シャムチアーイー 2021/04/03更新

【未掲載版】第四話 許しを乞うお祈り

 外には明るい月の光が射していました。アーシュラムのテラスに人々は集まって座っていました。遠くの川の流れはまるで銀の川のように見えていました。川は休むことを知りません。いつも流れ続けることだけを知っています。川の祈りは、その動きのある祈りは、いつも24時間続いています。川は歌を口ずさんだり、笑ったり、遊んだりします。時にはまじめになったり、またある時には、怒りに赤くなったりします。川はひとつの美しく、荘厳な神秘です。シャムは川を眺めていました。彼は自然の美しさに夢中になっていました。時々、彼は美しい日没を見て我を忘れてしまうことがあります。そんな時、次のような詩の一節が彼の口をついて出ます。

『姿は隠しながら、あなたは魔法を使う。様々の色をちりばめて、神様!あなたは偉大な芸術家だ。いくら見ても見飽きない。たくさんの思いに心は波打つ』

 この時もシャムはこのような瞑想にふけっていたのでしょうか。ラームは彼のそばに近づいて言いました。「シャム、みんな集まっているよ。お祈りに行こうよ。みんな待っているよ」

 「そうだね。僕は夢中で眺めていたようだ」こう言って、シャムは彼のために用意された場所に行って座りました。お祈りが終わり、お話が始まりました。

 「みんな!どんな物にも文化があふれている。どんなカースト(階級)にも特有の文化がある。そのすべての文化を総合して国の文化が成り立っている。それぞれの慣習に文化の香りがあふれている。そのことを知って、僕達はすべての慣習に目を向けるべきだ。何か適当でないものがあれば、廃止すべきだ。しかし文化を豊かにする慣習は廃止してはならない。国の、あるいは社会のひとつひとつのしきたりは僕達に何かを教えている。

 僕の家では毎日、昼食時にめいめいがシュローカ(詩句)を暗唱しなければならないというきまりがあった。食事の時、シュローカを暗唱しないと、父は機嫌が悪くなった。父は僕達に大変美しい詩を教えた。モロパンタやワーマなパンディットの美しい詩句や詩篇を父は教えた。その他、ストートラ(紙の讃歌)やブーパーリー(夜明けに神に捧げられる歌)なども教えた。夜が明けると、父がやって来て、僕達を起こした。僕達のベッドの上に座って、父はブーパーリーやシュローカーなどを教え始める。僕達はベッドの上でふとんにくるまって座っていた。僕の幼い頃、僕の家には毛布などなかった。刺し子の布や綿入りの敷き物や母のサリーを重ねて縫った物が掛けぶとんであり、敷ぶとんであった。ガナパティ神やガンジス川などのブーパーリーを父は教えた。『耳に耳飾りが輝く、空の月と太陽のように』この詩の一節は今日でも僕には甘く響く。『ゆがんだ鼻、大きな体、穏やかな様子(ガナパティ神の描写)、ワースデーワの聖なる子供、クリシュナよ、ワースデーワよ』などのサンスクリットのシュローカ、また『ガンジス川、ゴダウリ川、ヤムナ川、クリシュナの妹スバドラー。クンクー(赤い粉)で飾ったシータ、女神は言う、アナーリヤよ、早く戦車に乗ってやって来なさい、ヤドゥラーヤーよ、私はお前がやって来るのが見える。体を斜めにして、口には横笛をくわえている』(たくさんの詩の断片なので意味は続かない。)などのアーリヤー(詩の一形式)やシュローカを父は教えた。子供の頃僕達は、これらのシュローカを覚えていた。父は毎日、新しいシュローカを教えた。父はただ口で暗唱させるだけでなく意味も教えた。「サウミトラは誰のことかな。」と彼は尋ねた。僕達が答えられないと、彼は角度を変えて質問する。「ラクシュマンの母親は誰かな。」僕達は答える。「スミトラ。」「それではサウミトラは誰のことかな。」僕達は類推して答える。「ラクシュマン。」「すごいぞ、よくわかったな。」と父はほめてくれた。サウミトラの意味を説明した後で、「では、ラーデーヤは誰のことかな。」とか「サウバドラは誰かな。」と次々に父は質問した。まるで教育学の理論にそって教えているようだった。父のこの教え方のおかげで何百ものサンスクリットの意味も僕達は理解するようになった。

 早朝、父が教え、夕方には母が教えた。『ランプよ、ランプ、ともりなさい。耳に耳飾り、首に真珠の首飾り。ランプを見てナマスカール(合掌)』とか『ごまの油に綿のしん。ランプでは真夜中まで燃え続ける。すべての神様の足元に私のナマスカール』などの詩を母は教えていた。僕達は競争で暗唱していた。昼御飯の時、父に習ったのではなく、僕達が自分で覚えたシュローカを暗唱すると、父は拍手かっさいした。それで僕達はもっと頑張ろうと思うのだった。村のどこかで結婚式やムンジュ(男の子の成人式)のパーティがあったり、お祭りのパーティがあったりすると、そこでも子供達はシュローカを暗唱する。誰かが上手にシュローカを暗唱したら、みんなはその子供を口々にほめる。このように、至る所でシュローカを覚えるよう励まされるのだった。食事をしながら、美しい詩篇や美しい考えにあふれた詩句を聞くことが出来る。それはまるで、過去の聖人達に捧げられているかのようだった。

 村のどこかでパーティがあると、僕達の所に必ず招待状が来る。僕達と一緒に父も来ていたら、父は僕達にシュローカを暗唱するよう顔や目で合図をした。そんな時僕達はすぐ暗唱したものだ。さもないと、家に帰ってから父に叱られるという心配があったからだ。僕はたくさんのシュローカをとても良く覚えていたけれども、大勢の人の前で暗唱するのは恥ずかしかった。僕の声はあまりきれいではなかったし、勇気もなかった。子供の頃から、僕は人前に出たり、人からあれこれと批評されるのが恐かった。僕は臆病者だった。今でも僕はあまり社交的とは言えない。僕はすぐにあがってしまう。シュローカを暗唱している時に、誰かが笑ったり、批評をしたりしたら、僕は悲しくなった。しかし、父がそばにいたら、僕は文句を言わずに暗唱しなければならなかった。

 その日、ガングーアッパー オカさんの家でパーティがあった。この家と僕の家とはとても親しくしていた。僕達の家に招待状が届いたが、父はその村に行って不在だった。僕は、よその家に食事に呼ばれるのが子供の頃から恥ずかしくてたまらなかった。しかし誰かが行かなけれなならなかった。さもないと、失礼にあたるし、傲慢な態度と思われるだろう。そして先方の気持ちを傷つけることになるだろう。父が不在だったので、どうしても僕が行かなければならなくなった。

 午後、僕は沐浴をし、しばらくして食事に出かけた。ランゴーリと呼ばれる色をつけた石の粉で地面に美しい模様が描かれていた。バナナのきれいな葉が並べられていた。僕はすみの方へ行って腰を降ろした。線香の豊かな香りが広がっていた。夏だったので、大きな水がめに、外から布が被せてあり、香りの良い草が入れられていた。招待客のうち誰が来ていて、誰が来ていないか、どうして来ていないかなどが調べられた。来ることになっているのに、まだ来ていない人がいたら、その人の所に手にパリーパンチャパートラ(宗教的な意味を持つ水の入ったコップとスプーン)を持った子供が使いに出された。みんなが揃ってから、聖なる水が人々の列にふりかけられた。そして「ハルハル、マハーデーワ」の祈りの後、人々は食事を始めた。

 僕は黙って食べていた。シュローカの暗唱が始まった。子供達は次々に暗唱していた。その中の何人かは拍手喝采を浴びた。女の人たちはお給仕をしていた。ある奥さんは、人々に混じって食事をしている自分の息子に尋ねた。「バンデャー!シュローカは暗証したの?早く暗唱しなさい。」シュローカを暗唱することは正しい作法であり、名誉あることとされていた。「シャム!シュローカを暗唱しなさい。あなたは本当によく覚えているでしょ。あの『ツァウタッニャ スマナム』か『ディディム、ディッミン、ディッミン』を暗唱しなさいよ」みんなは僕に暗唱するよう何度も何度も催促した。しかし僕は恥ずかしくて、暗唱する勇気も出なかった。「男らしくないね、本当に」と、近所のゴウィンダバトが言った。僕はただ聞いていた。僕はバターミルクのスープの中に、招待主からの贈り物の銀貨をつけてピカピカに磨いていた。そして他の人たちの言葉をわざと聞かないようにした。ある男の子がみんなが食べ終わらないうちに立ち上がった。人々は彼のことを口々に批判した。みんなの食事が終わらないうちに席を立つことは、そのパーティを侮辱することだと考えられていた。

 食事が終わり、人々は皆、席を立った。僕はスパーリー(食後に食べる嗜好品)を決して食べないことにしていた。スパーリーを食べると、父はひどく怒った。学生はスパーリーやパン(スパーリーを柔らかな葉で包んだもの)を食べてはいけないというきまりがあった。僕は家に帰った。土曜日だったので午後からは授業がなかった。母が尋ねた。「お昼御飯には何が出たの?どんな野菜の料理が出たの?」僕はパーティの食事の内容をくわしく説明した。母がまた尋ねた。「それでシュローカは暗唱したの?」

 さあ、なんと答えたらいいだろう。うそはうそを呼ぶものだ。偽りの一歩を踏み出せば、それを隠すために偽りの二歩目を踏み出さねばならない。罪は罪を大きくするものだ。罪の根はどんどん強く張って行く。僕は母にうそをついた。「僕、シュローカを暗唱したよ」

 母は重ねて尋ねた。「どのシュローカを暗唱したの?みんな喜んで下さったの?」
 僕はまたうそをついた。「『目にふたつのダイヤモンドが光を放っている』というシュローカだよ」父はこのシュローカが大好きだった。それにこれは本当にひびきのよいシュローカだった。全部暗唱して見せようか?

『目にふたつのダイヤモンドが光を放っている。本当に美しい。額にはシェンドゥル(聖なるものに塗るオレンジ色の絵の具)、頭にはきれいなドゥルワの草の束。あなたの姿を見て、私の心は満たされ、望みは叶えられ、悩みは消えてしまった。ゴーサウィの息子、詩人のワースデーワはガナパティ神を心に描いている』

 僕が母にこんなうそをついていた時、近所の子供達がやって来た。お互いにいたずらをしあったり、お互いのあら探しをしたり、お互いがぶたれているところを見たがったりするのが子供達の性質というものだ。近所に住んでいるバンデャー、バニャー、ワースーがやって来て、母に言った。「ヤショーダおばちゃん!おばちゃんとこのシャムは今日シュローカを暗唱しなかったのよ。みんなして彼に暗唱するように言ったのに、それでもシャムは暗唱しなかったのよ」
「シャムが教えてくれた『空は清らかな星の宝石で一杯』というシュローカを暗唱して僕はすごくほめられたよ」とワースーが言った。
 ゴーウィンダが言った。「僕は『黒い肌のハリは戦車が近づいて来るのを見た』というシュローカを暗唱したよ。そうしたら、ナラスーアンナが拍手してくれたんだ」
 母は僕に言った。「シャム、私を騙したのね。うそをついたのね。シュローカを暗唱したって言ったでしょ」
 ワースーが言った。「シャム!一体いつ暗唱したの?」
 バニャーが言った。「ああ、たぶんシャムは心の中で暗唱したんだね。僕達に聞こえるはずないよ」

 バンデャーが言った。「でも、神様だったら聞こえただろうね」子供達は僕のことをこのようにからかって出て行ってしまった。子供達というのは実際、村の判事のようなものだ。どんな秘密も隠しておくことを許さない。村の誰かれなしの失敗を村中に広める新聞のようなものだ。

 母は僕に言った。「シャム!シュローカを暗唱しなかったのはひとつの誤ちです。でも、うそをついたのはもっとひどい誤ちです。神様の足元にひれふして、もう二度とこんなうそはつきませんと約束しなさい」僕は口もきけずにそこに立っていた。母はもう一度言った。「さあ、神様の足元にひれふしなさい。そうでなかったら、お父さんがおかえりになった時、このことを言いますよ。そしたら、あなたはぶたれるでしょう、そして叱られるでしょう」それでも僕は動こうとしなかった。母は父に言いつけたりはしないだろうと僕は思った。母は忘れてしまうだろう。今日怒っていても明日は怒りも薄れるだろう。母がまた言った。「言うことを聞かないのね。よろしい。もう言いません」

 父はその夜、よその村から帰っ来た。いつものように彼は夜明け頃、僕達を起こしに来た。彼はブーパーリーを暗唱し、僕達はそれを復唱した。父は僕に尋ねた。「シャム!昨日はどのシュローカを暗唱したんだい」

 母はバターミルクを作っていた。彼女の影が壁の上で踊っていた。バターミルクは立ったままで作らねばならなかった。つぼは大きかったし、かくはん器も大きかった。母は突然バターミルクを作る手を止めて言った。「シャムは昨日シュローカを暗唱しなかったのです。帰ってきて、暗唱したと私にはうそをつきました。でも近所の子供が本当のことを教えてくれました。私はシャムに、神様の足元にひれふして、もう二度とうそはつきませんと約束するように言いました。でも何度言っても言うことを聞きません。」

 父はそれを聞いて、怒って言った。「本当か。さあ立て、立つんだ。あの壁の所に立つんだ。昨日、シュローカを暗唱したのか?」

 父の怒りを見て僕は恐くなった。僕は泣きながら言った。「暗唱しませんでした」 「ではどうしてうそなんかついたんだ。うそをついてはいけないと何度も言われているだろう」
 父の怒りと声はだんだん大きくなった。僕はふるえながら言った。「もう二度とうそはつきません」
「それから、お母さんが神様の足元にひれふすように言っていたのに言うことを聞かなかったんだな、両親の言いつけは守らなければならないことをお前は知らないのか。お前はのぼせてしまったのか」父は今にも立ち上がって僕をぶつだろうと僕は思った。

 僕は泣きながら母の所へ行き、母の足の上に額を置いた。僕の熱い涙が母の足の上に落ちた。「お母さん。僕が間違っていました。許して下さい」と僕は言った。

 母はしゃべることが出来なかった。母は愛情深い人だった。溶けた土のような状態の僕を見て母はかわいそうになった。しかし、自分の感情を抑えて彼女は言った。「神様の足元にひれふしなさい。二度とうそをつくような悪知恵が出ませんようにとお祈りしなさい」

 僕は神様の近くに立った。そして、しくしく泣きながらお祈りをして、身を投げ出した。それから再び壁の所へ行って立った。

 父の怒りは静まっていた。「さあ、こっちへおいで。」と父は僕に言った。僕は父の所へ行った。父は僕を抱き寄せて、僕の背中をなでながら言った。「さあ、もう行きなさい。学校があるんだろ。」

 僕は言った。「今日は日曜日だから休みです」
 父が言った。「それじゃ、もう少し眠りなさい。それとも私と一緒に畑へ来るかな。葉皿用の葉も摘んで来よう」僕は、はいと答えた。

 父の裁きのつけ方は本当に見事だった。父は一瞬にしてすべての雰囲気を変えてしまった。怒りの雲は消え、愛の光が広がっていた。まるで何事も起こらなかったかのように、僕達父子おやこは畑へ行った。僕の母は愛情深い人だったけれども時に応じて厳しくもなった。彼女の厳しさの中にこそ本当の愛情があった。本当のやさしさがあった。時には厳しい愛情でもって、また時にはやさしい愛情でもって、母はこのシャムに、僕達兄弟にしつけをした。時には母は愛情をこめて抱きしめ、また時には怒りを持って僕達をぶった。両方のやり方で母は僕に形を与えた。この形のない怠惰な土くれに、母は美しい形を与えた。寒さと暖かさのふたつによって成長がある。昼と夜のふたつがあるからこそ、成長がある。いつも光ばかりあてていたら駄目になってしまう。ある詩にも歌われている。

『母親は可愛がったり、叱ったりして子供の人格を育てる
 花や木は暖かさと寒さを受ける。
 これこそがこの世界で育つ唯一の方法』