シャムチアーイー 2020/01/01更新

シャムチアーイー:訳者のことば ―― サネ・グルジーと物語の背景

 サネ・グルジーは、1889年12月24日にインドのマハーラシュトラ州のコーカン地方ワダワリーの村に生まれました。本名はパーンドゥランガ・サダーシウ・サネといい、グルジーとは先生という意味で、彼は、尊敬と愛情をこめて人々からサネ先生と呼ばれていました。

 グルジーの家は名門でしたが、すでに没落しており、後には破産してしまいます。それで、彼は大変な苦労をして学業を続け、プーナのニュー・ブーナ・カレッジ(後のS・P・カレッジ)でマラーティー語の修士課程を修了後、カンデーシュ地方のアマルネール校に教師として赴任しました。彼はそこで生徒たちに、教科書の知識だけでなく、広い視野を持たせるために、自ら世界中の偉人の伝記を書いて紹介したり、毎日手書きの新聞を出したりしました。

 しかし、当時インドはイギリスの支配下にあり、ガンディーがサッティヤーグラハ(真実のための戦い)という独立運動を始めていたころでした。このように偉大な歴史が眼前で展開されている時に、本の中の歴史を教えることの空しさを感じたグルジーは、職を辞して、独立運動へと身を投じていきます。

 グルジーは人々を独立へと目覚めさせるために、各地で演説をし、たくさんの詩を書きました。彼の詩にはメロディーがつけられ、人々に愛され、今でも歌いつがれています。彼はだれもが独立の大切さを理解して、この運動に参加できるようにしたかったのです。

 1930年、グルジーはこの活動のために逮捕され、その後も政治犯として刑務所を出たり入ったりします。『シャムチ アーイー』(マラーティー語で「シャムのお母さん」という意味)も、1933年にナーシクの刑務所で書かれました。原書で200ページに及ぶ大作ですが、グルジーはなんと三日半で書き上げました(四十二話のうち、本書では二十五話だけを紹介しました)。シャムというのは、物語の中の男の子の名前です。これはまさに、サネ・グルジーの自伝ともいうべき作品で、自分のような頑固でかんしゃく持ちの子供を母がどのように愛情深く育て、しつけをしてくれたか、また、人間として大切なことは何なのかをどのように教えてくれたかが、感謝をこめて書かれています。この作品は学校の教科書にも取り入れられ、絵本になり、映画化され、人々に愛され続けています。

 グルジーは、生涯かけて母が与えてくれた愛情に報いようと、母なるインドのために力を尽くしました。彼は、国を愛するということは、その国に住んでいる人々を愛することだと考え、貧しい人々、女の人たち、ハリジャン(不可触民)の人々の不幸を自分の痛みとして感じ取り、すべての人々が自由で平等で幸せになることを願って、活動を続けました。その活動のひとつとして、1947年、まだハリジャンに対して門戸を開放していなかったパンダルプールの寺院の開放を求めて、彼は六か月間の運動を展開しました。それでも門戸は開放されず、グルジーは死を覚悟の断食を行い、その十一日目に、とうとう、パンダルプールの寺院はハリジャンに開放されました。このことを知ったガンディーは祈りの集会で、この偉業を達成したグルジーに心からの讃辞を贈りました。

 そして、この1947年、ついにインドはイギリスからの独立を勝ちとります。グルジーは1950年6月11日に亡くなりますが、人々に対する愛情、労をいとわぬ活動、また、その精神の純粋さから、マハーラシュトラ州では聖人とさえ呼ばれるようになりました。

 最後に1982年より二年間の私のインド滞在中に、私にマラーティー語の勉強を勧めてくださった仏教学者V・V・ゴーカレー博士、恩師レッカ・ダムレ夫人、S・V・カーレ氏、ならびにかずかずのアドバイスと励ましをくださったプーナのみなさまに、改めて心からお礼申し上げます。合掌

2020年1月1日 西蓮寺坊守 中川將子