法話 2020/05/11更新

娑婆を生き抜く道

 新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言による措置が続き、収束の目途もたたない中、不安な日々をお過ごしの事と存じます。東京在住の知人が新型コロナ感染症によりご逝去されたとの報に接し、悲しみと悔しさを感じております。皆様もどうぞお大事にお過ごし下さい。

 「仏説阿弥陀経」では私どもが住む世界を、「娑婆しゃば国土の五濁悪世、すなわち 劫濁こうじょく見濁けんじょく煩悩濁ぼんのうじょく衆生濁しゅじょうじょく命濁みょうじょく の世界」と説き示されています。「娑婆」とは、古代インドの言葉 सहा sahāの漢訳で、もとは大地とか現実世界という意味です。
この世界に生きる者は、内には老病死を代表とするさまざまな苦悩を受け、外には寒・暑・風・雨などの苦を受けながら堪え忍び生きていかねばならない、ということを表す仏教の言葉です。「娑婆の空気は・・・」というイメージとは違いますね。
この娑婆国土をさらに「五濁」すなわち五つの濁りに満ちた世であると説かれます。
「劫濁」とは、戦乱や飢饉さらには疫病で時代が濁ることです。
「見濁」とは、人間の考え、思想の乱れで世の中が濁ること。
「煩悩濁」とは、貪欲・怒り・愚痴といった人間の持つさまざまな煩悩によって世界が濁ること。
「衆生濁」とは、心身ともに人々の質が劣っていくこと、あるいは教えの理解力が劣化することとも言われています。
「命濁」とは、人々の寿命が短くなるということです。現代は、人生百年時代ともいわれています。
先日ある研修でいただいた資料の中に、「2007年に生まれた人の50%は、107歳まで生きる可能性がある」という記述がありました。そうなると、この「命濁」はどう考えたらよいのでしょう。ある先生は、「命の年数が短くなるというよりも、精神の豊かさが薄らぐこと」と解説されています。真の人間として生きることが困難な時代ということでしょうか。

 2500年前に釈尊が説き示された世界観ですが、実に今日われわれが生きている世界の姿そのものです。

 「阿弥陀経」は、「 釈迦牟尼仏しゃかむにぶつ (佛陀、釈尊)は、そのような中にありながら、この上ない悟りを開いて、人々のためにすべての世に超えすぐれた信じがたいほどの尊い教えをお説きになったのである。」と続きます。

 大谷派の真宗学者で、筑後市にあります九州大谷短期大学の教授であられた平野修先生の言葉をとおして娑婆を生き抜く道を教えていただきました。

           信の佛道
  「老病死の身 どこまでいっても老病死の身
  だからこの世には逃げ場はない」と佛陀は教えられる
  すがったり いのったり ねがったりすることは
  信ずることではない たしかな道ではない
  信ずるとは 依頼心から独立することだ