法話 2021/01/11更新

親鸞聖人のご命日

 新年のご挨拶を申し上げます。新型コロナウイルス感染の拡大が心配される中で新たな年を迎えることとなりました。皆様にはご清祥にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。

 浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、弘長2年11月28日、現在の暦では1263年1月16日(この命日のことを正忌しょうき といいます)に90歳にてご往生なさいました。浄土真宗本願寺派では、毎年1月9日より16日まで京都本願寺にて、親鸞聖人のご遺徳を偲び報恩感謝の念を新たに、御正忌報恩講法要が勤められます。本年は、新型コロナウイルス感染防止のため、法要やご法話がインターネットで中継されることになりました。皆さんも是非法要のご様子をご覧ください。西蓮寺では、毎年11月に報恩講法要を取り越して勤めております。

 親鸞聖人の最晩年のご様子を伝える文献などは少ないようですが、聖人85歳のお手紙には、「目もみえず候ふ。なにごともみなわすれて候ふうへに、ひとにあきらかに申すべき身にもあらず候ふ。よくよく浄土の学生がくしょうにとひまうしたまふべし」(年老いて目も見えなくなってきました。何についても忘れがちになり、また人にはっきりと説き示すことができるような身でもありません。浄土の教えを学んだ人によくお尋ねになってください。)と書かれており、お年を召された様子が想像されます。ご往生九日前より病の床に就かれ、「口に世事をまじへず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし」という容態のなか、念仏の声もだんだん小さくなり九十年のご生涯を終えられました。

 翌日、そばに居合わせた親族と門弟たちによって葬儀が営まれ、ご遺体は荼毘に付されました。石塔が建てられご遺骨は埋葬されました。1272年、京都大谷の地に廟堂が建てられ遺骨がそこに移されましたが、これが後の本願寺の起源となりました。

 聖人ご往生の様子を末娘の覚信尼かくしんにからの書状により知らされた聖人の妻(内室)である恵信尼えしんに公は、覚信尼宛の書状において聖人のことを懐かしく回想されています。その書状(消息しょうそく)八通が大正時代に本願寺の蔵より発見されたことにより、親鸞聖人が比叡山で修行をされていた時のことや、師法然上人に出会われ、上人のもとに毎日通いながら「生死出しょうじいづべき道」(生死の迷いからでることのできる道)を求めておられたご様子などが記され、貴重な資料となっています。

 本願寺や西蓮寺で勤められる報恩講法要にぜひお参りいただき、聖人のご生涯ならびにみ教えを聴聞いただくご縁が生まれますことを切に願っております。