「コーカン地方では多くの家庭で木の葉で作ったお皿で食事をする習慣がある。素朴さの中にすばらしい美しさと清潔さがある。金属のお皿は磨き粉をつけて磨かねばならないので、万一磨き粉が残っていてこれを食べてしまうと、とても不衛生だ。僕の父は葉皿で食事をするのがとても好きだった。女の人達の手間も少なくてすむ。ごしごしこすって磨く必要がないからだ。父は毎朝、農場へ行った。あちこち見回って仕事を済ませてから、10時頃家に帰るのが常だった。そんな時父は、村人がくれた花や葉皿用の木の葉、畑のあぜに栽培されている野菜などを持ち帰った。そして沐浴の後、マントラ(ヒンドゥ教のお経)を唱えて礼拝をした。僕達子供は学校から帰ると木の葉でお皿をせっせとこしらえた。新鮮な緑色の葉で
僕は初め、どうしても葉皿をこしらえることが出来なかった。小さなお椀などはまるでお手上げだった。コーカン地方にひとつのことわざがある。
『木の葉のお皿、その前に木の葉のお椀を作れたら、その
木の葉のお皿をこしらえるより先に、それよりもっと難しい木の葉のお椀をこしらえることの出来る婿はとても賢いに違いないという意味だ。
家族の者は皆、葉皿を作った。時々祖母は、めいめい5枚の葉皿を作るよう決めて、全員に木の葉を配ることもあった。色々な種類の木の葉でお皿を作ることが出来る。ワダの葉、パルスの葉、クダの葉、ダムニーの葉、丸いボクリの葉、白いツァーファーの葉などでお皿が出来る。法事のために特別にモーハの葉皿を作る人もいる。4ヶ月間、マンゴーやジャックフルーツの葉皿で食事をすることを宗教的
「シャム!葉皿の作り方を覚えなさい。そうじゃないと今日は御飯が食べられませんよ。」と母が僕に言った。
「僕には出来ないよ、僕は作らないからね。」と僕も腹を立てて言った。
僕の姉は里帰りをしていた。姉が僕に言った。「シャム!こっちへいらっしゃい。私が教えてあげるわ。何が難しいって言うの?」
「教えてくれなくてもいいいよ。あっちへ行ってよ。」僕はやさしい姉に向かって乱暴に答えた。僕の姉は大変美しい葉皿を作ることが出来た。父も葉皿や木の葉のお椀を作るのが上手だと村で評判だった。僕達の村にラームバトジーという人がいたが、この人については伝説さえ出来ていた。彼は手に触れた葉を選びもせずに取って、お皿に形造っていく。もっと形のよい葉が欲しいとか、この葉はここにうまくおさまらないとか言う考えは、彼の頭に浮かぶことはなかった。どんな葉でもラームバトジーのこしらえるお皿にはあてはまる場所があった。どこかの家で結婚式やムンジュ(男の子の成人の祝い)がある時には、村の人々は彼の所へやって来て、葉皿を作った。色々な世間話をしながら皆で協力て仕事をした。今ではこの習慣はすたれつつあるのだが。僕はこのような葉皿を作る伝統をどうしても学ばなければならなかった。しかし僕は意地を張っていて、その日は葉皿を1枚も作らなかった。
僕が葉皿を作らなかったので母は僕の食事を用意しなかった。みんなそれぞれ、自分が作ったお皿を持って来ることになっていた。僕の葉皿がないのを見て、みんなが笑った。僕のために姉がとりなし始めた。「シャム、明日はお皿を作るわね。明日、私と一緒にやってみましょう。お母さん、シャムは明日はきっと作ります。今日は御飯をあげて下さい」と姉は言った。しかし僕はひどくむくれていた。
「僕は絶対作らないからね。御飯なんかいらないよ。いやだよ。このまま何も食べないでいるよ」腹を立てて、こんな風に言って僕はヴェランダの方へ行った。お腹はとてもすいていた。誰か来てくれないものかと心待ちにしていた。
とうとう、心やさしい姉がまた、僕の所にやって来て言った。「シャム、さあ、食事をしに行きましょう。明日私が婚家に帰ったら、もうあなたを慰めに来れないのよ。さあ行きましょう。小さなティコレを作って、それで御飯を食べればいいわ。」3枚の葉でこしらえた小さなお皿をティコレと言う。パルス(木の名前)の大きな葉ならば、1枚で僕達子供は食事が出来た。たった1枚で充分だった。丸い大きな葉皿をゲーレダール皿と言う。父は小さな葉皿は嫌いだった。大きくて丸い葉皿が好きだった。「森の中にたくさんの葉があるのにどうしてけちけちするんだい?『ウィスティールナパートラ ボージャナム」サンスクリットの古いことわざにもあるように、食事には大きなお皿を使うものだよ」お父はよく言っていた。
姉の言葉で僕の心はなだめられた。婚家に帰ってしまったら、彼女は弟が腹を立てているからと言って慰めに来ることは出来ないだろう。彼女はたった2日間里に帰ってきていたが、僕は姉に対して少しも親切ではなかった。僕は悲しくなって目に涙があふれた。姉は僕の手に1枚の葉をくれた。「これを1番下に使いなさい」と彼女は言った。僕は1本の細い竹ひごを手に持って一縫いした。でもそのひごはとても堅くて、折ることが出来なかった。「シャム!こっちのひごを使いなさいりこれがいいと思うわ」こう言って姉は束の中から別のひごを取り出してくれた。縫い目は荒かったけれども、どうにかこうにかティコレ(小さな葉皿)をこしらえて家の中へ持って入った。
「これが僕のお皿だよ。僕にも御飯をついでよ」と僕は母に言った。
「でも、手足は洗ったの?」と母が尋ねた。
「もうとっくに手も足も洗ったよ。もうちっとも汚れてないよ。」と僕は言った。
「手足はきれいなようね。でも鼻をすすっているじゃないの。鼻をきれいにかんでからいらっしゃい。そしたら、すぐに御飯をついであげるわ」と母が言った。
僕は鼻をきれいにかんで、食事の席についた。
「お腹一杯食べなさい。何でもないもことに強情を張るのね。近所のワスーはあんなに小さいのにとっても上手に葉皿をこしらえるわよ」と母はしゃべり続けた。
僕は腹を立てて急いで食べていた。葉皿は何とか形は出来ていたが、縫い目のひごがひとつはずれて、僕ののどにひっかかった。僕はこわくなった。やっとどうにか取り出すことが出来た。
「縫い目のひごがはずれてのどにひっかかっても、自分で葉皿を作れって言うんだね。僕はうまく作れないのに、それでも作れって言うんだね」僕は怒り出して言った。
「私達ののどにひっかからないのはなぜ?あなたが注意深くこしらえないからそうなるのよ。ちゃんとした葉皿をこしらえられるようになるまで、あなたは自分の葉皿で食事しなければならないわね」と母が言った。
僕は明日からはりっぱな葉皿をこしらえようと決心した。姉がどのように葉皿を作るか、どのように葉を折りたたむかを観察し始めた。何枚かの葉は折りたたまなければならない。何かを自分より上手に出来る人がいたら、その人の所へ行って習わなければならない。そのことで
母は僕にどんなことでも、心をこめてすることを教えた。ひとつひとつのことを誠実にするようしつけた。僕が作った葉皿は誰の前に並ぶかわからない。もし、葉皿がきちんと出来ていなかったら、食事をしている人ののどに縫い目のひごがひっかかってしまうだろう。葉皿をこしらえる時には、心の中でこう言わなければならない。「誰がこの葉皿を使っても、ちゃんと食事をすることが出来る。のどに縫い目のひごがひっかかることはない。すき間から食べ物がこぼれたりしない」僕はちゃんとした葉皿が作れるようになった。
ある日、僕が作った葉皿をわざと父が座る場所に並べておいた。父が尋ねた。「チャンドリ(姉の名)!君がこの葉皿をこしらえたのかい」
姉が答えた。「いいえ、シャムがこしらえたんです」
父が言った。「いつから、こんなに上手に作れるようになったんだい」
母が言った。「あの日、食事をあげなかった時、上手に葉皿を作れるようになるまで、自分の葉皿で食事をしなさいと言ったら、上手に作れるよう頑張ったんです」
僕は母に言った。「どうして今になって昔のことを持ち出すの?バウ(父の呼び名)!僕、もう上手になったと思いますか」
「本当に上手に作れたね。でもお椀も作れるかな」と父が言った。「お椀も作りました。お姉さんが作ったお椀が井戸の所に置いてあったので、それを大事に取って置いて、それをまねて作る練習をしたんです。そしてとうとう作れるのうになりました。食事が終わったらお父さんに見せます」と僕は言った。
葉皿がほめられたので、僕は少し威張っていた。食事が終わってから、僕は木の葉のお椀を父に見せた。「よく出来てる。でもここは違っているよ。向かい合った角と角は同じように折りたたまないといけないよ」こう言って父は悪い所をなおしてくれた。僕はなおしてもらった木の葉のお椀を持って行って母に見せた。
「ほら、ごらんなさい。もう誰もあなたを叱る人はいないわ。つまらないことに強情を張って、これは出来ないとか、あれは出来ないなんて言ってたのね。やる気があれば何だって出来るわ。チャンドリ、シャムにあんずをひとつあげなさい。よく頑張ったからごほうびよ」母が言った通りに姉は戸棚からあんずをひとつ取り出して僕にくれた。それは何と甘かったことだろう。神様が海をかきまぜた時に取り出したアムルタ(不老不死の飲み物)もこれほどおいしくはなかったろう。甘さは物の中にあるのではなく、一生懸命にした労働の中にある。仕事をすることに喜びがある」