すべての人々は暴力を恐れる。
すべての人々にとって、いのちは愛しい。
自分におきかえてみて
殺してはならない。
殺させてはならない。
(『法句経(ダンマ・パダ)』130)
今私たちは、ウクライナやシリア、ミャンマーなど世界各地において戦禍や政変に迫られ、故郷や母国という安住の居場所を離れることを余儀なくされた人々の姿に接し心を痛めています。
毎年大学の入学式を行っている福岡国際会議場、大相撲九州場所が開催される福岡国際センター、大型クルーズ船の寄港施設などがある博多港は、今から77年前、1945年に第二次世界大戦が終わった後、約1年5か月にわたり中国や朝鮮半島などから帰国された約139万人の日本人引き揚げ者を迎い入れ、同時に当時日本に居住しておられた朝鮮半島や中国の人々約50万人を祖国に送り出した「海の玄関口」でした。国際会議場のすぐ傍には、その出来事を伝えるため福岡県出身で日本を代表する彫刻家豊福智徳氏が制作された「那の津(博多)往還」という大きなモニュメントがたっています(福岡市ホームページ:博多港引揚記念碑参照)。
命からがらに帰国された人々は、焦土と化した故郷の有様を前に、どれだけの苦悩と苦労のなかで新たなる居場所を求めていかれたことでしょう。
想定を超えた自然災害の被災地で、終息が見えないコロナ禍の中で、いやそれ以前から虐待や貧困、経済や性的格差が拡大していたこの社会において、居場所を、生活の拠点を失い苦悩する人々がおられる事実を忘れてはなりません。
人にとって居場所や立脚地があることが、いかに大切であるかを、今、身にしみて感じています。
九州大谷短期大学にて教鞭をとられていた真宗学者
救われるということは場所をたまわるということです。自分が生きている
意味が与えられる場所があったと。場所がないときには、生きていても
意味がないんです。意味が見出せない。つまり所在がないというのはたま
わったいのちを尽していく場所がないということです。所在のない人生
ほどつらいことはありません。そこに私がここに生きているということに
大きな意味と使命、仕事を与えられていたということに気付かされるとき、
そこに初めて自分というものを本当に受け止めていき、その自分を信ずる
ということが初めて成り立つのです。(『人と生まれて』東本願寺出版部より)