シャムチアーイー 2020/08/02更新

第二十四夜 灰になった母

 母が亡くなった時、ぼくは遠く離れたところで勉強していて、そばにいてやることができなかった。ぼくは母の役には立てなかった。しかし。なんとかして母の役に立ちたいと思って、勉強していたのだった。

 その日の夜、母が夢の中に現れて、ぼくにこう言った。

「どうして会いに来てくれなかったの?お父さんはあなたに知らせなかったの?あの日、あなたは腹を立てて行ってしまったわね。まだ怒っているの?小さな子供は腹を立てても、すぐに忘れてしまうものなのに、あなたはまだ忘れないの?私に会いにいらっしゃい」

 朝起きて。この夢のことを思い出すと、いても立ってもいられない気持ちだった。母は病気がとても悪いのではないかと思った。翼があったなら、母のところへ飛んで行くのにと思った。しかし、なんと遠いのだろう。2日はかかる道のりだった。汽車と蒸気船と牛車に乗らなければならない遠い旅路だった。

 ぼくは悲しかった。そして、とても不安だった。家に帰って、母に会って来ようと思ったが、お金をどうすればいいのかわからなかった。

 ぼくには、ナームデーワという新しい友だちがいた。ナームデーワ聖人が、パソダルプールのパーンドゥランガという神さまを愛し、崇拝していたのとちょうど同じように、友だちのナームデーワも、このシャムを愛し、崇拝していた。まるで、彼はぼくのものであり、ぼくは彼のものであるかのようだった。「ユーヤム ワヤム、ワヤム ユーヤム(君たちはぼくたちで、ぼくたちは君たちだ)とぼくたちは何度お互いに言ったことだろう。何も言わなくても、ぼくの心の中のすべてのことが、彼にはわかるのだった。シク教の開祖、ナーナクの詩に、「何も言わなくても、あなたには私の悲しみがわかる。私はあなたの名前を唱えている」という一節がある。

 神の名を唱えれば、十分なのだ。神はぼくたちの悲しみを、何も言わなくてもわかってくださる。ナームデーワはぼくの悲しみをわかってくれた。ぼくの人生の本、心の本を、彼は読むことができた。ぼくの目や顔の表情を、彼は正確に読み取ることができた。ぼくたちは、まるでお互いの鏡に映った姿のようだった。まるで、2つの体に1つの意志、1つの心が宿っているようだった。意志と心において、ぼくたちはまるで双子のようだった。

「ナームデーワ、ぼくは家に帰りたいよ。母の病気はひどく重いような気がするんだ。心配でならないんだ」
「それじゃ、行って会っておいでよ、シャム」
「母をこの目でしっかり見て来たいよ。でも、お金が……」
「昨日ぼくのところに現金書留が届いていたじゃないか。まるで君のために来たようだね。10ルピーあるんだ。それで足りるだろう。お母さんに会っておいでよ。ぼくからも、よろしくと言ってくれ。さあ、行っておいで」

 少しばかりの荷物を持って、ぼくは出発した。ナームデーワは駅まで見送りに来てくれたが、ぼくが汽車に乗り込む時には、2人とも、涙が目にあふれていた。

「いいかい、手紙をすぐに書いてくれよ、シャム。ぼくも君と一緒に行きたいけれど、お金がないんだ」
「君はいつだってぼくと一緒にいるよ」
 とぼくは言った。

 汽車が動き出すと、あっという間にやさしいナームデーワの姿は見えなくなった。と同時にぼくの目から涙が流れ始めた。涙が次から次にこぼれた。何度も、何度も、胸がいっぱいになった。

 ぼくは港で汽車を降りてすぐに船に乗った。

 波の上で、船は揺れていた。ぼくの心も、いろいろな思いで揺れていた。ぼくは、タゴールの『ギータンジャリー』を手にして。「お母さん、あなたの胸には、ぼくの涙の首飾りがよく似合う」という詩を読んでいた。ぼくは、かわいそうな母に他に何を与えることができただろう。ぼくにも、涙以外何もあげられるものはなかった。

 途中で『ギータンジャリー』を閉じて、ぼくは目の前の波打つ海を見ていた。ひとつの波が次の波に生命を与えているかのように、何百もの波が踊っていた。ぼくの心の海の中でも、何百もの思い出が波打っていた。ひとつの思い出が、もうひとつの思い出をよみがえらせていた。母の何百もの思い出、胸を熱くする何百もの情景が、みな目の前によみがえってきた。瞑想にふける聖人のように、ぼくは夢の世界、思い出の世界に浸っていた。ぼくは我を忘れていた。このシャムという魚は、母の思い出の世界という海の中に飛び込んで、泳いでいた、踊っていた。

 ハルナイ港の灯台が見えてくると、
「ハルナイ!ハルナイ!」
 と船乗りたちが怒鳴り始めた。降りる客は荷物をまとめていた。ぼくも自分の小さな包みを抱えた。あと7時間か8時間もすれば、母の足を見ることができる、愛にあふれた池のような目を見ることができると、ぼくは思っていた。

 汽船がハルナイ港に着くと、小舟が近づいて来た。ここで降りる他の客たちと一緒に、ぼくも小舟に乗り込んだ。

 港からだれかがぼくを見ていた。ぼくはそちらを見てはいなかったが、その人はぼくをじっと見ていた。港に立ってぼくを見ているその人の目には、涙があふれていた。

 小舟が停泊すると、ぼくは急いで降り、海から港に揚がった。その時ぼくが見たのは、なんと、おばではないか。

「サクーおばさん!どうして、こんなところにいるの?プーナに帰るの?お母さんはもうよくなったの?」

 その問いには、おばの目からこぼれる、ガンジス川とヤムナ川の流れのような涙が答えていた。
「おばさん!どうして黙っているの?」
 ぼくは必死になって尋ねた。
「シャム!あなたのお母さん、私のお姉さんは、神さまのところへ行ってしまったわ」
 とおばが言った。ぼくは悲しみの海を抑えることができなかった。

「どうして、ぼくを呼んでくれなかったの?ぼくは夢を見たから来たんだよ。夢の中で、お母さんが呼んでいたんだ。でも、今となっては、どこでお母さんに会えるだろう。お母さんはもう永遠にいなくなってしまったんだ」
 と言ってぼくは泣き始めた。

「シャム、あの日、お姉さんはずっとあなたのことを思い出していたわ。お姉さんにはあなたの姿がずっと見えていたんだわ。まだ駄々っ子なのね、なんて言っていたのよ。たった2日で、お姉さんが死んでしまうなんて、思わなかったの。あなたを呼ぼうと決めたその日に、お姉さんは死んでしまったのよ。できることは何でもしたわ。何の不自由もないようにしたのよ。あなたには、私がついているわ。お姉さんは、あなたたち子供のことを私に頼んでいったわ。あなたたちにお母さんを恋しがらせたりはしないわ。泣かないで、どうしてそんなに泣くの?」
 と、おばは一生懸命ぼくを慰めてくれた。

「サクーおばさん、ぼくにはとても大きな夢があったんだよ。お母さんを幸せにしよう、お母さんを花のように大切にしよう、そう思っていたのに……。これから先、ぼくはだれのために勉強すればいいの?お母さんを大事にして、お母さんの役に立てるのでなかったら、勉強して何になるだろう」

「兄弟やお父さんのために勉強するのよ。私たちのために勉強してちょうだい。世の中の人のために勉強するのよ。お母さんにあげるはずだった愛を、世の中の人に分けてあげなさい。世の中の不幸なお母さんたちにあげなさい」

 このように、おばは新しい人生観をぼくに示してくれた。
「サクーおばさん、もう帰ってしまうの?」
 とぼくは尋ねた。
「ええ、あそこにいるのはつらくて耐えられないわ。あなたは家に帰りなさい。明日はお姉さんが亡くなって3日目だわ。お骨を拾うことになっているの。あなたはお姉さんのお気に入りだったから、お葬式には間に合ったのね。もどる時に、お骨を持って来なさい。ガンジス川に流しましょう」
「サクーおばさん、ぼくはどうやって家に帰ればいいの?暗闇の家にどうやって帰ればいいの?」
「お母さんという月がなくても、その暗闇の中にはお父さんという星があるわ。あなたの弟の星もあるわ。真っ暗ではなくて、愛があるわ。だから家に帰りなさい。そしてみんなを元気づけてあげなさい。あなたは賢いわ、考えも深いし、『ギータンジャリー』や『バガヴァットギーター』も読んでいるでしょ」
「“シャム!帰って来たのね。ちょっと待ってね、神さまに黒砂糖をお供えするわ”って今ではだれが言ってくれるの」
「シャム、愛にあふれた思い出があなたにはあるわ。お母さんが亡くなっても、愛という形のお母さん、思い出という形のお母さんがあなたにはいるわ。あなたが行くところには、どこにでもお母さんがいるのよ。さあ、牛車を雇ってあげるから早くお帰りなさい」
 こう言って、おばは、ぼくのために牛車を雇ってくれた。

 おばは行ってしまった。母親の役をするはずのおばは、船に乗って自分の家に帰ってしまった。

 ぼくは牛車に乗り込んだ。母のことを思い出していた。ぼくの人生の海の中で、何度も何度も、母の神聖な姿が、何百もの波になって打ち寄せているのが、ぼくには見えていた。母のつらさや苦しみが見えていた。やさしさそのものだった母、母の愛や母の思いやりが、山のように見え始めていた。

 とうとう、ぼくは家に着いた。以前にも、朝早く、ちょうどこんなふうに家に帰ったことがあった。その時には、バターミルクを作りながら、母はクリシュナの美しい歌をうたっていた。しかし今日は、どんな歌も聞こえなかった。そこには嘆きだけがあった。

 家の中は、薄暗いランプがともっているだけで、恐ろしいほど静かだった。

「シャム!2日遅かったよ。お母さんは死んでしまったんだよ、坊や」
 と父が言った。プルショッタムはぼくを見ると泣き出し、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言って、ぼくに抱きついた。

「お母さんは、あなたのことばかり思い出していましたよ、シャム。あなたは、お母さんのお気に入りだったから、お葬式にはなんとか間に合ったんだと思いますよ。泣くんじゃありませんよ、今となっては、どうしようもないのだから。あなたたちが大きくなるまで、生きていてほしかったね。でも、神さまはそうはお望みにならなかったんだね」
 ドゥールワおばあさんの話を、ぼくはただ黙って聞いていた。

 その日、母は荼毘だびに付された。

 ぼくはお骨を拾うために、母の清らかな体が焼かれた川辺に降りて行った。灰になってしまった母が、そこに眠っていた。灰になった体は、風にあたっても少しもくずれずに、そのままの形で残っていた。すべての世俗性の消えた聖なる灰の体が、そこにはあった。荼毘の炎に焼かれる前から、すでに母の体は、人生の苦難によって灰になってしまっていた。彼女は体の中から焼かれていた。シャンカラ神の体の上の灰と同じくらいに、母の体も神聖なものになっていた。

 ぼくは、その灰になった母に合掌した。そして手を触れ、灰の体を壊した。ぼくの心の中に、永遠に壊れることのない母の姿を焼きつけて、その灰をぼくは壊した。たとえ死すべき肉体であったとしても、だれかの心の中に不滅の姿を焼きつけることができたなら、それはなんと幸運なことだろう。

 ぼくは母のお骨を拾った。マンガラスートラの黒いビーズが見つかった。幸運をもたらすものだといって、おじが持って行った。

 遺体を葬るためのあらゆる儀式を終えて、ぼくたちは家に帰った。

 プルショッタムから、母の亡くなる前の話をひとつひとつ聞きながら、毎日が過ぎていった。母の思い出という聖なる物語を、プルショッタムは読んでくれていた。近所に住んでいるインドゥーやラーダーさんも思い出話をしてくれた。母の苦労を聞くうちに、ぼくはすすり泣いていた。

 母のピンダダーン(祖霊に対する団子供養)の儀式の日が来た。亡くなった人のためにピンダ(団子)を作りお供えするのだが、そのピンダにカラスが触れなければ、死者の魂は安らかではない、といわれている。母の望みがまだ果たされずに残ってはいないだろうか、そのためにカラスがピンダに触れないのではないだろうか、とぼくは心配していた。

 ぼくたちは川辺に行って、ピンダを聖なる草の上に置いた。カラスの姿は見えなかった。僧侶はカラスの鳴き声を真似て、カラスを呼んでいた。

「来たぞ、カラスが1羽、こっちへ来たぞ。もう1羽、飛んで来た」
 とおじが言った。ぼくたちは喜んだ。ピンダをそこに置いて、わきに退き、じっとカラスの様子を見ていた。しかし、カラスはピンダのそばに降りて、まわりを回ってはいたが、ピンダには触らなかった。どうしたらいいのだろう。ぼくは心配になって言った。

「お母さん!お母さんが望むなら、ぼくは結婚するよ。いつまでもひとり者ではいないよ」 ぼくがこう言っても、カラスはピンダに触れようとはしなかった。おじが言った。

「バーウ(父の愛称)を見捨てたりはしないよ。姉さん、彼を愛して大事にするよ」

 それでも、カラスは触れなかった。ピンダを持って、ぼくはカラスの来そうなところへあちこち行ってみた。ぼくは泣き出したい気持ちだった。

 もしも、カラスがピンダに触れなかったら、聖なる草でカラスを作って、触らせるのだ。しかし、村の人々は、できるかぎりそんなことはしない方がいいと思っていた。ぼくは悲しくなって言った。

「ピンダを持って家に帰ろうよ。家でなら、たぶんカラスが触るよ。今、聖なる草でカラスを作るのは早過ぎるよ」

 重い心で、ぼくたちは川辺からピンダを持って家に帰った。そして、庭のすみのバナナの木のそばにピンダを置いた。まわりにカラスが集まって来たが、1羽もピンダには触れなかった。

 とうとう、ドゥールワおばあさんが家から出て来て言った。

「ヤショーダー!何も心配することはありませんよ。プルショッタムには私がついているわ。彼のことは、何でも私が面倒を見てあげるよ」

 なんという奇跡だろう!おばあさんのその約束の言葉を聞くや否や、1羽のカラスがピンダに触ったのだ。

 ぼくの目から涙が流れた。サクーおばさんは、すでにひとりで帰ってしまっていた。幼いプルショッタムはしばらくは家で、おばあさんのもとで暮らすことになるだろう。プルショッタムは少し腕白だった。彼がちゃんと面倒を見てもらえなかったり、ぶたれたり、しかられたりするのではないかというのが、母のただ1つの心配だった。これだけが気がかりだったのだ。お母さん!あなたの愛はなんと大きいのでしょう。あなたの愛は計ることができない。空よりも大きくて、海よりも深いものだ。神さまがどんなに愛にあふれているかは、この人間世界の母親の姿を見ればわかるだろう。自分の愛がどんなものかを世の中の人に教えるために、世界の母(神)は、この小さな母をこの世に送り込んでいるのだ。

 友よ!ぼくの母は死んでしまった。彼女の生命がなくなってしまっても、彼女の心配は消えなかった。母のすべての子供たちが幸せにならないうちは、母にも幸せは来ない。母のすべての子供たちがりっぱにならないうちは、母も幸せにはなれないのだ。母の子供のうち、たった1人でも、涙をこぼしているうちは、嘆きのため息をついているうちは、そして、服や食べ物や知恵が得られないうちは、母の心配は去らないのだ̈。兄弟がみな、愛をもって互いに助け合い、目上も目下もなく、互いに高め合い、支え合い、育て合い、喜びを分かち合うだろうと、母が確信しないうちは、母には幸せも、安らぎも、救いもないのだ。そのことが実現するまでは、母は泣き続けるだろう。それまでは、母の心配の火は、パチパチと燃え続けるだろう。