法話 2023/01/18更新

歌人親鸞さん

 本年2023(令和5)年は、1173年に誕生された親鸞聖人の御誕生850年目の年にあたり、また聖人が浄土真宗の教義体系をまとめられた主著、『教行信証』が成立したとされる年1224年から来年で800年となります。この御誕生850年、立教開宗800年を祝う法要、慶讃きょうさん法要が3月末から5月にかけて京都本願寺で、さらには各地域の寺院で勤められるという、親鸞聖人の教えを伝える寺院やご門徒にとって今年は記念の年となっています。

 親鸞聖人は、90年の生涯において、『教行信証』をはじめとする著書、ご消息とよばれるお手紙、『阿弥陀経』などの経典に対する注釈などを遺しておられます。さらに和語、日本語で作られた仏教讃歌で、毎日のお勤めの時に、念仏とともに声に出して唱えられています「和讃」とよばれるものがありますが、聖人は70代後半、76才の頃から88才までに、なんと500首を超える和讃を作っておられます。歌人親鸞さんと呼んでもよさそうですね。

 仏教は漢字によって日本に伝えられましたが、日本人の心に届くようになるとともに、日本語で仏教をほめたたえる歌、信仰の喜びを表す歌を作りたいという心が起き、七・五を一句として、五句、六句、十句などを一首とする和讃が平安中期ごろより盛んに作られるようになったようです。親鸞聖人の和讃は、すべて漢字とカタカナ混じりの七五調で書かれ四つの句をもって一首と数えるものです。親鸞聖人ご自身が「ヤハラケ ホメ」と訓(よみ)を付しておられますが、和らげてほめた歌ということです。

 この七五調四句で作られた和讃でもっとも知られ、法要などでご法話を聴かれた後、必ず唱和されているのが「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」という「恩徳讃」です。「阿弥陀如来のあらゆるいのちあるものを救いとげたいというご恩には私の身を粉にしてまで報いましょう。釈尊や七高僧などお念仏の教えを伝えてくださった方々のご恩にも私の骨を砕いてまでも感謝しましょう」という「知恩報徳」の歌といわれています。

 話はそれますが、今、短歌がブームだそうですね。SNSの普及とも関係があるとか。それを受けてなのか、新年早々、1月2日の深夜でしたが、たまたまNHKラジオ深夜便を聴いておりますと、歌人の俵万智さんとやはり歌人の穂村弘さんの対談が始まりました。

 対談の中で何首か短歌が紹介されましたが、俵さんが紹介された昨年の牧水・短歌甲子園から「初恋はレモンの味だと言うけれど シチリアですか瀬戸内ですか」という高校生の歌、穂村さんが紹介されたハルカトミユキという名で音楽活動をしているデュオのお一人福島遥さんの「今日君が持っている本を買いました。もう本当のさよならなんだ」という歌が印象的でした。短歌ですから五・七・五・七・七のわずか三十一文字を用いて表現されているのですが、歌からはユーモアや明るさ、胸を割くような恋の痛みが伝わってきます。限られた文字で思いや感動を言い表すことは難しいことですが、このような素敵な作品にあうと共感できるのが歌のもつ魅力です。

 平安時代から鎌倉時代初期にかけて流行した歌謡を「今様」と言います。白拍子しらびょうしと呼ばれる遊女が舞い歌ったもので、七五調の四句を基本としています。この今様歌謡を集めたものが平安末期に編纂された『梁塵秘抄』です。「仏は常にいませども うつつならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」(仏は常にいらっしゃるけれど、現実にそのお姿をみることができないことが、しみじみ尊く思われます。人が寝静まった物音のしない夜明けごろに、かすかに夢の中にお姿をお現しになる。)といった仏教にかんする歌も多く含まれています。

 福岡の方は「黒田節」をご存じでしょう。「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一ひのもといちのこの槍を・・・」という福岡を代表する民謡です。この歌は、筑前今様と呼ばれ、福岡藩の武士たちによって歌われていたもので、今日でもよく歌われています。この歌詞も「酒は呑め吞め 吞むならば 日本一の この槍を」と七五調ですね。この七五調の歌は、昭和歌謡にも受け継がれています。「お酒はぬるめのかんがいい・・・」とか「あなた変わりはないですか 日ごと寒さがつのります」など次々に浮かんできます。このように七五調の歌は、日本人の、とりわけ民衆の心のなかで長きにわたり受け継がれてきました。

 さて話を戻しますと、親鸞聖人の和讃は、この人々が受け入れやすい七五調四句をもって作られ、しかも平易な言葉をもって書かれているからこそ、声に出して唱えやすく、和らげられたことばをとおして、浄土の教えに、阿弥陀仏の願いの世界に触れることができるようになっているのでしょう。

 大谷大学学長の一楽真先生は、「親鸞には、越後から関東で出会った多くの人々を思い浮かべられていたに違いない。さらにいえば、「文字のこころ」も知らない人々が、唱えられる声をとおして教えを聞いていけることができることを願っていたに違いない。和讃は、民衆とともに生きようとする親鸞が、阿弥陀仏の浄土を讃嘆する歌なのである。」とおっしゃっています。