シャムチアーイー 2020/06/17更新

第十八夜 貧しい者の夢

 シャムは近ごろふさぎこんでいるようです。お母さんの思い出話をしているせいではないでしょうか。お母さんの不幸なつらい人生を思い出して、彼もつらくなったのではないでしょうか。

「シャム、君はこのごろ、笑顔を見せないね。どうしてそんなに悲しそうにしているの?いったいどうしたの?」

「ラーム、ぼくたちの国には、限りない不幸と悲惨と貧困があるんだ。ぼくは母の思い出を話しているけれど、それはまるで母なるインドと同じだよ。この母なるインドは、悲惨と他国への隷属と借金の中に溺れている。子供たちには食べる物も、飲む物も、仕事も、教育もない。ぼくの胸ははりさけそうだ。この惨めさを見るに耐えないんだ。インドは、イギリスヘの隷属のために、これほど苦しんでいる。どこもここも、借金と飢えと病気が 蔓延 まんえん している。小さな赤ん坊は生まれてすぐ死んでいく。だれの顔にも、少しの精気もない。エネルギーも熱意もない。生命の泉もかれてしまったようだ。隷属状態はすべてを食べ尽くし、すべてを破壊してしまう。今のインドには、死はあるが生命はない。悲しみはあるが喜びはない。感謝ではなく忘恩が、愛情ではなく欲望が、人間性ではなく獣性が、明るさではなく暗さが、宗教ではなく反宗教が、勇敢ではなく恐怖心が、自由ではなく東縛が、思想ではなく因襲が、このインドでははびこっている。この途方もない悲しみ、この蔓延した悲惨は、ぼくのちっぽけな心臓を焼いている。ぼくの母と同じような苦しみを味わっている母親が、このインドには何十万人もいる。彼女らの金のようにすばらしい生命は、土くれのように価値のないものになっている。それを思うと憂うつにならずにはいられないんだよ」

 シャムはもう話すことができませんでした。

「シャム、悲しみを見たら、その悲しみの種を除くよう努力するんだよ。暗かったら、光を持って来る努力をするんだよ。東縛を見たら、その東縛を解くために前進するんだよ。どうして悲しんでばかりいるの?困難であればあるほど、勇士は熱意と勇気を得るものだよ」

「でも、ラーム。ぼくは勇士なんかじゃないよ。君たちは勇士だ。ぼくはうらやましいよ。君たちのように悲しみにくれることなく、いつも努力したいと思うよ。でも、ぼくの希望の糸は切れてしまった。ぼくは見かけだおしなんだ。いきいきとした希望なんて、ないんだよ」

「失望するということは、神さまを忘れることだよ。自暴自棄になるのは神さまを信じていないことだよ。最後には何もかもうまくいく、暗闇から光が見えてくるという信念をもつことが神さまを信じることなんだよ」

「しかし、夜が明けて明るくなっても、再び夜になるじゃないか。世界は少しも変わらないんだよ。この世界が少しでも良くなるなんて、ぼくには考えられないよ。もうよそう。あまり深く考えるのはよそう。自分にできることをまずやってみよう。石を拾い、いばらを取り除いて、花の木を植えよう。道をきれいに こう。だれにでもやさしく話しかけ、やさしくほほえみ、病気の人を看病し、泣いている人の涙をふいてあげよう。ぼくたちが生きているのも、ほんの短いあいだだもの。ぼくのような人間に、これ以上何ができるだろう。この破れてしまった空を、ぼくのように力のない者が、どれほど縫い合わせることができるだろう」

「みんなで力を合わせようよ。新しい考えを広めて、悲惨を追い出し、幸運を呼び寄せようよ。ぼくの体の中では希望が踊っているよ」
 とラームが言いました。

 お祈りの時間を知らせる鐘が鳴り、2人の話はそこで打ち切りになりました。

 お祈りのためのお堂に、もうみんなが集まっていました。今日はラームが何かすばらしい歌をうたうことになっていました。『バガヴァットギーター』の中のお祈りとバジャン(歌や音楽を伴う祈り)が終わると、ラームは希望についての清らかな歌をうたいました。かすかなはほえみが、シャムの唇の上に浮かび始めました。その歌は以前、シャム自身が作ったものでした。しかし、今日は、崇高で何ものにも負けない明るさを、シャムはどこにもっていたでしょう。シャムの中では、まるで希望と絶望が戦っているようでした。今日、跳びはねていても、明日には倒れてしまうかもしれない、それはシャム自身にもわかりませんでした。

 お祈りが終わりました。シャムのお話の時間です。


 みんな!ぼくはダーポリーから絶望して帰って来ていた。ぼくは母に相談するために帰って来ていた。

「お母さん、ダーポリーの学校ではもう、勉強できなくなったんだよ。お父さんは授業料を出してくれないし、学校でも、授業料免除がもらえなかったんだ。ぼくはどうしたらいいの?お父さんは授業料免除を申し込みなさいと言ったけれど、ぼくが申し込もうとしたら、先生が、“おや、シャム、君はそんなに貧乏なのかな。座りなさい”と言ったんだよ。お母さん、ぼくたちがむかし金持ちだったことをみんなは知っているんだ。でも、今では家には食べ物さえないことをみんなは知らないんだ。何度言っても信じてもらえないんだよ。クラスの友だちはぼくのことを笑うだけだ。もうあきらめるしかないんだ」
「シャム、あなたはもう、学校をやめなければならないわ」
 母は穏やかな声で言った。
「お母さん、ぼくは5年生になったばかりなんだよ。今、学校をやめて、何ができるっていうの?何の役に立つっていうの?お金をいくらかでも稼ぐことができると思うの?」
「鉄道会社にあなたを就職させようって、お父さんがおっしゃっていたわ。お父さんだって、他にどうしようもないのよ。あなたに授業料を送らなければならないことをこぼしていらっしゃるわ。学校をやめた方がずっといいわ。何か仕事が見つかったら、その仕事につきなさい」
「お母さん。今すぐ仕事につかなければならないの?この年でもう仕事に追い回されなければならないの?大きな野心、大きな望み、大きな夢をもっていたんだ。たくさん勉強して詩を書こう、作家になろう、そしてお母さんを幸せにしようと思っていたのに。お母さん、すべての希望に、ぼくは水をかけなければならないの?すべての夢を土にまみれさせなければならないの?」

 ぼくはまるで詩人にでもなったかのようにしゃべっていた。感情の高ぶりがぼくをしゃべらせていた。感情が勝手に、ぼくの口を動かしていたのだった。

「シャム、貧しい者の夢は、ほこりにまみれてしまうこともあるわ。貧しい者の自尊心は、土にまみれてしまうこともあるわ。貧しい者は運命に従って生きなければならないのよ。たくさんの美しいつぼみがあっても、虫が食い荒してしまうように」

「お母さん。ぼくはとても悲しいよ。お母さんは、ぼくのために悲しんでくれないの?あなたの子供の人生が破滅してもいいっていうの?りっぱな人になってほしくないの?」
「もちろんりっぱな人になってほしいわ。でもお父さんに心配をかけたり、お父さんを苦しめてまでりっぱになってほしいとは思わないわ。自分の力でりっぱになることができるのなら、そうなってほしいわ。お父さんに頼るつもりならば、お父さんのおっしゃる通りにしなければならないわ」
「それじゃいったいぼくはどうしたらいいの?ぼくに道を示してよ。お母さんはいつだって、ぼくに何をすべきか教えてくれたでしょ。今度は何をしたらいいの?お母さん、教えてよ」

「ドゥルワ聖人は、両親を捨てて森の中に入って行ったわ。家を捨てて、彼は森の生活に入ったのよ。神さまと自分を信じて出家したのよ。同じように、あなたも家を出て行きなさい。外の広い世界へ出て行きなさい。ドゥルワ聖人は神さまのために苦行をしたわ。あなたも同じように、学問のために 苦行 くぎょう をしなさい。つらいことをせずに、何を成しとげることができるでしょう。さあ、行きなさい。自分の力で生きてみなさい。食べる物が十分でなくても、必死で努力して、学問を成しとげなさい。りっぱに学問を身につけて、帰って来なさい。私たちはあなたを祝福しますよ。あなたがどこにいようと、私の心はあなたのそばにあるのよ。これより他に、私は何が言えるでしょう」

「お母さん、ぼく、本当に行ってもいいの?ぼくが考えていた通りのことを、お母さんは言ってくれたんだね。お母さんはいつもぼくの心の中にいるから、ぼくの思っていることが全部わかるんだね。アウンダという州があって、そこでは授業料がとても安いんだ。そこへ行ってもいいかな。マードゥカリー(家々を歩いて食事をさせてもらうこと)をしながら、生活することにするよ。あの遠い町でだれがぼくのことを笑うだろう。ぼくを知っている人なんて、だれもいない。ぼく、働くよ。お母さんが、仕事をする習慣をつけてくれたからね。知っている人たちの目から逃れさえすればいいんだ。行っていいんだね?」

「マードゥカリーをすることは悪いことではないわ。とくに学生にとってはなおさらです。怠惰な人が物乞いをすることこそ罪なのです。行きなさい。貧しい学生がマードゥカリーをすることは許されているわ。なんとかして、暮らしなさい。でも、盗んだり、人をだましたりしては駄目よ。悪いことをしてはいけないわ。本当の自尊心を失わないでね。他のすべての自尊心は捨てて、人のためにできることは何でもしてあげなさい。いつもほほえみを忘れないで、だれにでもやさしく話しなさい。舌が甘ければ、世界中が甘く感じられるわ。そして友だちをたくさん作るのよ。乱暴なロをきいたり、人の心を傷つけるようなことを言ってはいけません。それから、お父さんとお母さんのこと、兄弟のことを思い出してね。その思いがあればいいの。その思いがあなたを守ってくれるわ。正しい道に導いてくれるわ。行きなさい。ドゥルワ聖人は神さまに会った後で、両親を天上界に導きました。あなたも、学問の神さまを喜ばせて、私たちを天上界へ導いてちょうだい」

 母は勇気を与えてくれるマントラを唱えていた。ぼくを守ってくれるマントラを唱えていた。
「お母さん、お父さんの許可をもらってください。お父さんを説得してください」
「安心していなさい。ちゃんとお許しをもらってあげるわ。お父さんも。そんなことを話していらしたし」
 と母が約束してくれた。

 夕ご飯を食べている時、母は父に切り出した。
「シャムはどこか遠くの学校へ行きたいと言っています。行かせてやってください」
「どこへ行くんだい?そこにだってお金を送らなければならないだろう。1パイサだって、もう送れなくなったんだよ。むかしはこの手で何千ルピーものお金を数えたのに、そんなことを思い出しても何になるだろう。私はもう何も考えられない。もう、どうしようもないんだ。子供に勉強させたくないなど、どうして私が思うだろう。未来があり、賢く、性格もよく、勤勉な子供たちに勉強させたくないなどと、どこの父親が思うだろう。でも、いったいどうしたらいいんだ?」
 と父はとてもつらそうに言った。

「彼が今から行くところには、お金を送る必要がないのです。そこでは学費がただだし、マードゥカリーをしながら暮らすつもりです。ですから、交通費の10ルピーをやれば十分です」
「それなら問題はないよ。自分の力でならどこででも勉強させてやろうじゃないか。無理に仕事につけとは、決して言わないよ。ただ、教育費を出してやれないと言っているだけなんだ。私は祝福するよ」

「お母さん!それじゃお兄ちゃんは行ってしまうの?遠くに行ってしまって、すぐには帰って来れないの?」
 と、幼いプルショッタムが母に尋ねた。
「そうよ、坊や、お兄ちゃんは一生懸命勉強して、今にあなたを学校に行かせてくれるわ。あなたたちが学校に行けるようにするために、お兄ちゃんは遠くへ行くのよ」
 と母は弟を慰めていた。

 ついに、ぼくはアウンダ州に行くことになった。

 出発の日が近づくにつれて。ぼくの心はだんだん重苦しくなった。母に会いにたびたび来ることも、もうできなくなる。長いあいだ、ぼくは母のそばで暮らしてきた。ひな鳥は退屈すると、母鳥のそばに急いで飛んで帰っていたのに、今、遠くへ飛びたとうとしていた。母の仕事を手伝うために、母に喜んでもらうために、ぼくは土曜も日曜も家に帰っていた。しかし、その幸せも、これからはなくなろうとしていた。もう長い休暇にさえ、家に帰ることはできなくなるのだ。

 ぼくは学問のために出かけようとしていた。両親を幸せにするために、母にとってもっと役に立つ人間になるために、ぼくは出かけようとしていた。この思いがぼくに勇気を与えていた。

 しかし、ぼくが遠くへ行ってしまったら、だれが母を手伝ってくれるだろう。だれが休暇にもどって来て、母の足を揉んでくれるだろう。「シャム、あなたの手はなんて冷たくて気持ちがいいんでしょう。額の上にのせてちょうだい。額が燃えるように熱いのよ」と母はこれからだれに言えるだろう。だれが母のサリーを洗ってくれるだろう。食事をする時、母とおしゃべりをして、彼女がひと口でも多く食べるよう、だれが骨折ってくれるだろう。粉をひくことも、納屋からまきを取って来ることも、だれがしてくれるだろう。「お母さん、おなべにミルクを入れておくよ」とだれが言ってくれるだろう。庭にきれいに塗るために、だれが牛ふんを運んでくれるだろう。だれが井戸から水をくんでくれるだろう。

 ぼくは家に帰るとすぐに、母の仕事を何でも手伝っていた。しかし、今度はいつ帰って来れるかわからないのだ。

 でも母を幸せにするつもりでいるなんて、ぼくは自分を何さまだと思っていたのだろう。なぜ、それほどまでに自信家だったのだろう。神さまがいらっしゃるというのに。神さまはすべての人のことを気づかう全宇宙の母だ。神さまはすべてのものを哀れみ、心配してくださる。神さまこそが、そして神さまだけが、ぼくの母の、そして全宇宙の最も気高い支えなのだ。

 ぼくは夜、牛車で出発することになっていた。今夜出て行くんだ。そうだ、ぼくは出て行く。母を残して出て行くんだ。

 荷物の用意は出来ていた。ぼくのために父は、あちこちに頭を下げてお金を工面してくれた。母はきれいなふとんを2枚出してくれた。それから毛布も1枚出してくれた。ぼくは母に言った。

「どうして毛布をくれるの?荒布を下に敷いて、その上にふとんを敷くよ。そして、もう1枚をかけぶとんにするよ。お母さんが寒気がする時にくるまるために、この毛布はここにおいておいてよ。ぼくはいらないよ」
「いいこと、あなたは知らない土地に行くのよ。あちらにはだれひとり知人もいないわ。病気になったりした時のために、この毛布は持って行きなさい。坊や、私たちはここでなんとか暮らしていけるわ。私の言う通りにしなさい」

 こう言って、母はその毛布を包みの中に入れた。お菓子も作って持たせてくれた。寒い日に唇がひび割れないように、コカンバの油もひとかたまりくれた。船酔い止めと傷薬も持って行くように言って、壁の棚から取り出して持って来てくれた。愛情深く、働き者の母は、小さなことまで気がつくのだった。

 夜の9時ちょうどに、牛車が来ることになっていた。おなかは初めからいっぱいのような気がしていたが、母がご飯の上にヨーグルトをかけてくれて、なんとか夕食を食べ終えた。とうとう、ぼくは立ち上がった。父が荷物を牛車の中に運び入れてくれた。

「もうこれからは、駄々をこねたりしてはいけないよ。お母さんの手伝いをしっかりするんだよ。これからは、君がお母さんを助けるんだよ」

 こう言って、ぼくは弟を抱きしめた。

 ぼくは父の足もとにひれ伏した。父は何も言わずにぼくを抱きじめて、背中をなでてくれた。それから、ぼくは母の足の上に頭をのせて、その足を涙で濡らした。母はかまどから、聖なる灰を持って来て、ぼくの額につけてくれた。

 ぼくは近所に住んでいるジャーナキーおばさんのところへ行って、彼女の足もとに身を投げ出して言った。
「母のことをお願いします。病気の時は助けてやってください」
「シャム、行ってらっしゃい。お母さんのことは引き受けましたよ。心配はいらないわ」
 と彼女が言うと、ぼくは安心して再び母のもとへもどった。
「体に気をつけてね、シャム」

 母の言葉にうなずいて、ぼくは歩き出した。プルショッタムが来て、ぼくにしがみついた。ぼくはもう1度、弟を抱きしめた。やっとの思いで彼を離し、ぼくは牛車に乗った。父はガナパティー神の寺院のところまで徒歩でついて来てくれた。三叉路のところで車が止まると、ぼくと父は神さまにおまいりをしに行った。ぼくはガナパティー神にナマスカールをした。聖なる水を取って目につけ、ガナパティー神の足もとのシェンドゥール(聖なる赤い塗料)を自分の額につけ「両親のことを見守ってください」と神さまにお願いした。もう1度、ぼくは父の足もとにひざまずいた。

「坊や、気をつけてな。体を大事にするんだよ」
 と父が言った。

 ぼくは牛車に乗り込んだ。父はしばらく見送ってくれていたが、車が動き出すと、引き返して行った。

 とうとうぼくの人生の車が動き出したのだ。人生の海へ、ぼくはたった1人で出て行こうとしていた。その海の中で溺れ死んでしまうだろうか。それとも、飛び込んで行って真珠を見つけ出すだろうか。この海の中で、どんな人に会うだろう。だれと友達になって、そして別れるだろう。船はどこかで沈んでしまうか、どこかで行方不明になるか、すべてが未知であった。

 母の励ましを頼りに、ぼくは出発した。母がくれた勇気の翼に乗って、ぼくは進んでいた。「ドゥルワ聖人と同じように行きなさい」と母は言ったけれど、メールー山(七大陸の中央にあると考えられていた聖なる黄金の山)のように決心の堅いこの上なく清らかなドゥルワ聖人と、泣き虫でいつも失敗ばかりしている意志の弱いシャムと、比較になるだろうか。ぼくは静かに涙を流していた。川も通り過ぎ、ゾーライー女神のお寺も通り過ぎた。パールガド村の境もとっくに越えていたが、ぼくは気がつかなかった。たくさんの思い出がよみがえって、心はさまざまな思いでいっぱいだった。

 ぼくには母の祝福があれば十分だった。それさえあれば、何も怖くなかった。母の祝福こそが、ぼくを不死身にする衣服だった。母は子供に泳ぎ方を教えて、底なしの海に投げ込んだ。この海で、ぼくは何度も溺れそうになった。ある時は泥の中に沈み、ある時は砂の中に沈み、またある時は波の中に沈んだ。しかし、何度も何度も、ぼくは浮き上がって助かった。

 今でも、すべての危険が去ったわけではない。まだ、危険がいっぱいだ。しかし、今日までぼくが生きのび、死にそうな時に助かり、倒れた時に起き上がれたのは、母の祝福のおかげだ。母の祝福は、これからもぼくを守ってくれるだろう。

 ぼくの母は、もう生きてはいない。それでも、母の祝福はある。母は死んでも、母の祝福は死なない。母のやさしさはいつも、ぼくたちの心の中にあるのだ。