「5月の休暇に、僕は家に帰っていた。僕は英語学校の4年生になっていた。僕が家に帰ると、母はとても喜んだ。というのは、彼女はいつも病気だったからだ。ある日、熱が出て、次の日に熱が下がると、母はまた仕事を始めなければならなかった。熱が出たら、休み、熱が下がればまた働くのだった。彼女はとても弱っていたので、僕が帰ると、彼女はとても助かるのだった。僕は母のために、水をくんだり、洗濯をしたりして手伝った。庭も掃除した。夜は、粉
ある日、外には清らかな星が出ていた。夕食は終わっていた。父は夕食後、外出していた。弟達は眠ってしまった。母の後片付けや、床の掃除も終わった。母は僕に言った。「シャム、少し粉を挽いてくれるかしら。でも、あなたの手は痛んでいるかも知れないわね。夕方、あなたは土地を耕して、畑を作ってくれましたからね。手が痛いなら、今日はよしましょう」
僕は言った。「手はちっとも痛んでいないよ。石臼の取っ手にはお母さんの手と、僕の手の両方がかかるでしょ。あなたのやさしい手が僕の手にふれると、僕は力が出るんだ。さあ、始めよう。僕は庭に石臼を出すよ。布を敷いて、石臼を出すよ」「それじゃ、そうしてちょうだい」と母が言った。
僕は庭に石臼を出した。母は粉にする穀物を持って来た。次の日にアンボーリー(インド風パンの一種)を作ることになっていた。僕はアンボーリーが大好きだった。僕達、母と子は庭で粉を挽いていた。そして、月が甘露の雨を降らせていた。穏やかな、涼しい風が吹いていた。母は民謡を歌っていた。その民謡の中に、「シャムぼうや」という僕の名前を入れていたので、僕はうれしかった。
粉挽きの仕事を僕は小さい頃から好きだった。というのは、そのことで、母の手伝いが出来るからだった。母と一緒に粉挽きの仕事をしている時、僕は石臼に穀物を入れるこつも覚えた。
僕達は、粉を挽いていた。穀物が砕ける音を聞きつけて、近所に住んでいるジャーナキーおばさんがやって来た。
「おや、まあ、シャムが粉挽きの仕事をしているの?」」今夜は、お母さんがひとりで粉挽きをしているのかしらと思って来てみたのよ。そうしたら、シャム、これはどうしたこと?あなたは英語を勉強しているんでしょ」とジャーナキーおばさんが言った。
僕は母に尋ねた。「お母さん!粉挽きの仕事を手伝ったから、どうしたって言うんだろうね」
母が言った。「シャム!ジャーナキーおばさんはあなたのことをからかっているのよ。おばさんはあなたが好きだから、見に来て下さったのよ。仕事をしている人を誰が悪く言うかしら。それに、お母さんの手伝いをするのに、誰に恥じることがあるの?お母さんの手伝いをしている人を笑う人こそ、恥ずかしい人よ。あなたが呼んでいるバクティウィジャヤの中に、パンドゥランガ神自身が、ジャナーバイの粉挽きを手伝ったと書いてあったでしょう」
「本当にそうだね。でも、それは事実だろうか。神様がカビラのショールを織って手伝ったとか、ジャナーバイの粉挽きや洗濯を手伝ったとか、ナーマデーワ聖人の後に立って、キールタン(神様に関する歌)に合わせて、シンバルを打ち鳴らしたり、踊ったりしたとかいうようなことは、みんな事実だろうか」と僕は尋ねた。
「座りなさいよ、ジャーナキーさん、どうして立ったままでいるの?」と母はジャーナキーおばさんにすすめて、僕に向かって言った。「シャム、それは本当にあったことだと思いますよ。神様を信じていて、いつも神様を心の中に持っている人が仕事をする時、神様は手伝って下さるのよ。あなたは私を手伝ってくれているわね。それは神様がそうさせてくださっているのよ。5月が来ると、神様は私を助けるために、あなたの姿になって来て下さるのよ。色々な姿を取って、神様はいらっしゃるのよ。時にはシャムの姿を取って、時にはジャーナキーおばさんの姿を取って」
「お母さん、僕は神様に会えるかな」と僕は急いで尋ねた。
「徳のある人は会えますよ。たくさんの徳を積みなさい。みんなのためになるような人になりなさい。そうすれば、神様に会えますよ」と母は言った。
ジャーナキーおばさんが僕に言った。「シャム、あなたは聖人になりたいの?それじゃ、何のために勉強しているの?英語を勉強して、良い職につきなさい。そして、お母さんを呼んであげなさい」
僕は言った。「僕は聖人になりたいんだ。信仰のある人になりたいんだ。『オーム、ナモー、バガヴァテ、ヴァースデーヴァーヤ』というマントラをドゥルワ聖人は唱え続けた。僕もそうしたら、神様に会えるかな」
母が言った。「坊や、ドゥルワ聖人の前世の徳は何と大きかったんでしょう。彼の決心はどんなに堅かったでしょう。父親が彼に、王国をやろうと言っても、彼の心は変わらなかったのよ。それだけ堅い出家の
ジャーナキーおばさんが言った。「シャム!少し休みなさい。今度は私が臼を回してあげるわ。疲れたでしょ」
僕は母に言った。「お母さん、お母さんこそ、休んで下さい。ジャーナキーおばさんと僕が粉を挽くよ。僕は穀物を入れることも出来るよ。目をつぶっていても、うまく入れられるんだ。もう僕は名人だよ。お母さん、少し休んでよ」
僕は母を休ませた。そして、ジャーナキーおばさんと僕が粉を挽き始めた。僕は穀物を入れ始めた。「ジャーナキーおばさん!見て御覧よ。何てきれいな粉が出て来るんだろう。目の中にはいっても、痛くない位だよ。ねえ、御覧よ」と僕は彼女に言った。
ジャーナキーおばさんは母に言った。「本当に、あなたはシャムを女のように育ててしまったのね」
母が言った。「私の家で、他に誰が私を手伝ってくれるかしら。まだ息子達のお嫁さんも来てはいないでしょ。シャムがしなかったら、誰が手伝ってくれるの。ジャーナキーさん!女の人は時々、男の人の仕事をしなければなりません。男の人も時には女の人の仕事をしなければなりません。そのことで、どんな引け目を感じる必要があるの?シャムは豆やお米をより分けたり、洗濯をしたり、食器を洗ったり、とにかく、あらゆる仕事をして、私を手伝ってくれるわ。先日、彼は私のサリーを洗ってくれたのよ。『シャム、みんながあなたのことを笑いますよ』と私が言ったら、『お母さん!お母さんのサリーを洗っていると、本当にうれしいんだ。僕はお母さんのサリーでこしらえたふとんを着て寝るでしょ。それなのに、どうして洗うのが恥ずかしいの?』とシャムは言うのよ。ジャーナキーさん!シャムは何とも思ってはいないわ。私がシャムを女のようにしてしまったとしても、シャムはそれが好きなのよ」
みんな!母のあの勇気を与えてくれる言葉を、今でも僕は覚えている。男の人の心に、やさしさ、愛情、奉仕の精神、つらい仕事に耐える心構え、忍耐、黙って仕事をすること。これらのものが生まれない限りは、その男の人がりっぱに成長したとは言えない。それと同じように、女の人の心に、勇気、時に応じて厳しくなること、家に男の人がいない時に、しっかりと家を守ること、これらの特質が生まれた時に初めて、その女の人がりっぱに成長したと言えるのだ。そのことを僕は結婚と呼ぶ。結婚をすることによって、人間は完成する。結婚をして、男の人はやさしさを学ぶ、心の徳を学ぶ。女の人は智慧の徳を学ぶ。結婚というのは心と智慧、感情と思慮、これらの美しい融合であり、すばらしい協力である。男の人の心に女の人の特質が生まれ、女の人の心に男の人の特質が生まれることが結婚である。両性具有のシヴァ神は、人間の理想の姿である。男の人だけでは、不完全だ。女の人だけでも不完全だ。しかし、両者が結びついて、ふたりの不完全な者が結婚することによって、ふたつの完成した生命が生まれる。母のおかげで、僕は結婚する必要はなくなった。愛情、慈悲、労働、奉仕の心、これらの女の人の徳と僕とを母は結びつけたのだった」