シャムチアーイー 2020/11/13更新

【未掲載版】第一話 お姉さんの結婚

 アーシュラムの夕食が終わりました。アーシュラムのみんなは、夕食後お祈りの時間まで散歩などに出かける習慣がありました。アーシュラムがある町には川が流れていました。川の名前はバフーラ川でした川のほとりにマハーデーワの小さなお寺がありました。そのお寺の近くに大きなピンパルの年老いた木があり、その木の回りには台が造られていて、町の人々は時々、そこに腰かけにやって来ました。

 ゴウィンダとシャムは散歩に出ていました。彼らは丘の上に行って座っていました。小さなゴウィンダは笛で美しい音色を出すのが上手でした。彼は竹で出来た笛を取り出していました。突然ゴウィンダは笛を吹くのをやめて、シャムの方を見ました。シャムは目を閉じていて、口元にやさしい、喜びに満ちた微笑が浮かんでいました。

「アーシュラムへ帰ろうよ。お祈りの時間が始まるよ。」
 シャムは目をあけて、言いました。「ゴウィンダ!笛は神様からの贈り物だ。クリシュナの笛の音を聞いて、鳥も獣も、石や岩までもがうっとりとしたと言われている。女の人達が歌う民謡の中にも歌われている。

『ヤムナ川は静かに流れ、風までもが笛の音ににうっとりとして吹くのを止めてしまった。木の上の花も、実も、葉も、じっとしている。
おお、ゴーピナータ! 仕事をやめて私は行くよ。ウルンダワンで君は笛を吹いている。ちょっと待っておくれ』

 ゴウィンダ!僕は子供の頃、コーカン地方の雨季の休暇に牛飼い達と一緒によく森へ行った。牛達は草を食べ、牛飼い達は笛を吹いた。僕のおじは笛をこしらえるのが上手だった。小さな竹製の笛だったが、何とすばらしい力を持っていただろう。この頃では人々は真ちゅうなどで出来た音の鋭い外国製の笛を買うようになった。この種の笛は2ルピーもする。しかし、いなかに住む貧しい人々には、この竹の笛がある。やさしい音色で、手に入りやすく、美しい。笛はインドの国民的楽器だ。シュリー・クリシュナがこれをインド中に広め、70万の村で演奏されている。さあ、あの歌を笛で吹いておくれ。」

「でも、ほら、鐘がなっている。お祈りに行こう」とゴウィンダが言いました。
「よし、そうしよう。ねえ、ゴウィンダ!昨日、僕は長く話し過ぎたんじゃないかい。母の育った環境について少し話して置きたかったんだ。今日は早く話し終わるつもりだ」
「昨日、君は12,3分話していたよ。無理に短くすることはないよ。話の中で君は色々な考えや意見も言うだろう。あれも僕達にはためになるよ。君は時間を無駄になんてしていないよ」

 話をしながら、ふたりはアーシュラムに帰って来ました。広間にはお祈りの準備が出来ていて、みんな集まっていました。町の人も何人か来ていました。鐘が鳴り、お祈りが始まりました。

『瞑想して心静か。それが行者ぎょうじゃのあるべき姿』

 『ギーターイ』(ウィノバ・バウェによる『バガヴァット ギーター』の注釈書)の中の行者の定義の部分のお祈りが始まりました。このお祈りは今ではインド国中共通のお祈りになりました。

 お祈りが終わると、シャムのお話を早く聞きたくて人々は待ちきれなくなりました。シャムはお話を始めました。

 「母は僕達子供の中で姉を一番愛していた。姉は母に本当によく似ていた。僕達は姉をアッカ(お姉さん)と呼んでいた。姉はやさしく、心が広く、働き者で、辛抱強かった。姉は嫁に行って初めはつらい思いをした。でも、里では決して愚痴を言わなかった。姉は自分の子供をぶつことさえしなかった。子供に腹が立った時はその場から離れてどんどん歩いて行って、怒りを静めたものだった。

 今から話すのはアッカ(お姉さん)の結婚式の時の話だ。アッカの結婚は長い間まとまらなかった。星占いによると姉は火星の影響を受けていたので、それが障害になっていた。それに加えて持参金も問題だった。僕達の家名は有名だったが、実際はすでに家運は傾いていた。家の構えは大きくても、柱は腐っているという状態だった。家族の中のある者は、昔の栄華のままに暮らすべきだと考えていたので借金がかさんで行った。アッカはたくさんの場所に見合いのために連れて行かれた。姉が気に入られても、持参金がまとまらないこともあった。持参金の問題は女の子にとって首かせのようだ。この重荷のために女の子はのびのびと成長することさえ出来ない。心配が彼女達の心を焼いている。

『娘はどんどん大きくなって行く。早く結婚させなければ。しかし、一体どこに娘の婿になる青年はいるんだろう』
こんな言葉が女の子の耳にはいると、もう死んでしまいたいとさえ思う。インドの国の若者達は何と意気地なしなんだろう。

 この持参金の習慣がなくなることを願って、20年前ベンガルでスネルタという娘は焼身自殺をした。その時、少しの間若者達は活動を見せた。会議が開かれ、いくつもの決定がなされた。しかし、しばらくすればもとのもくあみだった。彼らだって持参金がほしい、教育費がほしい、指輪も、自転車も、時計もほしいのだ。娘や息子と引きかえに、お金をやりとりすることはどちらも憎むべきことだ。インドの気高い宗教は牛を売ることさえ禁じている。それなのにその宗教の信奉者が嫁や息子を平気で売り買いしている、これほど非宗教的なことがあるだろうか。口では宗教を讃美しながら、実際の行動では宗教をあざ笑っている。本来心が広いはずの若者達はいなくなってしまったのだろうか。憎むべき行為に立ち向かう勇気が出て来ない限り、何も出来はしない。自分の姉妹の首をしめるような習慣や伝統を捨てることが出来ない者が自由を愛するなんて言えるだろうか。どうしてそんなことが言えるだろう。しかし、もう言わないでおこう。僕は感情の流れにまかせて、わき道にそれてしまったようだ!」

「君の話しがわき道にそれたって僕達は面白いよ。森の小道に入っても、君は僕達に花を見せてくれる。君がしゃべっていると、ちょうど笛の音を聞いてコブラが踊るように、僕達の心も踊り出すよ」
とナーマデーワが言いました。

「君が話せば、どんな話だって楽しいよ。シャフナガルワシ劇団の有名な俳優ガンパトラオの話をしてくれたのは君だったよね。ハムレットの劇が予告されていたのに、ガンパトラオは舞台に登場してトウカラマの劇を演じ出した。観客達は『このまま続けさせよう』と言った。ガンパトラオが演じれば何でもすばらしい。君も彼と同じだよ。君がお話をしても講義をしても僕達はうれしいんだ」とゴウィンダが言いました。

「ところで、アッカの結婚はどうなったの。」とラームが尋ねました。

 シャムは言いました。
「ラームはいつも話の要点を忘れないね。それでは続けるよ。あちこち走り回ってやっとアッカの結婚がまとまった。結婚式はラトナギリで行うことになった。僕達は皆、パールガドからラトナギリまで行かねばならなかった。僕はその頃、6,7歳だったと思う。僕はあまりよく覚えていないが、母がよくその時の様子を話してくれた。僕は荒れ狂う海のことや、牛車のことは覚えている。村人や家族の者達、6,70人が出発した。召使い達も一緒に出かけた。牛車はハルナイ港に着いた。その頃、船旅はあまり快適ではなかった。ハルナイ港には桟橋さんばしがなかったので、小船が海の腰より深い所に停まっていた。舟乗りに背負われて、小舟まで行って乗りこまねばならなかった。そして、その小船がさらに沖に停泊している蒸気船まで僕達を運ぶのだった。

 ハルナイ港は不便な所だったが、景色はとても美しかった。ハルナイの昔の名はスワルナドゥルガ(黄金の要塞)だった。ハルナイ港についての民謡は女の人達の間でよく歌われている。
『ハルナイとりでで大砲が二度打ち鳴らされた。チャンドラはイギリス兵に引っぱり出された』
 イギリス兵たちはチャンドラセーナ王を外へ引き出したとこの民謡は歌っている。ハルナイの浜辺には椰子やしの木のジャングルがある。 目の前で波打つ海を眺めながら、椰子の木も首を動かして踊っている。海の重々しいとどろきは20キロ四方にまで聞こえる。ハルナイには燈台があり、高い丘の上で赤い光が旋回している。この光は言葉を話すことなしに、ここに岩があるから気をつけなさいというような注意を船に与えている。これと同じように聖人達も崇高な人生を行きながら、ただ黙って人々に道を示している。聖人達は人生の海の燈台だ。

「聖人は慈悲の光。信ずる者達を罪から救う」
 町から集まった人々のうちひとりが、この聖典の一節を口ずさみました。いなかに住む信心深い人達はたくさんのヒンドゥー教の聖典の詩句や、歌をそらんじています。彼らはいわゆる学問のある人々もかなわない位たくさんの詩を暗記しています。学問のある人々は英語の詩を知っているでしょうし、その詩句も暗唱出来るでしょうが、ジュナーネーシュワルやトゥカラマ(ふたり共、インドの偉大な聖人かつ詩人)のことを思い出しもしません。

 シャムは言いました。「その赤い光は、夜間何と美しく見えたことだろう。夜、空に月が出て、海にやさしく潮が満ちる時、海の上に何百もの月が踊っているのが見える。まるで海が自分の可愛い、色白の子供の写真を何百枚も写しているかのようだった。」

「どうして月が海の子供なの」と小さな子供が尋ねました。
「それはね、昔、神様が海をかきまぜた時に、海の中から14個の宝石と月が生まれたという伝説があるからなんだよ」シャムの代わりにナーマデーワが答えました。

 シャムは描写をするのに一生懸命でした。
「自分の子供に身につけさせるために、海はたくさんの飾りを持って来たのだろうか。それとも月自身が波と遊ぶために何百もの姿を取って降りて来たのだろうか。どの考えもみな愉快だ。風が吹いて椰子の木が揺れ動いている。波は高く打ち、燈台は輝き、月はゆっくりと空をめぐる。ようやく小船は人でいっぱいになった。船長や舟乗り達は大声でどなっていた。誰かの荷物が積み残されている、誰かの荷物が入れかわっている、誰かの荷物が紛失している、誰かが船酔いをしている、誰かが吐いている、吐いたものが他の人にかかって、その人が怒っている、などなど。ここにインドの国特有のあらゆる混雑と混乱、無関心と他の人への同情のなさが見られた。

 僕達は小船の中に座っていた。小船は動き始めた。こぎ手達はかいを動かし始め、水がぶくぶくと音をたてた。風のために波のしぶきが僕達にもかかった。『よし、もっと強くこぐんだ』とこぎ手達は叫んでいた。小船の中はひどく混み合っていた。僕の母は乳飲み児を抱いて座っていた。僕のおばもやはり、乳飲み児を抱いてそばに座っていた。その時おばは病気だったのでお乳が出なかった。それで牛乳を飲ませていたが、牛乳では乳飲み児は本当には満足しない。母乳は単なるミルクではない。その中には愛情といつくしみの心がある。だからこそ赤ん坊に健康とつやを与えることが出来る。愛情を持って与えるならば、与える母親も、受け取る側の赤ん坊もどちらも、最高の幸せを得ることが出来る。

 岸辺の牛車につながれている牛の首の鈴の音が遠くの方から聞こえていた。港の灯がぼんやりと見えていた。蒸気船が遠くに見え始め、船の上部についている灯がまたたいていた。しかし、それでも蒸気船に小船を横づけするにはさらに半時間はかかった。

『おや、何を吸っているの。そこに飲む物があるって言うの』とおばは自分の赤ん坊に腹を立てて言った。赤ん坊は前よりも一そうひどく泣き始め、どうしても泣きやまなかった。小船の中は混み合ってごたごたして、身動きする余地もないほどだった。回りに人がたくさんいる時に、赤ん坊が泣き出すと、母親は死んでしまいたくなる。自分の赤ん坊が笑い、元気に遊び、誰からもほめられ、みんなに抱かれ、遊ばせてもらい、ほおずりされることに、母親はこの上ない喜びを感じる。それを見て母親は心からの満足を感じる。しかし、赤ん坊が泣き始めたら何と情けないことだろう。笑っている赤ん坊なら誰もが抱くだろう。しかし泣いている赤ん坊を誰が抱きたがるだろう。しかし実際には、泣いている赤ん坊ほど抱いてあやしてもらう必要がある。それなのに誰も抱き上げようとしない。世の中では誰もが幸せを愛する。不幸を愛する人は誰もいない。世の中に、貧しい人、罪を犯した人の力になってくれる人はいない。同情を最もほしがっている人が、最も同情を得にくいのだ。

『不幸な人にやさしさを与える人はいない』
 赤ん坊が泣き出すと、いらいらするものだ。『一体、なぜその子は泣いているの?』『毎日こんな風に泣いているのよ』このような会話が母親の耳に入ると、母親は赤ん坊と一緒に土の中に消えてしまいたい気がする。世の中には人の粗探あらさがしをする人が多いものだ。

 この時、僕のおばはこんな状態だったと思う。赤ん坊は泣きやまなかった。そばにいた僕の母は自分の赤ん坊を召し使いに渡して、おばに言った。『ワンサン(義理の妹の呼び名)!赤ん坊をこっちにちょうだい。私が抱っこしましょう』母はやさしくおばの赤ん坊を抱いて、おっぱいをふくませた。その子はお腹いっぱい僕の母のお乳を飲んで機嫌よく笑い始めた。

 母は姉の結婚式への船旅で、自分の子を泣かせてさえまず義妹の子を満腹させて落ち着かせた。赤ん坊はおいしい母乳を飲めばすぐに元気になる。おばの赤ん坊が泣き始めた時、母はためらわずに抱き取ってお乳を飲ませた。母は決して不平を言わなかった、それどころか母はそうすることに喜びや幸せや満足を感じるのだった。

 いつか、この時の話しをしてくれた時、母は言った。『シャム、自分の持っているものを他の人にあげなさい。涙を止めて、笑わせてあげなさい、幸せにしてあげなさい。この喜び以上の喜びはないのよ。シャム、誰でも自分の子供は可愛がるでしょう。でも他の人の子供も等しい愛情を持って可愛がる人こそ偉いのですよ。』」