方がいいよ。あのおじいさんがまだ来ていないからね。君の言葉を1つでも聞きのがしたら、悲しむと思うよ」
 とゴウィンダーが言いました。
「ごらんよ、おじいさんがやって来たよ。いらっしゃい、こっちに座ってください」
 とラームが言いました。
「ここでいいですよ。ここに座らせてもらいますよ」
 とおじいさんが言いました。
「シャム、さあお話を始めてよ」
 とラージャが言いました。
 集まった人たちはシャムのお話を待っていました。お話が始まりました、心を打つ笛の演奏が始まりました。

 父は、ぼくたちの村から6コース(1コースは約4キロ)離れたダーポリーという町の英語学校に、ぼくを入学させた。ぼくがプーナのおじのところから逃げ帰って来て、父の面目をつぶしたころだった。しばらくのあいだ、家で『ヴェーダ』の勉強などをしていたが、父はぼくにやはり英語教育を受けさせることにした。ぼくは、英語学校の1学年と2学年はすでに終了していた。

 ダーポリーはたいへん美しい町だ。気候も健康に良かった。町から4コース行けば、そこはもう海岸だった。ダーポリーにはたいへん広い平野が広がっていて、まわりには森も多い。糸杉の深い森だった。そこから風が吹き始めると、海のとどろきのような音が聞こえる。カシューナッツの木も多い。夏になると、赤、黄色、緋色のカシューナッツが、鈴の形をしたシャンデリアのランプのように、木の上で揺れている。ダーポリーの周辺の村は、自然美の里ともいえる。

 そのころ、ダーポリーの英語学校は、ミッション系だった。ダーポリーの寄宿学校は、一時、ボンベイ地方の人々のあいだでも人気があった。そのミッションスクールは丘の上にあった。あちこちに品種改良されたマンゴーの木がたくさんあった。学校はとてもきれいだった。この学校にぼくは入学したのだった。

 ダーポリーからぼくたちの村までは6コースだったが、徒歩でこれだけの距離を歩けるかどうか、ぼくには自信がなかった。でも、ある日歩いてみてからは自信がついた。その日以来、ぼくは週末にはいつも、歩いて家に帰るようになった。土曜の午後2時に授業が終わるとすぐに、ぼくは家に向かった。そして、夕方には家に着いた。日曜日は家で、やさしい母のそばで過ごし、月曜日は夜明けごろに起きて、ダーポリーの学校に10時までに戻らねばならなかった。

 ある土曜日、ぼくは家に向かって出発した。その日、ぼくは少し気が滅入って、悲しい気持ちになっていた。自分を助けてくれる人は、世界にただ1人もいないように感じていた。ぼくは子供のころからこんな気持ちになることがあった。ときどき、突然、いったい世界中で自分にはだれがいるだろうか、という疑間が起こるのだった。こんなことを考えて、ぼくは何度も泣いた。何の理由もないのに、急に涙があふれてきて、胸がしめつけられるような経験を何度も味わった。自分自身、まるでひと滴の水のように今にも乾いてなくなってしまうかもしれない、あるいは1枚の木の葉のように今にも落ちてしまうかもしれない、こんな救いのない考えが、子供のころからぼくの心には浮かぶことがあった。

 子供のころから、ぼくは同情と愛に飢えていた。まるで、この2つのものを何百もの前世において得られなかったかのように。何百回、生まれ変わっても、常にこれらのものに飢えていたかのように。人は、食べ物がなくても生きていけるが、愛なしにどうして生きていけるだろう。愛は生命の糧だ。変わることのない豊かな愛は、生命の木をはぐくむ。木の葉の1枚1枚、枝の1本1本、幹全体、そして根からてっぺんまで樹液があふれているように、愛もあふれていなければならない。ソーダ水のビンが割れれば、ソーダ水は泡立つけれど、そんな、ほんの一瞬あふれても、次の瞬間には見えなくなってしまうような愛は、生命にみずみずしさや、美しさや、喜びを与えることはできない。

 その日、ぼくは愛に飢えていた。ぼくは、愛にあふれた家庭の空気を吸うために出発した。ロークマニャ・ティラック(独立運動のために、主にプーナで活動した「ケースリー新聞」の編集者)は言っていた。

「私は2か月間、シンハガド(プーナ郊外の要塞)へ行って暮らそう。そのあいだ、あの澄んだきれいな空気、自由な空気を吸って、また下界へ降りてこよう。その空気は1年間は私にすがすがしさを与え続けるだろう」と。

 ぼくも同じような気持ちだった。1週間ごとに家に帰って、家庭の愛にあふれた空気を吸って、また学校にもどる。この空気を体の中に保ちながら、愛のない世界で1週間を過ごし、また家に帰る。

 まだ幼かったぼくは愛に飢え、愛を求めていた。今では愛を受け取るよりも、愛を与えることの中にこそ本当の喜びがあるのだと、ぼくはわかるようになったけれど。しかし、もしも芽がとても小さい時、灼熱の太陽の下で乾いたり枯れたりしないように、水をかけて気をつけてやれば、その芽は後に大きくなった時に、木陰を与えてくれるだろう。大きく成長して、何千人もの人に愛を与えるだろう。成長期、つまり、子供時代に愛を受けなかった人たちは、後の人生で心がかたくなになってしまって、彼らもまた、世の中の人に愛を分け与えることができないものだ。人間には、もらったものを与える性質がある。

 ぼくは道を歩いていた。ときどき目から涙がこぼれた。この6コースの道のりの途中には、たくさんの村がある。森もある。カランジャニー村の近くに、1つの井戸があった。むかし、その井戸のそばの道を、夜、行進していた結婚式の行列が消えてしまったという言い伝えがある。この井戸の近くに来ると、ぼくは怖くなった。ぼくは「ラーム、ラーム」と神さまの名を呼びながら、走って通り過ぎた。森の中を通る時には、トラが出て来るのではないかと思って、怖かった。途中でのどが渇いたので、井戸に下りて行って水を飲んだ。その井戸はゴーダウィヒール(馬の井戸)と呼ばれていた。つまり、馬が中に降りて行けるほど大きな階段がつけられていた。ぼくは水を飲んで、また歩き始めた。夜になるといけないので足早に歩いた。

 やっと、ぼくが家にたどり着いた時には、もう暗くなっていた。下の弟がシュローカ(詩句)などを暗唱していた。母はかまどの火をおこしていた。ドゥールワおばあさんはだれかのために、聖なる灰に向かってマントラ(ヒンドウー教のお経)を唱えていた。もしも、だれかが他の人に呪われたりすると、ドゥールワおばあさんのところに、この聖なる灰をもらいに来た。ドゥールワおばあさんはマンゴーの葉の上に灰を少しのせて、マントラを唱えながら、指でこの灰をつぶし混ぜる。それから、この灰を呪われたと思っている人の額にこすりつけた。

 ぼくが庭に入って来るのを見るとすぐに、
「お兄ちゃんが帰って来た、お兄ちゃんが帰って来た」
 と弟たちが喜んで大騒ぎを始め、ぼくにまとわりついた。
 母が言った。
「今日は遅く出発したの?もう少し早く出発した方が、よかったんじゃないの?もう夜になってしまったわ」
「今日はあまり早く歩けなかったんだ。なんだかとても疲れているような感じだったんだ」
「それじゃ、どうして歩いて帰って来たの?もう少し待って、サンクラント(日本の春分の日にあたる)のお祭りの日に帰ればよかったのに」
「お母さん!ぼくはお母さんに会いに来たんだよ。お母さんがぼくを愛情こめて見てくれると、ぼくは力が出るんだ。この力をもって、学校に帰りたいんだよ」
 と言って、ぼくは母に抱きついて、泣き始めた。母も泣き始め、弟たちまで泣き出した。母は自分の目をぬぐい、そして、サリーでぼくの目もふいてくれた。
「さあ、このお湯で、足を洗いなさい。ちょっと待って。少し油を塗ってあげるわ。それからお湯を注ぎなさい」
 こう言って、母は足に油を塗ってくれた。そのあいだ。ぼくは母を見ていた。その時、ぼくはどんなにうれしかったことだろう。この時の気持ちは喜びという言葉さえ、適当ではない。それではまだ言い足りない。その気持ちは、言葉では言い表すことのできない、何かしら神聖な感情だった。

 ぼくは手足を洗い終わって、かまどのそばにいる母のところに行って座った。
「お兄ちゃん、何かお話をしてよ。そうでなかったら、新しいシュローカを教えてよ」  と下の弟が言った。ちょうどその時、父が帰って来た。父は心配事をかかえて帰って来たのか。ぼくを見ても、いつものように喜んではくれなかった。ひと言もしゃべらずに、外で足を洗ってサンデャー(夕方の礼拝)を始めた。

「サンデャーは終わったのかい?」
と父はぼくに尋ねた。そのころ、ぼくは、サンデャーの細かい意味はわからなかったが、作法はきちんと行うことができたし、マントラを唱えることもできた。
「まだです。今からします」
 とぼくは答えた。
「かまどのそばに、どうして女みたいに座っているんだ。さあ、夕方の礼拝を始めなさい」
 と父は腹立たしげに言った。
 母が言った。
「たった今、シャムは帰って来たんですよ。本当に疲れているんです。死にそうにくたくたになっていると言っていました。それで、少し座っていたんです。シャム!さあ、サンデャーをしなさい」
 ぼくは立ち上がって、礼拝用の板の上に座った。聖なる灰を指で額にこすりつけて、作法通りに聖なる水をすすった。ぼくの目のたくさんの涙のつぶが、神さまにささげられていた。
 父が再び言った。
「学校でも、ちゃんと夕方の礼拝をしているんだろうな。それに、何でそんなに髪を伸ばしているんだ。むこうには散髪屋はいないと見えるな。まるでカラスのようだ。このあいだ、お前のところに行った時、髪を刈ってもらうように言っておいただろ。どうして刈ってもらわなかったんだ。角でも生え出したのか?明日の朝、ゴウィンダー理髪師か、ラキャー理髪師のどちらかを呼んで、髪を刈ってもらいなさい。さもなければ、ここにいることは許さん。出て行ってしまえ」

 ぼくは愛に飢えて帰って来たのに、反対にしかられただけだった。ぼくは涙をこらえることができずに、わっと泣き出した。
「泣くようなことは何もないじゃないか。だれかなぐったとでもいうのか。ドラマでも演じているつもりか」
 と父が言った。
「きっと、明日は髪を切りますよ。あちらではお金を払わなければなりません。たぶん持ち合わせ がなかったのでしょう。だから切らなかったんでしょう。それにあちらでは10時までに学校へ行かなければなりませんからね。シャム、もう泣かないで。サンデャーは終わったの?アールティー(ランプを使った礼拝)をしなさい。私は食事の仕度をするわ。おなかがすいたでしょ?」
 と母はやさしくとりなしてくれた。

 ぼくは生と死、甘露と毒を同時に味わっていた。夏と雨季、秋と冬を同時に経験していた。

 アールティーが終わり、食事の準備も出来た。母はぼくだけにヨーグルトをついでくれた。弟も一緒に座っていたが、彼にはつがなかった。だれもぼくの方を見ていない時に、ぼくはお皿のヨーグルトを弟のご飯にかけ、まぜてやった。その時、ぼくはこの上ない喜びを感じていた。
 ぼくはその日、とても感傷的になっていた。その時、ぼくの体のどこに指を触れても、そこから涙があふれ出てきただろう。まるで体全体が涙でいっぱいのようだった。ぼくは大きくなってから、弟にお金をやることもあった。しかし、その夜、分けてやったヨーグルトにこめられていたほどのやさしさと思いやりは、そのお金にはなかった。

ぼくたち兄弟は、話をしながら横になっていた。弟たちは間もなく眠ってしまったが、ぼくは眠れなかった。ぼくはただ、すすり泣いていた。それでも、いつの間にか眠ってしまった。

 ぼくが目を覚ました時、父は農場を見に出かけてしまった後だった。母は床をきれいにしながら、クリシュナの歌をうたっていた。

クリシュナはヤショーダーの息子
美しく愛すべき子供
クリシュナはヤショーダーの幼子
ヤショーダーは彼に愛の乳を与える
クリシュナは赤ん坊のメーガシャム
ヤショーダーの愛の乳を飲む

 ぼくは歌を聞いていた。ぼくの母の名はヤショーダーで、ぼくの名はシャムだ。母はぼくに愛をそそぎ、愛の乳を飲ませていた。ぼくは起き上がって、母のところに行って抱きついた。
「お母さん、ぼくを抱いて寝かしつけてよ。お母さんのサリーで作ったふとんをぼくにかけてよ。少しのあいだ。ぼくをやさしくたたいて寝かしつけてよ。床の掃除はしばらく放っておいて」
 子供の要求の前には、母親はどうしようもない。ぼくは本当に小さな幼児になってしまったようだった。母のそばでぼくは眠った。ぼくの体をやさしくたたきながら、母は子守唄をうたった。

夜明けににわとりが遠くで鳴いている
赤ちゃんはまだ眠っていなさい
あなたは小さいのだから眠りなさい
夜明けに水車は音をたて始める
赤ちゃん、揺りかごの中で眠りなさい
夜明けにカラスがカアカアと鳴いている
それでも、まだ眠っていなさい
起きては駄目よ、眠りなさい
夜明けにみんなは忙しく仕事を始める
それでも、赤ちゃん眠りなさい――とお母さんは言うわ。眠りなさい

 ぼくは母の子守唄を聞きながら、言った。
「お母さん、ぼくは、出て行くよ。ここにはいられないよ。ぼくが帰って来た時、お父さんはなんてひどく怒ったんだろう。お父さんが帰って来る前にぼくを行かせてよ」
「シャム、そんなことをしては駄目よ。そんなことをしていいものかしら?お父さんが怒ったのは本心からではないのよ。よそできっといやな事があったのでしょう。それで腹を立てて、あなたに当たったんだと思うわ。このごろでは、私たちの経済状態が苦しいことは、あなたも知っているでしょ。お父さんの心は悲しみでいっぱいなのよ。しかられたからといって気にしては駄目よ。お父さんはあなたたちを今日まで育ててくださったのよ。それなのに、ほんの少し小言を言う権利もないっていうの?この何年ものあいだ、あなたたちのために、お父さんはどんな恥も、どんな苦労もしのんできたのよ。そしてあなたたちを大きくしたのよ。あなたたちの教育のために借金をして、自分は破れたドーティをまとって、お金をくださっているのよ。その恩を、たったあれだけしかられただけで忘れてしまっていいの?それに、髪が伸びていたからしかられたんでしょ。昔気質の人たちはそういうことが嫌いなのよ。あなたたちはまだ小さいからしかってもらえるのよ。大人になったらだれがしかってくれるでしょう。それに聞きもしないでしょう。両親を喜ばせるために、髪を切ることさえいやなの?両親の宗教心を傷つけないために、これだけのことをするのもいやなの?」
 母はぼくを説得していた。
「髪の毛にどんな宗教があるっていうの?」
とぼくは言った。
「宗教はあらゆるものの中にあるのよ。何かを食べたり、飲んだりする行為の中にも宗教はあるのよ。どうして、あなたは髪を伸ばしたのかしら。それは誘惑に負けたからよ。誘惑に打ち勝つことが宗教なのよ」

 みんな!ぼくの母はあの時、ぼくに何もかもを理解させることはできなかった。しかし、今ではすべて理解することができる。あらゆるものの中に宗教がある。このことは、このアーシュラムに住むみんなには、改めて言う必要はないだろう。ひとつひとつのことを考え深く行うこと、真実と恩恵と幸福のために、何かをすること自体が宗教である。話すこと、歩くこと、座ること、立ち上がること、聞くこと、見ること、食べること。飲むこと、眠ること、沐浴すること、洗濯すること。それらすべての行為の中に、宗教がある。宗教は空気であり、光である。我々がどこへ行こうと、一生、宗教という空気が必要だ。ぼくはかっこよく見せようとして、髪を伸ばしていた。本当の美しさは美徳と清潔さの中にあると、今ではわかるのだが。

 その日、父に腹を立てて、ぼくは家を出ようとしていた。しかし、母はそれを許さなかった。母はぼくに愛情をそそいで、本当の道を示してくれた。母の愛は盲目でも、憶病でもなかった。

 ぼくはもう少しのあいだ眠った。そして、ぼくが起きると、ゴウィンダー理髪師が呼ばれた。彼はぼくたちととても親しかった。
「やあ、シャム!こりゃまた、ずいぶん髪を伸ばしたもんだね」
「ゴウィンダー、あなたはとても上手だけど、ダーポリーの理髪師は下手で、ぼくをひどく泣かせるんだよ」
 ぼくの言葉を聞いて、ゴウィンダーは気をよくした。
 ぼくたちが沐浴を終えたころ、父は外から帰って来た。父はタワセを持ち帰った。タワセというのは、よく熟れたキュウリのことだ。この種のキュウリをコーカン地方では、家の中につるして保存する。そうすると、長いあいだもつのだった。雨季(6月〜9月)にとれたカボチャやキュウリはホーリーの祭り(3月に行われるヒンドゥー教の春祭り)のころまではもつ。ホーリーの祭りの大きな太鼓が打ち鳴らされると、もう、これらのカボチャやキュウリももたないな、と人々は思うのだった。

父は母に言った。
「タワセを持って来たぞ。パートレをこしらえてくれ。シャムが好きだからね。それから、ターメリックの葉も持って来たぞ。沐浴をすませたようだな。シャム、かまどに少しまきをくべなさい。私も沐浴をして、お寺へ行こう。今日、私はマントラを何度も唱えるつもりだよ。私は2週間ごとにガナパティー神の礼拝をしているんだよ」
 父のやさしい言葉を聞いて、ぼくは恥ずかしくて赤くなった。前日の夜、父はぼくをしかったが、父の愛はなんと大きいんだろう。ぼくが幸せで、良い子になるように、また、勉強がうまくいくようにと、父は神さまにお祈りをしている。ぼくがパートレが好きだからと、外を歩き回って、タワセを持ち帰ってくれた。それなのにぼくは父に腹を立てて、出て行ってしまうところだった。父が帰った時に、ぼくが腹を立ててダーポリーに帰ってしまったと知ったら、どんなにがっかりして悲しんだことだろう。あの愛情深く、気高い父の心は、どんなに傷ついたことだろう。ほんの少しの小言にさえ耐えられないなんて、自分の息子の父への信頼や感謝、愛はどこに行ってしまったのだろうか、ほんの少しの小言で消えてなくなるものなのか、と父は思ったことだろう。

 ぼくは感謝をこめて父を見た。お湯を沸かすために、かまどに乾いた木の葉などをくべて火をおこした。それから家の中で、父が持ち帰った花の中からハイビスカスを取り出して、茎を取り除いた。ぼくはさまざまな色の花、いろいろな種類の花を銅製のお盆に分類して並べた。トゥラスやドゥールワやベールの葉も並べた。礼拝のためにひと握りのお米も用意した。礼拝のための準備をすべてぼくが整えた。バラ色をしたコラントキーの花はとても繊細に見えた。ゴークランやバラの花もあった。小さな器にお供え用のミルクも入れ、木製のいすの横には、聖なる灰をお椀に入れておいた。

 父のために礼拝の用意をしてから、ぼくは母の手伝いをした。キュウリを切って、細かくおろし、ターメリックの葉もきれいにそろえた。おろしたキュウリにお米の粉を混ぜる。これに黒砂糖を加え、それをターメリックの葉の上に広げる。葉の半分に薄くのばして、葉のもう半分をその上にふたのようにかぶせる。ぼくは本当に薄くのばすことができた。これを蒸して火が通ったらパートレの出来上がりだ。

 父の礼拝が終わりに近づいた。ぼくはかまどのところへ行って、細い木の枝でランプに火をともして、父に手渡した。マッチを無駄に使うことは決してなかった。家での礼拝が終わると、父はお寺へ行った。

 ぼくはヤシの実を1つ割った。パートレの味をひきたてるために、何を用意したらいいだろう。パートレに何をつけて食べたらよいだろう。

 コーカン地方ではギー(バターから作られる油)はあまり使われない。貧しい家庭では、バターミルクの一滴で食べ物を清めて食べる。コーカン地方では、ヤシの実をギーのかわりに用いる。柔らかなヤシの果肉を細かくけずり、これにお湯と塩少しを混ぜて。さらに細かくすりつぶす。その後で、これをしぼって汁をとる。このヤシの汁のことをアーングラスという。とてもおいしくて、すばらしい味がする。コーカン地方では、このアーングラスをつけて、パートレ、モダック、カーンダウィーなどのお菓子を食べる。

 ぼくはとても濃いアーングラスを作った。食事の仕度が出来た。父が帰ると。喜びのうちに食事が始まった。その日、ぼくはとても、うれしかった。
「シャムにパートレをもう一つあげなさい。私の分もあげなさい」
 と父が母に言った。

 母と同じように父も愛情深かった。父はぼくたちに体罰を与えたことは1度もなかった。立ち上がったり、座ったりを10回くりかえしなさいとか、庭の草を取りなさいとか、木に4杯水をかけなさいとか、神さまにナマスカール(身を投げ出して礼拝すること)を10回しなさいとか、そういった種類の罰を父は与えた。時には、怒って怒鳴ったりするが。ぶつことは決してなかった。

 ぼくたちの食事が終わってから、母は食事の席についた。
「シャム、あなたがもしも今日、出て行ってしまっていたら、お父さんはどんなにつらく思われたでしょう。食べ物もおいしくはなかったでしょう。ひと口だって、飲み込むことはできなかったと思うわ。何かの折にしゃっくりが出たり、手につまんだ食べ物がお皿の上に落ちたりすると、“だれが私のことを思い出しているんだろう。ガジューだろうか、それとも、シャムだろうか”とお父さんはおっしゃるのよ。お父さんはとてもあなたたちを愛しているのよ、シャム。考えてもごらんなさい。私はこんなに病気で弱っているわ。私はもう長くはないわ。お父さんひとりを残して私は行かなければならないわ。兄弟も姉妹も、あの人の面倒を見てはくれないでしょう。貧しい者のことをだれが考えてくれるかしら。あなたたち息子のことを思って、お父さんは生きるでしょう。あなたたちがいるから、お父さんの幸せがあるのよ」

 こう言いながら、母は涙で声をつまらせた。母がまた言った。
「シャム、お父さんはいつも、“子供たちは、悩みを取り去ってくれるか、悩みの種になるかのどちらかだ”とおっしゃっているわ。悩みの種になんかなっては駄目よ。悩み事があったら、それを取り除いてあげなさい。お父さんを幸せにしてあげなさい」

 母の食事が終わった。ぼくも母の手伝いをした。いすの上にご飯つぶなどついているといけないので、水ぶきをして片づけた。礼拝のための器など、すべての道具を集めて、外で洗うために運び出し、母が食器をごしごしと磨いた。そして、その後をぼくがゆすいだ。それから母は、バターミルクやヨーグルトのベトベトした器をお湯で洗った。下の弟のサダーナンダの小さな器も洗った。この器の中にミルクを入れて、彼のためのヨーグルトを作るのだった。汚れを取ってから、母はかまどの後ろに置いて乾かした。ミルクを沸かすかまどの火が十分に残っているかどうか、彼女は確かめた。このようにして母は台所を手際良くきちんと片づけた。

 ぼくはヴェランダに座って、父とおはじき遊びをした。何度やっても、父はぼくを負かしてしまった。「私を負かしてごらん」と言いながら、父はぼくのおはじきを全部、取ってしまった。このように、一日は楽しく過ぎて行った。

 母はぼくのドーティの破れを繕ってくれた。夜、父は美しい物語をぼくたちに話してくれた。だれも夕食をとる気にならなかった。母はバターミルクにフォドニー(熱した油にマスタードとターメリックパウダーを混ぜたもの)を混ぜてスープを作ってくれた。

 翌朝、ぼくは早く起き、沐浴をした。母は豆のパーパッド(インド風せんべい)にソースをかけてくれた。ご飯の上にトンドリー(野菜の一種)ものせてくれた。シャムが好きだからといって、近所に住むジャーナキーおばさんが持って来てくれたものだった。ぼくは朝食後、すぐに出かけなければならなかった。

 ぼくは母の足元にひざまずいた。
「今度はサンクラントのお祭りの時に来なさい。足がとても痛いようなら、牛車に乗せてもらいなさい。人がたくさん乗っている牛車を見つけて、2アナー(1アナーは16分の1ルピー。ルピーはインドの通貨)を払って乗せてもらいなさい。体に気をつけてね」
 と母が言った。それから、ぼくは父にナマスカールをした。
「シャム、私がしかったからといって、あまり気にしてはいけないよ。お行儀良くして、しっかり勉強しなさい」
 と父が言った。

 ぼくは二人の弟を抱きしめて、出発した。ぼくたちの村と隣村の境界に、大きなベヘラの木があった。父はそのベヘラの木のところまで、ぼくを送ってくれた。

 両親の愛をかみしめ、泣きながら、ぼくは歩いていた。ダーポリーから家に帰る時には、愛が欲しくて泣いていた。ダーポリーに帰る時には、愛がたくさんもらえたために、胸がいっばいになって泣いているのだった。喜びの涙と悲しみの涙の違いだけがあった。

 途中で、1人の旅人に出会った。
「おや、坊や、どうして泣いているの?君のことをかまってくれる人がいないの?」
ぼくはその人に言った。
「ぼくにはお父さんとお母さんがいるよ」
「お父さんとお母さんは、君のことをかわいがってくれないの?君を家から追い出したの?」
「違うよ。ぼくのことをとてもかわいがってくれるから、泣いているんだよ。あの気高い無限の愛に、ぼくはふさわしくないんじゃないかと思って悲しくなったんだ。両親の愛にどうやって恩返しをしたらいいんだろう。本当にどうしたら報いることができるだろう。こう考えて、ぼくは泣いているんだよ」

 尋ねた旅人は、ぼくをやさしく見つめてから、去って行った。ぼくも足早に歩き始めた。