アーシュラムのお祈りが終わりました。友だちはみな、まるく輪になって座って、シャムの方を見ていました。
この温かい集まりは、今までにはなかった光景でした。砂漠の中の泉はいっそう美しく、清らかに感じられます。闇の中ではただひとすじの光さえ、希望を与えます。現代のような愛のない時代に、「自分には関係ないよ」という風潮の中で、このような愛に満ちた集まりはこの上ない大きな希望です。このような温かい集まりに感じられるような愛の姿は、よそではほとんど見られません。このアーシュラムはこの町の生活を清らかにする、生きた美しい泉です。
町はどこもしんと静かでした。空も穏やかでした。雄牛の首についている鈴のやさしい音色が、遠くから聞こえていました。風だけが静かではありませんでした。風は3つの世界のお寺を、いつもおまいりするために回っています。風はお祈りの言葉を絶えず口の中で唱えています。
シャムはお話を始めました。
ぼくの母の里は大金持ちではなかったが、みんな幸せに暮らしていた。生活には何の不自由もなかった。ぼくの母の実家は婚家と同じパールガドという村の中にあった。母の父はたいへん厳格で、信心深い人だった。ぼくの母は兄弟姉妹みんなの中で一番年上だった。母の両親は母をとても愛していた。
里ではみんなが母のことをアーウディー(かわいい人)と呼んだり、バイヨー(お姉さん)と呼んだりしていた。“アーウディー”本当に小さい時から母はだれからも好かれていた。“バイヨー”本当に母はみんなの姉であり母であった。里の使用人や米を脱穀に来る女の人たちが、母が大きくなってからもバイコーと呼ぶ時、その呼び名はなんと快く響いたことだろう。この呼び方をしている人の愛情がぼくの心にまでしみるようだった。
母には弟が2人と、妹が1人いた。母の母はたいへん
婚家では母にヤショーダーという新しい名をつけた(嫁ぐと婚家で新しい名前をつけるのはインドの一般的習慣)。婚家で母は成長した。何不自由ない暮らしだった。良い着物、良い食べ物があった。家には仕事もたくさんあった。しかし、みんなで一生懸命に心を合わせて仕事をする時、人は決して退屈しない。それどころか仕事をするのが楽しく、幸せだと感じるものだ。
父が17、8になったころ、すべての責任が父にかかってきた。というのは祖父が年老いて弱ってしまったからだ。父があらゆる事務をしなければならなくなった。経済の収支も父が受けもたねばならなくなった。ぼくたちは父のことをバーウ(お兄さん)と呼んでいた。そして人々は父のことをバーウラーオ(バーウの尊称)と呼んでいた。近くの村々の住人はぼくたちのことをコートの一族と呼んでいた。
コートというのは村の農民の税金を集めて政府に送る役人のことをいう。そして、コートは、政府へ納める税金の約4分の1を自分の収入として取っていいことになっていた。コートは村の作物の値段を決め、作物の取れ高を予想する。コートは、ある畑の作物の出来があまり良くなくても高い値段をつけたりする。そして農民が税金を払えないと、政府の力を借りて、農民の財産を没収する。そのかわり、決められた時に農民から税金を取りたてることができない場合には、コートは自分のお金でたてかえなければならない。
ぼくたちはワダワリーという村の税金を集めるコートの一族だった。そのワダワリーの村にぼくたちはとても大きな果樹園を持っていた。果樹園の中には水が音をたてて流れていた。水路を作って遠くから水を引いていた。園にはバナナ、スパーリー(木の実の一種)の木、パイナップルが植えられていた。また、いろいろな種類のジャックフルーツ(果物の一種)の木も植えられていた。果肉の固いもの、柔らかいもの、その中間のものなど、君たちがコーカン地方に来たら、そのすべての種類を見せてあげるよ。
この果樹園はぼくたちの栄光であり、幸運の象徴と言われていたが、みんな!それは幸運などではなく、ぼくたちの罪の象徴だったんだ。罪はほんの一瞬ほほえむが、その後は永久に泣いている。罪は少しのあいだ、すばらしい姿を見せるが、その後永久に土にまみれてしまう。罪は一時的な尊敬と一時的な地位しか得ることができない。世の中では、正しい行いだけが、金星のように、穏やかにいつまでも輝くんだ。
コートは村のだれかれなく、仕事をさせるために呼びつけることができる。呼ばれた村人は行かなければならない。さもないとコートの怒りにふれるからだ。村の働き者の男や女は、ナスを植えトウガラシを作るだろう。いろいろな種類のイモを植え、カボチャやスイカを育てるだろう。しかし、そのすべての作物をコートがねらっている。
本当にこの世界で他の人の働きに頼って生きることほどひどい罪はない。他の人に苦労を負わせて、昼も夜も働かせて、まるで彼らを取るに足りないもののように扱い、自分は柔らかなベッドの上に寝そべっていることほど許せない罪はない。
ぼくの母が身につけていたあらゆる装飾品はどこから来ただろう。あの輝く真珠の鼻飾りはどこから来ただろう。それは、村の貧しい女の人たちの真珠のような涙で出来ていた。貧しい人々の大切な子供たちの輝くはほえみや健康な体の輝きを奪って、ぼくの母のための金の飾りが作られていた。神はこの真実をぼくの母に説き明かそうとしていた。母の目を覚まさせようとしていた。
ぼくの父は生まれつき性格が残酷だったわけではない。先祖からの慣習を続けていたのだった。そしてコートの不当な権力を誇りにしていた。だれかが言うことを聞かないと、この者たちはのぼせあがっている、と彼は考えた。身分の低い人々をさげすんで呼ぶ時に、自分たちこそ
父の仕事がまた新しく増えたが、父はあまり経験がなかった。コートの権力をふりまわして、ときどき父は言いたい放題のことを言って、多くの人の心を傷つけていた。それは、先祖の罪でもあった。罪と徳とは決して絶えることはない。この世界では何事も理由なしには起こらない。種をまけば実り、苗を植えれば花が咲き、実がなるだろう。
ある時、こんなことがあった。月のない夜のことだった。父はワダワリーの村へ出かけた。「今日はワダワリー村へ行かないでください。今晩は月のない夜ですから」と家の者たちは父に頼んだが父は聞かなかった。
「月のない夜がなんだって言うんだい。土曜日(一般に土曜日は不吉な日と考えられている)がなんだって言うんだい。起こることは起こるんだよ。毎日が神聖なんだ、だってどの日も天からやって来るんだからね」
と言って父はワダワリーヘ出かけて行った。一日中そこにとどまって、夕方になってから家に帰ることにした。
知り合いのある老婦人が言った。
「バーウ、日が暮れてからは魔物の時間ですよ。こんな時刻に行ってはいけません。その上、今夜は闇夜です。あなたが川のそばを通るころは夜になります。今晩はここにお泊まりなさい。そして朝早くにお出かけなさい」
父は耳をかさずに言った。
「おばあさん、歩き慣れた道なんだよ。夜になってもどうということはない。私は速く歩けるから、みんなが乳しばりをするころには家に着くだろう」
父は出発した。1人の召使いを連れていた。その老婦人の「行ってはいけない」という言葉がまだ響いていた。不吉な声は「行け、止まるな」と言っていた。村の人々は父を見送りに集まって来た。1人の男が不気味に笑った。ある者たちはお互いに目配せをした。父と召使いは出発した。闇が迫り。神や聖人や貞節な妻たちの涙(星々)が輝き始めた。
ワダワリーの村から、5キロくらいのところに川があった。この川は深い谷となって流れており、雨季には渡ることはできなかった。川のまわりはうっそうとした森になっていた。森の中にはトラさえいた。昼間でも、ここを通ることは慣れない人には恐ろしいことだった。しかし、父は少しも恐れずに進んで行った。父は恐れを知らなかった。どんなばけものも、どんな猛獣も恐れなかった。
父は谷の近くにやって来た。突然、口笛がヒューと鳴った。父は少しギョッとした。やぶの中から体に絵の具を塗ったマーング(縄作りを仕事とする不可触民)が出て来て、父の背中を太い棒でなぐった。それで父は、前にのめって座りこんでしまった。供をしていた召使いは一目散に逃げていった。父は打ち倒された。マーングたちの手には、ナイフが光っていた。1人のマーングが父の胸に乗りかかり、今にも首を切ろうとしていた。やぶの中ではコオロギが鳴き、近くの木のほらからコブラがシャーと音をさせて出て来た。しかし、マーングたちはそれには注意を払わなかった。
その時、1人のおばあさんが叫んだ。
「ああ、ブラフミン(最高の階級)を殺してしまったよ。コートを殺してしまったよ。だれか、来ておくれ!」
さすがのマーングたちも少し怖くなった。
父はマーングたちに言った。
「私を殺さないでくれ。私が何をしたっていうんだ。離してくれ。この指輪と腕輪、それに、100ルピー(インドの通貨)もやろう。私を離してくれ」
父は必死になってマーングたちに頼んだ。
おばあさんの声を聞きつけて人がやって来る気配がした。マーングたちは、指輪と腕輪と100ルピーを奪って逃げて行った。
しかしこのマーングたちも本当の人殺しではなかった。こんなことをするのに慣れているわけではなかった。貧しさのゆえにこんな恐ろしいことをする気になったのだ。こんなひどいことをしていても、その奥には、やさしい心も愛情もあった。自分の子供を愛するがゆえに、子供を飢え死にさせないために、マーングたちはこんな人殺しのようなことを犯す気になったのだ。
この世では争いや闘いだけが真実だと言う人がいる。しかし、その争いや闘いの根源には愛がある。ただその愛が狭いだけなのだ。この世界のつきつめた姿は愛であって、闘争ではない。協力であって憎しみや嫉妬ではない。
しかし、話をもとにもどそう。逃げ出した召使いはまっすぐにぼくたちが住むパールガドの村へもどった。ひどくおびえてぼくたちの家に来てくわしく事のいきさつを話した。家や村の男の人たちがすぐに出て行った。パールガドには警察の派出所があったが、そこに届けが出された。
家に知らせが来たとたん、家族の者はひどい悲しみに襲われた。だれもが悲しみのために放心したようだった。家の中のランプに灯がともったが、みんなの顔は暗いままだった。食べることも飲むことも忘れていた。その時、ぼくはまだ生まれていなかったが、母はこの時の話をぼくたちによくしてくれたものだ。
母は祭壇のところへ行った。神さまこそが永遠の真の友だった。神さまに向かって母は哀願した。
「ヴィシュヌ神よ、この心配と不安をどうしたらよいのでしょう。ジャガダンベ(世界の母)女神さま、私はあなたの娘です。私を助けてください。私のクンクーを守ってください(クンクーは女性の額につける赤い粉。夫が死ぬとクンクーをつけてはいけない)。主人を無事に返してください。母なる神よ、私の結婚生活に
このように哀願して母は泣き始めた。
母は神さまにお祈りをした。しかし、ただのお祈りが何の役に立つだろう。どんなことにも自分の身をささげることや、必死で努力することが必要だ。母はこの夜、サーウィトリーの行を誓った。
みんな!人生でつらい時、人々に勇気を与えるために、インドの歴史にはたくさんのすばらしい男の人や女の人がいる。ラーマが、ハリスチャンドラが、シータが、サーウィトリーがいる。人が、サーウィトリーの歴史をたどろうとたどるまいと、サーウィトリーは不滅だ。サーウィトリー(死んだ夫を連れ去ろうとする神を追いかけ、その知恵を讃えられ、そのはうびに夫を生き返らせてもらったという伝説上の女性)は女の人たちに永遠に勇気を与え続けるだろう。死とさえ戦う勇気を与えるだろう。人間の純粋な心からの決意は、死とさえ戦う力を与えるだろう。
母の幸福はもどって来た。父は帰って来た。その年から母はサーウィトリーの行をするようになった。毎年、ジェシュタの月(注1)の満月の2日前から、母は断食を始めた。一度始めた行は、途中でやめることはできない。この行ではワトウルクシャの木の礼拝をする。天にも届きそうな、樹齢を重ねた大きなワトウルクシャの木を礼拝して、永遠の結婚生活の幸福を祈る。ワトウルクシャの木のように家族が栄えますように、また世界を守り、支えることができますようにと祈る。ワトウルクシャの木は、高く伸びて、まるで神さまの足に触れているかのようだ。この木と同じように、家庭も大きくなり、発展しますようにという永遠の願いがある。ワトウルクシャの木がたくさんの根とたくさんの芽を出すように、家庭も繁栄し、強い絆で結ばれますようにとの願いがある。このような何百もの思いが、この木の礼拝をする時、意識しているいないにかかわらず、女の人の心に浮かんでくる。
サーウィトリーの行を行う日が近づくにつれて、母は思いつめたような顔になった。この行についての思い出を一つ話そう。今までの話はこの思い出を話すための前置きだったんだ。
そのころぼくは8歳か9歳ぐらいだつた。サーウィトリーの行が始まろうとしていたが、母はマラリアで苦しんでいた。マラリアはいつも母にまとわりついている病気だった。この行では、3日間、ワトウルクシャの木のまわりを108回、回らなければならない。少し歩くと母は気が遠くなるような状態だった。
母はぼくを呼んだ。ぼくはそばに行って尋ねた。
「なあに、お母さん。どうしたの。足をさすろうか」
「足はさすらなくていいのよ。毎日どれだけさすってもらえばなおるんでしょう。あなただってたいへんでしょう。私もどうしたらいいかわからないのよ」
母のこの悲しげな言葉を聞いて、ぼくもつらくなった。ぼくは泣き出した。母は続けて言った。
「あなたは一日中仕事をして疲れているわね。でも、明日から3日間、新しい仕事をしてもらいたいの。やってくれるわね」
「どんな仕事なの、お母さん、ぼく、今までにいやなんて言ったことある?」
とぼくは言った。
母は涙ぐんで言った。
「ないわ。あなたは今までに1度だっていやなんて言ったことはないわ。いいこと、明日からサーウィトリーの行が始まるんだけど。私には108回も木のまわりを回れないと思うの。私は気を失ってしまうわ。なんとかあなたの手につかまって、木の根もとの台のところまで行きましょう。礼拝をして、3回木のまわりを回りましょう。残りはあなたが回ってちょうだい」
こう言って母はぼくの手を取った。愛情と悲しみに満ちたまなざしで、母はぼくを見つめていた。
「お母さん。ぼくがお祈りをしながら回ったって駄目だよ」
「大丈夫よ。神さまには目がおありだわ。神さまは生きていらっしゃるのよ。神さまには何でもおわかりになるの。あなたと私は同じなの。あなたは私が生んだ子供なのだから。私の分身なのだから。私の一部のようなものだから。あなたがおまいりをしたら、それは私がしたのと同じことなの。私が病気で弱っていることを神さまはご存じだわ」
「でも、女の人たちがぼくのことを見て笑うよ。ぼく、木のところへなんて行かないよ。学校へ行きがけの子供たちがぼくを見て、“やあ、女が来た”と言って学校でぼくをからかうにきまってる。そんなの恥ずかしいよ。ぼくは行かないよ。それに学校を休んだら先生にしかられるよ」
このようなたくさんの口実を、ぼくは並べたてた。
母の青白い顔は悲しげになった。母は言った。
「シャム、お母さんの仕事をするのがなぜ恥ずかしいの。これは神さまの仕事なのよ。この仕事をしている時、だれか笑う人がいたら、その人こそ愚かなのよ。神さまの仕事をする時に恥ずかしがってはいけないわ。人は罪を犯すことを恥じるべきなのよ。いつか。かまどの後ろに置いてあったヤシの実をあなたは取って食べたでしょ。私は知っていたけれど何も言わなかった。いいのよ、子供ってそんなものだもの。でも、あの時あなたは恥ずかしいと思わなかったのに、どうして今、神さまの仕事をするのをそんなに恥ずかしがるの。それじゃ何のために『バクティウィジャヤ』(多くの聖人たちに関する物語)を読んでいるの。何のために『マハーバーラタ』(インドの宗教的叙事詩)のお話を読んでいるの。あなたの好きなシュリー・クリシュナ(ヴィシュヌ神の生まれかわりで、『マハーバーラタ』の中で活躍する)は馬をあやつる仕事もしたし、ダルマ王の
こう言って母はサリー(注2)の布で目を押さえた。
母の言葉はぼくの胸に深くしみ入った。ぼくの心は氷が解けるように和らかになり、涙を流し、清らかになった。「神さまの仕事をする時、恥ずかしがってはいけない。悪いことをする時、恥じなさい」この尊い言葉。今でもぼくはこの言葉を思い出す。現代の世の中、この言葉はなんと必要なことだろう。神さまの仕事、国の仕事、母なるインドの仕事をするのをぼくたちは恥ずかしがっている。しかし、悪い本を読んだり、悪い映画を見たり、タバコを吸ったり、スパーリー(食後に食べる嗜好品)を食べたり、ぜいたくをしたりすることを恥じない。正しい行い、良い仕事をするのを恥じるようになってしまった。そして悪いことをすることに誇りを感じ、それを文化と勘違いしている。これは全くひどい状態だ。
ぼくは母の足元に身を投げ出して言った。
「お母さん、ぼく行くよ。だれが笑おうと、ぼくのことを何と言おうとかまわない。ぼくは行くよ。プングリーカ聖人は両親の世話をして偉大な人になった。そして神さまを自分の方へひきつけることができた。お母さんの仕事をして、お母さんと神さまに気に入られるようにしよう。学校で先生にしかられたって、ぶたれたってかまわないよ。ぼくのこと怒った?気を悪くした?」
とぼくは悲しくなって尋ねた。
「いいえ、坊や。私がどうしてあなたのことを怒るの。あなたに腹を立てることなんてできないわ、シャム」
と母が言った。
みんな!ぼくが家にいる時、サーウィトリーの行の時期が来たら、ぼくはいつもワトウルクシャの木のまわりを回っておまいりをした。母のこの日の言葉を、ぼくは決して忘れないだろう。
「悪いことをする時に、恥じなさい。良いことをする時に、恥じてはいけない」
注1 ジェシュタ月 ヒンドゥー暦の3月。ヒンドゥー暦は、ヒンドゥー教世界で宗教的行事などのために現在も使われている太陰暦。それぞれの月は、前半と後半に分けられ、前半は満月(プールニマー)で終わり、後半は新月(アマーワースヤー)で終わる。
注2 サリー インド女性の民族衣装。長さ約5メートルの布を体にまきつけ、スカートのようにひだを取って着用し、残りの部分は肩から後ろにたらしている。しかし、当時この地方のサリーはルグダと呼ばれ、約10メートルの長いもので、股を通してズボンのように着用していた。