シャムチアーイー 2021/06/12更新

【未掲載版】第十四話 偉大な人になるための盗み

 「僕達の村から、少し離れた所に、ラータワンという村がある。それはファドケ家の村だった。ファドケ・イナームダール家の人々は今でもそこに住んでいる。有名なハリパント・ファドケもこの一族の出身だ。父とこの一族とはとても親しかった。ラータワン村のバラワントラオ・ファドケはいつも父を訪ねて来ていた。彼は、僕達と愛情こまやかに、話をしてくれた。彼には威張った所が少しもなかった。とても気さくで、純粋な人だった。彼の指にはまっている指輪をはずして、僕は隠した。そんな時、彼は僕に言った。「シャム、君は指輪が欲しいのかい?」彼がこのように尋ねると、僕は自分の指にはめてみるが、大き過ぎて、どの指にも合わないのだった。指輪はストンと落ちてしまう。「もう少し大きくなれば、ちょうどはまるようになるよ。」と彼は笑いながら言ったものだった。

 僕はダポリから家に帰って来ていた。バラワントラオと誰かもうひとりのお客が、僕の家に来ていた。ダポリで僕は読書が好きになっていた。しかし、良い本は手に入らなかった。ダーボールカル社の本を僕は読んでいたが、よく理解出来なかった。スペンサーの伝記を読んだことは少し覚えている。その頃、バースカルパント・ファドケは、ラームティールタの伝記を出版し始めていた。このファドケの書く文章に僕はとても感銘を受けていた。その輝かしく、快く、味のあるマラティー語は僕を狂喜させた。部分的に僕はその文章を暗記していた。しかし、その頃、僕はその本を手に入れることが出来なかった。ある日、親戚の家で僕は、この全集のうちの一巻を見つけ、僕はそれがとても気に入った。しかし、そこの主人はいきなり、僕の手から本を取り上げて言った。「君にこの本が理解出来るとでも言うのかね」これを聞いて僕は悲しくなった。彼よりも僕の方が、その本をよく理解出来たことだろう。僕は感受性の強い少年で、詩情を理解した。両親は僕の心の地面を整えてくれていた。マラティー語でポティやプラーナ(聖典や神様についての物語)を読んで、僕の心は愛情深く、信心深く、誠実で、感情豊かになっていた。僕はあの本を自分で買おうと思った。でも、お金はどうしたらいいんだろう。授業で使う教科書でさえ、全部は持っていなかった。英語を勉強していたが、辞書は1冊も持っていなかった。想像力を働かせて、単語の意味を推測していた。ラームティールタの本を僕はどうしても欲しいと思った。

 僕達の家に来ていたお客のポケットにお金が入っていた。たくさんの紙幣がはいっていた。その中の1枚を引き抜こうと僕は決心した。ひとのお金を盗むのは罪だった。しかし、その罪を犯してでも、本を読んで徳のある人になりたいと思った。僕はシュローカを弟に教えていた。

 「私はとても、あなたにあこがれている。慈悲の海(神)よ!完全な智慧を下さい」

 完全な智慧についてのシュローカを僕は弟に教えていた。しかし、僕は盗みをしてしまったのだ。父とお客は一緒に座っていた。彼は何度も紙幣を数えていた。5ルピー1枚が1枚足りないのだった。

 「バウラオ!5ルピー札が1枚足りないのです。紙幣が1枚足りないのです」とそのお客は言った。

 「全部のポケットを見たのですか?誰かにやったりはしませんでしたか?」

 僕はシュローカを教えるのをやめた。盗人は小心なものだ。母は家の中で食事をしていた。彼女の所へ行って、僕は話しかけた。

 「お母さん、たったこれだけの御飯でどうして足りるの?今日は、御飯があまり残らなかったの?」と僕は尋ねた。「坊や、食欲がないのよ。何とか、二口ふたくちか、三口みくちをのみこもうとしているのよ。仕事をしなければなりませんからね。水くみの仕事もあるし。あなた達が大人になってくれることばかり考えているわ」と母が言った。

 「お母さん!僕は本当にりっぱになるよ。しっかり勉強して、たくさんの本を読むよ」と僕は言った。

 「勉強しなさい。でも良い人になりなさい。教育のある人達は時々、善良でないことがあるので心配しているのよ。そんなに勉強しなくてもいいから、そんなに偉い人にならなくてもいいから、心は善良なままでいてちょうだい。私の子供達は偉くならなくてもいいから、徳のある人間にして下さいと、私は神様にお願いするわ」と母が言った。この愛情深く、気高い母は、何とやさしく話していたんだろう!僕の無学の母が、こんなにすばらしい考えをどうして話すことが出来るのだろうと、僕は驚くことがよくあった。モハメッドに民衆が言った。「あなたが本当に神の預言者であるなら、奇跡を起こして見せて下さい」その時、モハメッドは言った。「全宇宙に奇跡があふれているのに、これ以上何をつけたしましょう。海を小さな船が風によって渡るのは奇跡ではないでしょうか。あの広大な大海原おおうなばらを恐れもなしに、小舟は踊ったり、揺れたりします。これは奇跡ではないでしょうか?森へ牧草を食べに行った物言わぬ牛が、あなたを慕ってもどって来るのは奇跡ではないでしょうか。砂漠の中にわき出る泉があり、砂漠の中に甘いなつめやしの木があるのは奇跡ではないでしょうか」こう言って、モハメッドは最後に言った。「私のような無学の者の口から、コーランが唱えられるののは奇跡ではないでしょうか」みんな!神様は母にコーランを唱えさせていた。コーランとは、身をしぼるようにして、ほとばしり出る叫びだ。母も心の底から、僕に言っていた。それらは心をしぼるようにして出て来る言葉だった。心のお寺の中にあるシャンカラ神の聖なるピンディから出る声だった。彼女の言葉は今でも僕の耳に残っている。

 「偉い人にならなくてもいいから、徳のある人になりなさい」偉大な言葉。その言葉をさし、へびが僕にかみついていた。みんな!あちこちに秘密警察がいた。ある歴史家は次のように書いている。「この時代には、枕の下には必ず、さそりがいた」その統治下では安心して頭を置ける所はどこにもなかった。心の王国の中にもさそりはいる。さそりは、人を安眠させてくれない。そして、常に人につきまとっている。地獄へ行こうと、死んでしまおうと、この隠れた死者はついて来る。良心の痛みは、常にあるのだ。

 「家には誰も来ないんだよ。奇跡としか言いようがないね」と父が言った。

 「シャムや子供達に尋ねてはどうだろう。誰か友達が来なかったかどうか。悪い子供の中にはいるからね。この頃の子供達は悪い習慣がついているよ。子供のくせに、たばこやパーン(食後に食べる嗜好品)なしにはやっていけない者もいるほどだよ。シャム!シャム!」とバラワントラオが僕を呼んだ。

 僕は彼のところへ行って、「どうしたの?」と尋ねた。バラワントラオが言った。「シャム!誰か君の友達が来なかったかい?紙幣が1枚、なくなってしまったんだよ」

 僕は言った。「誰も来ないよ。今日は僕の方が遊びに行ったんだ。そして、夕方帰って来たんだ。誰も来なかったよ」

 父が言った。「シャム!お前がとったんじゃないだろうね。もしもとったのなら、正直に言いなさい」

 「とんでもない。どうして彼がとるんだい?」とバラワントラオが言った。

 母が手を洗って来た。彼女も事のなりゆきを理解した。父はいらいらし始めた。自分の家でお金がなくなるなんて、不名誉なことだった。父はもう一度、僕に尋ねた。「シャム!本当にお前は盗んではいないんだね。何か文房具を買おうと思って盗んだんじゃないだろうね。コンパスが欲しいと言ってねだっていたじゃないか」

 母が言った。「シャムは盗んだりはしません。彼は腹を立てたり、かんしゃくを起こしたりはするけれど、ひとの物に手を触れたりはしないわ。それがシャムのよい所です。それに、そんなことをしたのだったら、彼は正直に言います。彼は隠したりはしないわ。前に一度、彼はお菓子をとったことがあるけれど、その時、尋ねたらすぐに、白状して、『僕がとりました、お母さん』と私に言ったわ。もし、盗んだのなら、きっと白状します。シャム!あなたはお金に触ったりはしないわね」

 母は僕を何と深く、信じてくれているんだろう。シャムは盗まない。盗んだとしたら、白状する。母は僕をどんなに信頼していたことか。どうして、母の信頼を裏切ることが出来るだろう。トゥカラマのあるアバンガの中に言われている。

 『信じることの出来る人々は幸せだ』

信頼される人々とはすばらしい。彼らは幸せだ。僕の偽りの城塞はくずれ去った。母の純粋で信頼にあふれた言葉によって、僕の偽りの城塞はくずれ落ち、征服された。

 僕の目から涙が流れ始めた。力などありそうもない涙のために、罪の山はこわれたのだった。

 「シャム、泣くことはないのよ。あなたが盗んだとでも私が言いましたか。あなたは決して盗んだりはしないわ。私はちゃんと知っているわ。さあ、もう泣かないで」と母はなぐさめ始めた。

 母の言葉によって、僕はますます、こらえ切れなくなった。僕は母の所へ駆け寄り、すすり泣きながら言った。「お母さん、あなたのシャムがあの紙幣を盗んだんです。これがその紙幣です。お母さん、お母さん!」

 僕はもう話すことが出来なかった。母は悲しんだ。自分の子供は盗んだりしないという彼女の心からの信頼!自分の子供に対する誇りも自慢も消えてしまった。しかし、すべてが消えてしまったわけではない。神様が彼女の名誉を守って下さった。「盗んだりはしません。もし、盗んだとしたら、白状します」という母の信頼。彼女の息子は試験全部に合格することは出来なかったが、半分は合格することが出来た。

 「シャム、もう2度と盗んだりしては駄目よ。これが最初で最後にしてちょうだい。あなたが告白したのは偉かったわ。さあ、もう泣かないのよ」母は僕をなぐさめてくれた。

 バラワントラオは僕をほめてくれた。そして、僕に1ルピーをくれた。しかし、それさえも、僕は母に手渡した。

 「シャム!どうしてあなたは、あのお金をとったの?」と母が尋ねた。

 「お母さん!りっぱになるためだよ。本をたくさん読んで、偉い人になるためだよ」と僕は言った。

 「まあ!でも、一年生の時の本に『盗むべからず』と書いてあったのを、あなたは読んだでしょう。それさえあなたは、よく理解していないのに、どうして、それ以上の本を欲しがるの?」

 僕の母の言葉は深い意味を持っていた。

 みんな!パタンジャリーの「マハーバーシャ」の本の中に次のような一節がある。『たったひとつの言葉でも、正しく理解されたならば、天上でも、地上でも、あらゆる願いを叶えてくれるものとなるだろう』たったひとつの言葉だ、しかし、それを正しく自分の物にすれば、人間は完全に生と死から開放されるだろう。『サンミャク ドゥニャータハ』というのは、正しく理解されたならば、ということで、ただ読んだだけでは駄目なのだ。何度もくりかえし口にしただけでは駄目で、理解しなければ何にもならないのだ。本当に理解したものならば、僕達は経験し、行動にも表れるだろう。小さな子供はランプをつかもうとする。ランプのガラスはとても熱くなっている。母親は子供をランプから遠ざける。再び、子供はランプの方へ行く。とうとう、母親は言う。「さあ、触りなさい。手を触れなさい」その小さな子供は手を触れる。手はやけどをする。子供は二度とランプにさわろうとはしない。その理解は確かなものとなる。だからこそ、ソクラテスは、智慧をすばらしい徳と呼んだ。サンスクリットでも、最高の智慧のことをアヌブーティと呼ぶ。アヌブーティとは経験のことだ。生活の中で経験したものが智慧となる。

 「盗むべからず」という言葉を僕は読んではいたが、学んではいなかった。真実サッテャ慈悲ダヤープレーム不殺生アヒンサ貞潔ブラハマチャリヤは、みなとても短い言葉だ。僕達はそれらを、一瞬のうちに発音することが出来る。しかし、それらを経験するには、何百回生まれかわっても、まだ足りないだろう」