シャムチアーイー 2020/04/05更新

第八夜 シャムの水泳

 雨季には、井戸(日本の井戸よりかなり大きく、階段がついている)は水でいっぱいになる。つるべなど使わずに、手でも水をすくうことができるほどにいっばいになる。

 コーカン地方では、雨季に井戸で泳ぐのをみな楽しみにしていた。そしてこの時期に、小さな子供たちに泳ぎを教える習慣がある。初めての子供たちは、腰に乾燥したカボチャ(注1)を結びつけられ、井戸の中へ放り込まれる。井戸ではたくさんの人が泳いでいる。深さが10メートル近いところでも、底まで行って砂を取って来られるほど泳ぎの上手な人もいるし、水の中でいろいろな種類のとんぼ返りができる人もいる。井戸の中で2人で手を交差してくるくる回ったり、お互いにかかとをくっっけて、あおむけに寝て首を持ち上げ、小舟の形を作ったりもする。

 ぼくのおじはたいへん泳ぎが上手だった。父も上手に泳いだが、ぼくだけが泳げなかった。

 ぼくはいつも、だれか他の人が泳いでいると、それを見て楽しんでいた。ただ、自分で泳いだことは1度もなかった。ぼくはとても怖がりだった。近所の小さな子供たちでさえも、元気よく水に飛び込んでいたが、ぼくにはその勇気がなかった。「シャムを放り込めよ」とだれかが言ったら、ぼくはそこから一目散に逃げ出した。

 ぼくの母は何度も言った。
「シャム!泳ぎを習いなさい。あんなに小さな子でも泳いでいるのに、あなたはいったい何が怖いの?他にもたくさん泳いでいる人がいるんだから、あなたが溺れるのを放ってはおかないわ。明日は日曜日ね。明日泳ぎに行きなさい。あのワルワデカル家のバールーが教えてくれるわ。そうでなかったら、おじさんと一緒に行きなさい。ここではしょっちゅう、井戸へ行かなければならないわ。ボンベイやプーナのような水道は、ここにはありませんからね。泳げなければいけないわ。あなたは女の子のように腕飾りをした方が似合うわね。でも、腕飾りをはめた女の子より、もっとあなたは臆病だわ。明日泳ぎに行きなさい。バーブーのところにカボチャが置いてあります。必要だと思ったら、そのカボチャを腰に結びつけなさい。そうすれば溺れたりしないわ。明日必ず行きなさいね」

 日曜の朝、ぼくはどこかに隠れようと決心した。今日はどんなことがあっても、母は泳ぎに行かせるつもりだとはっきりわかっていたからだ。ぼくは屋根裏部屋に隠れた。最初、母はそれに気がつかなかった。8時ごろ、近所の子供たちがやって来た。
「シャムのお母さん!今日、シャムは泳ぎに行くでしょ?ほら、ぼく、カボチャの浮き袋を持って来たよ」
 とバニャーが言った。
「もちろん行きますよ。でもどこにいるんでしょう。あなたたちのところにいるとばかり思っていたのに。シャム!シャム!外へ行ったのかしら」
 こう言いながら、母はぼくを捜し始めた。ぼくは上でみんなの話を聞いていた。
「ぼくたちのところには来ていないよ。だからこうして迎えに来たんだ。どこかに隠れているんじゃない?ぼくたち、屋根裏を見て来ようか」
「上にいるかどうか見て来てちょうだい。あの子には、ネズミか何かのように隠れるくせがあるのよ。いつかも木のベッドの下に隠れていたのよ。でも階段を上る時、気をつけてね。板が、突然はね上がることがあるの。ゆっくり上ってちょうだい」

 子供たちは屋根裏部屋に上って来た。ぼくはもう見つかってしまうと思った。ぼくは小さく身を縮めた。しかし、カエルがどんなにおなかをふくらませても、牛のようにはなれないように、牛もカエルのようには小さくなれない。『バクティウィジャヤ』の中に、聖人ジュナーネーシュワルが突然小さなハエになって、池の水を飲んで出て来たことが書いてあるが、そんなふうにぼくも小さくなれたらなあと思った。お米の大きな箱の後ろに、ぼくはネコのように体をまるめて隠れていた。

「ここにはいないよ。こんな居心地の悪いところに隠れているはずがないよ」
「さあ、行こう。遅くなってしまうよ」
 その時、バースカルが言った。
「おや、あれを見て。お米の箱の後ろ。シャムだよ」
「シャム!さあ、おいで。なんでそんなふうに隠れているの?」
 とみんなが言った。
「やっぱり上にいたのね。きっと屋根裏にいると思っていましたよ。シャムを連れて行ってちょうだい。必ず連れて行ってちょうだいよ」
 と母が言った。

 子供たちは、出て来ようとしないぼくをひっぱり始めた。でも、結局はよその家の子供たちだ。あまり手荒なことはしなかった。彼らはそろそろひっぱっていたし、ぼくは必死になって抵抗していた。

「シャムのお母さん!シャムったらこっちに来ないよ。ビクともしないよ」
「どれ、どんなふうに抵抗しているの?いたずらっ子はどこ?私が自分で行きましょう。待ってなさい」

 母は屋根裏に上がって来て、怒った様子でぼくの手を握ってひっぱった。母は力いっぱいひっぱったが、ぼくは頑固に動こうとしなかった。片方の手でひっぱり、そしてもう一方の手でひっぱたき始めた。母はみんなに言った。
「みんなで手をつかんでひっぱってちょうだい。私が後ろからひっぱたいて追い出すから」
 子供たちはぼくの手をひっぱった。そして母はぼくをたたきにたたいた。
「お母さん、もうぶたないでよ。お母さん、お母さん、死んじゃうよ」
 とぼくは叫んだ。
「死んだりはしないわ。さあ、立ちなさい。立って出て来なさい。今日は逃がしませんよ。水の中に2、3回、シャムを沈めておやりなさい。耳や口に水が入ったって、かまいませんよ。さあ、立ちなさい。ビクビクして隠れているなんて、恥ずかしいと思わないの?ごらんなさい、その恥さらしの格好を女の子たちが見に来たじゃないの」

 こう言いながら、母はぼくを力いっぱいたたいた。
「行くよ。行くから、もうぶたないでよ」
「さあ、それじゃ行きなさい。また逃げたりしたらひどいわよ。もう家には入れませんからね」
「シャム、何が怖いの?私だって飛び込むわよ。このあいだなんか、ゴウィンダーおじさんが私を肩車して飛び込んだけど、とても面白かったわ」
 とウェヌーが言った。
「シャムはきっと来るよ。シャム、怖くなんかないよ。一度水に飛び込んでしまえば、怖さなんかふっ飛んじゃうよ。そうしたら、ぼくたちがもうやめようと言っても、自分から進んで飛び込むと思うよ。さあ、泣かないで」
 とバニャーが言った。

 その井戸には、バールーやその他の若者も来ていた。
「おや、今日はシャムも来たのかい。さあ、こっちへ来いよ。ぼくがカボチャをうまく結んであげよう」
 こう言って、バールーはぼくの腰にカボチャの浮き袋を結びつけた。井戸の中には泳ぎの上手な人が何人か泳いでいた。ぼくはガタガタ震えていた。
「さあ、飛び込んでごらんよ」
 とバールーが言った。

 ぼくは水の中をのぞき込んで、また後ずさりした。そして、また前へ踏み出しては、再び後ずさりした。鼻をつまんだり、離したり、そんなことをくりかえして、ぐずぐずしていた。
「怖がりだなあ。ウェヌー!君がまず飛び込めよ、そうしたら、シャムも後から飛び込むよ」
 とウェヌーの兄さんが言った。ウェヌーはペティコートを少したくし上げて、飛び込んだ。その時、突然、後ろからだれかがぼくを水の中に突き落とした。
「死んじゃうよ、お母さん!死んじゃうよ」
 ぼくは叫んだ。水から顔を出すことはできたが、とても怖かった。泳いでいる人たちの首につかまろうとしたが、だれもつかまらせてくれない。
「こんなふうに体をまっすぐに伸ばすんだ。おなかを水につけて、体の力を抜いてごらん。そして、手を動かすんだよ」
 こうして水泳の授業が始まった。

 バールーも水に飛び込んでぼくのおなかを手で支えて教え始めた。
「怖がっちゃ駄目だ。怖がるとよけいに疲れるからね。すぐに井戸の縁につかまろうとしてはいけないよ。いいかい、すぐそばまで行ってから、つかむんだよ」
 と、バールーは実践的に教えてくれた。
「さあ、もう一度飛び込んでごらん」
 とバニャーが言った。ぼくは水から上がって、鼻をつまんだ。なかなか勇気が出ずに、前へ踏み出したり、後ずさりしたりしていた。しかし、とうとう思い切って飛び込んだ。
「すごいぞ、シャム!もう泳げるね。怖がらなくなったら、何でもできるようになったね」
 とバールーが言った。彼は水の中でぼくを支えて、さらに教えた。
「さあ、もう一度だけ飛び込んだら、今日はもう十分だよ」
と子供たちは口をそろえて言った。

 水から上がって、ぼくはもう一度飛び込んだ。バールーに支えてもらわずに、少しだけ泳いだ。腰にはカボチャの浮き袋が結びつけてあったので。溺れる心配はなかった。ぼくはもう怖くなくなっていた。水が恐ろしくなくなっていた。

 子供たちはぼくを家まで送ってくれた。家に着くと、バニャーが言った。
「シャムのお母さん!シャムは最後には、自分から進んで飛び込んだんだよ。もうぜんぜん怖がっていないよ。それに、カボチャをつければ、少し泳げるようになったよ。バールーおじさんは、シャムはすぐに上手に泳げるようになるって言ってたよ」
「ほら、ごらんなさい。水に飛び込んで、鼻や耳に水が入るような経験をしなければ、いつまでたっても恐怖心はなくならないのよ。シャム。頭をちゃんとふきなさい」
 と母が言った。ぼくは頭をふいて、乾いた下着をつけた。ぼくは少し怒っていた。

 ぼくたちの食事が終わると、母は食事をするために腰を下ろした(インドでは、主婦はみんなが食べ終わった後に食事をする習慣があった)。ぼくはヴェランダにいた。その時、「シャム」と母はやさしくぼくを呼んだ。
「ヨーグルトのつぼを持って行きなさい。ヨーグルトをみんな食べていいわよ。好きでしょ」
「いらないよ。朝、あんなにぶっておいて、今度はヨーグルトをあげるなんて言ったって」
 ぼくは泣きそうになって言った。
「ほら、見てよ。まだ、あざがついているよ。井戸の水の中であんなに泳いだのに、まだ消えないよ。この赤いあざが消えるまで、ヨーグルトなんていらないよ。このぶたれた跡をどうして、そんなに早く忘れられると思うの?」

 母の目は、涙でいっぱいになった。彼女はそのまま立ち上がった。もうご飯を飲み込むことができないのだった。十分に食べていないのに、母が立ち上がってしまったのを見て、ぼくは悲しくなった。ぼくの言ったことが、母を傷つけたのだろうかと思い始めた。母は手を洗い、油のつぼを持ってぼくのところへやって来た。そして、ぼくの赤い傷跡に塗り始めた。ぼくはひと言もしゃべらなかった。母は涙ぐみながら言った。

「シャム、世の中の人があなたのことを弱虫だなんて言ってもいいの?私のシャムの悪口を、私はだれにも言わせたくないの。だれにもシャムの悪口を言わせないために、私はたたいたのよ。シャム、お母さんにだれかが、“あなたの子供さんは弱虫ですね”と言ったら、あなたはうれしいかしら。そんなことが耐えられる?お母さんが侮辱されても平気?だれかが私の子供たちのことを侮辱したら、私は耐えられないわ。また、だれかが私を侮辱したら、子供たちにも平気でいてほしくないの。そうであればこそ、本当の母親、本当の子供と言えるのよ。もう怒らないで、勇気のある人になってね。さあ、ヨーグルトを食べて遊びに行きなさい。今日は昼寝をしては駄目よ。泳いで帰って来て眠ったら、すぐに風邪をひきますからね」

 みんな!母は、弱虫ではなく、勇敢な子供が欲しかったんだ。

注1 乾燥したカボチャ インドのカポチャはひとかかえもあるほど大きいので、乾燥させれば浮き袋のかわりになる。