アジア・太平洋戦争の敗戦から80年目を迎える本年、浄土真宗本願寺派では各地で「戦後80年戦争犠牲者追悼法要」が勤められています。西蓮寺が所属しています福岡教区
「追悼」とは、「なくなった人の生前をしのび、いたみ悲しむこと」(日本国語大辞典)であり、「悼」とは「いたむ・悲しむ。気が抜け落ちたような悲しみの意を表す」(角川 新字源)とあります。民族や国家・地域を越え、戦争の犠牲となられたすべての人々を悼み、再び戦争の惨禍をもたらさないために、世界の恒久平和を願う念仏者として歩み続けるよう阿弥陀如来の尊前にて誓うことを、この度の追悼法要の趣旨として掲げています。
また、法要のスローガンを「語り継ぐ 今だからこそ」としました。戦争を体験され、その証言を伝え、記憶を持ち続けておられる方々の高齢化が進み、ご存命の方も年々少なくなってきている「今」、各地で戦争や紛争が絶えることなく軍備強化が急激に進む「今」だからこそ、戦争の実態と平和の尊さを「語り継ぐ」ことの大切さを痛感しています。
西蓮寺中川家もアジア・太平洋戦争の遺族です。私の父の兄、中川
実は、平成元年に95才で往生しました祖母が、生前私に手渡してくれた伯父の遺品を入れた紙箱が手元にあります。その中に、紹介された伯父の遺書も納められています。両親や兄弟、ご門徒などに宛てて書かれた計4通の遺書です。どのような経緯で上記の書に伯父の遺書が掲載されたのかは、分かりません。
それらの遺書とともに、茶色の封筒があり、その表面には「釋智幢遺爪」と大きく墨書があり、「昭和十九年九月十六日夕 於前橋陸士校門前」と添え書きが付されています。封筒の中には、何重にも折られた白い和紙があり、開くと伯父の爪が出てきました。
また別の封筒には、両親と伯父の名前が記載された「面會證」なるものがあり、「前橋陸軍豫備士官学校」の名前と面会日が記されています。このことから、私の祖父母が息子に面会するために前橋を訪問し、その際「爪」を持ち帰ってきたことが分かります。両親は、どのような思いで息子と面会し、爪を切って持ち帰ったのでしょうか。この封筒の裏には次のようなことが書かれています。「昭和二十年三月廿三日午前十時過 於ルソン島セルバンテス南高地 胸部貫通銃創戦死 若冠二十三歳」。その右側の余白には、
「我すでに
『アジア・太平洋戦争』(吉田裕 2007年岩波新書)によれば、日中戦争から敗戦まで(1937~1945年)の日本人の戦没者数は、軍人軍属約230万名、外地の一般邦人約30万名、空襲などによる国内の戦災死没者約50万名、以上計310万名。外国人の戦没者数 アメリカ軍9万2000~10万名、ソ連軍2万2694名、イギリス軍2万9968名、オランダ軍2万7600名(民間人を含む)。アジア各地域の人的被害(各国政府の公式発表などによるおおまかな見積り)は、中国軍と中国民衆の死者1000万名以上、朝鮮の死者約20万名、フィリピン約111万名、台湾約3万名、マレーシア・シンガポール約10万名、その他ベトナム、インドネシアなどを合わせて総計で1900万名以上の人が亡くなっているということです。この数字をとおして犠牲になられた人々の数がいかに多いことかと知らされ、戦争がいかに悲惨であったかと感じられますが、数字となってしまえばその数が多くなればなる程、見えなくなることも決して少なくありません。
あえて伯父の「遺爪」のエピソードを紹介しましたのは、犠牲者そのお一人お一人に、同じような思いを持つ家族が、友人知人がおられ、その死を悼む人がおられることへ想いを向けていただければということからでした。
最古の経典の一つとして知られる『法句経(ダンマ・パダ)』には、次のような釈尊の教えがあります。戦後80年が経過した「今だからこそ」戦争について、平和について、是非「自分におきかえてみて」考えてみてください。
すべての人々は 暴力を恐れる(暴力:杖、権力、刑罰、武力行使、軍隊)
すべての人々は 死を恐れる
自分におきかえてみて
殺してはならない 殺させてはならない(第129偈)
すべての人々は 暴力を恐れる
すべての人々にとって いのちは愛しい
自分におきかえてみて
殺してはならない 殺させてはならない(第130偈)
(中川訳)